11. アイリスの決闘(5/5)
「だいぶキレてんなァ……相当やらかしてたか」
客席でぽつり呟いたディンゴは厳しい視線を戦場へ、それもアイリスに相対するクラウンへ向けていた。ただでさえ目尻の吊った鷹の如き眼光はより一層鋭さを増し、どこかその内に恐怖を内包しているようであった。身から出た錆と一言で済まされない所業を学外でこそこそと企んでいたのだろう、主犯のクラウンは幸か不幸か、目の前の脅威に気付いていない。
「アイリス様、魔法が使えたのですね」
隣のシェイラはといえば、膝の上に本を開いてせっせとアイリスの魔術を読み解いている。無表情にじっと剣を凝視するシェイラにちらりと目を落としたディンゴは、少し前まで丸腰のアイリスを心配していた姿を思い起こし、やっぱりこっちも変人かと溜息を吐いた。
「修練所の岩をぶっ壊した二人目がアイリスだぞ?知らなかったか」
「……知りませんでした」
自分が三人目であることを聞いただけである。
「アイリスの魔法適性はかなり低いんだ。一度にドカンと魔法は打てるし高度な術式も組めるが、一回ごとに間をあけないと体に相当負担がかかる。だから必要に迫られない限り魔法は使わないんだよ」
まだ幼い頃、連続で魔術を行使したアイリスが死の淵を彷徨った場面に遭遇した。委細は省くが、たった数度魔法を放っただけとは思えない凄惨な姿に変わり果てたアイリス少年の姿は、ディンゴとしてはある種トラウマものの光景であった。以来、アイリスがまともな魔法を使っているところを見た記憶は入学試験だけだ。
だが、それを不憫に思ったある高名な魔導士がイースタンを訪れ、アイリスの正確な魔法適性を調査した。その結果、魔法現象として発現しなければ問題ないことが判明したのだ。
「なるほど……僕が初めて出会ったとき、非常に繊細な魔力操作をしていらしたのはそういう理由だったのですね」
でも、とシェイラは問いを返す。
「あれは魔道具の類ではありませんよね?アイリス様自身で魔術として発現しているはずですが」
「―――ああ。あれはいつだったか、急に『使える魔法ができた』って言ってきてな。それがあの"剣"の創造魔法だ」
「錬成……ではないですよね」
「詳しいことを話そうとしなかったからな。それ以上は野暮ってもんだ」
何はともあれ魔法が使えるようになったのだ、祝いこそすれ心配する必要があるだろうか。
そうこう話している間にクラウンの剣は半ばから折れ、その切っ先は程近い地面に突き刺さっていた。尻餅をついたクラウンの喉仏に向けられたアイリスの剣は空気に溶けるように消え、その持ち主はふうと気を抜いて腕を組む。観客席はしんと静まり返った。
ちらりと目を向けられた審判は、まるで獣に追い詰められた小動物のように震え上がって口籠ってしまった。
「し……勝者、アイリス=イースタン様……」
自陣の控室に戻ったクラウンは、お供の生徒たちを正面に立たせて怒鳴る。バベルサとレゾットを監禁し、ディンゴに縛られたあの4人である。
「貴様ら、何か言い分はあるか?」
答える声は無い。計画は失敗したのだ。今の現状が全てを物語っている。とはいえ監禁するところまでは成功させ、風紀の目を完全に搔い潜っていたその技量は評価すべきところなのだろうが、大衆の面前で恥をかかされたクラウンにはどうでもよいことであった。
「本来であれば家の取り潰しでもしてやるところだが、私は寛大だ。しばらくまともな飯が食えなくなる程度で済ませてやる」
その言葉に顔を青くする生徒達。クラウンの言うまともでない飯はほんとうにまともではないのだ。筆に語るにも憚られる、ともすれば馬の肥やしのほうがマシとも言えるラインナップを無理やりに食わせられるのは、拷問の類としては立派な手段の一つである。
部屋から人を捌けさせ、一人残ったクラウンは強く、何度もテーブルを叩きつける。怒りと情けなさと、様々な鬱屈した感情が腹の内を暴れまわっていた。
「……クソが」
「おや?もう諦めるかい?」
耳慣れない声にバッと顔を上げる。いつの間にか正面に腰掛け、頬杖をついてじっとクラウンを見つめる人物がいた。まるで霧がかかっているかのように、その顔は頭をすり抜け記憶することを許さない。クラウンの驚いた顔を見、にたりと口角を弧に曲げ言葉を続けた。
「僕の計画は完璧だっただろう」
「……何用だ」
「嫌だなぁ、そう怖い顔をしないでくれよ。今回の失態の原因は君や僕じゃないし、ましてや君のお友だちですらない」
「じゃあ何だというんだ!」
荒げた声は外まで聴こえそうなものだが、周辺のウェストゥーム派生徒の誰一人として気にする様子はなく、夢現に立っているだけだ。
「生徒会長様にくっついてるちっちゃいの、知ってるだろ?」
「……イースタン家の親類と聞いている」
「はは!そんな冗談を真に受けていたのかい!?」
けたけたと不気味に、さも愉快そうに笑う。
「アレはそんなんじゃない。君や僕の計画を邪魔する悪だ。排除すべき障害だ。――――そう、敵だよ。此処に居てはならない、我々の、ひいては人類の、ね」
「なッ……」
それはテーブルに靴のまま足を投げ、ぴんと指を立てる。
「だからさ、協力しよう。こんな小さな場所で名を挙げて故郷に凱旋するなんてしょうもない願いじゃなくてさ。もっとでっかくいこうよ」
朧気な瞳孔の奥にゆらめく炎が、永い眠りから醒めたかのように勢いを増す。常命ならざる存在が頭を擡げる。
少しだけ、世界が震えた。
「救世主になろう。人々を救う英雄になろう。悪を滅ぼそう。ウェストゥームだけじゃなく、ヴォレインだけじゃなく、世界で一番の勇者になろう」
クラウン=ウェストゥームに、それだけの圧力を耐える器はない。
「さあ、もう一度手を取り合って、あの悪魔を殺しにいこう」
差し出された右手を、クラウンは震える手で握る。
「神様たる僕がいれば、次は絶対成功するからね」
目を覚ましたクラウンは――――盛大に嘔吐した。