10. アイリスの決闘(4/5)
ディンゴが人質を解放する少し前、アイリスはスタジアムの中央部でクラウンと対峙していた。観戦のため集まった生徒達は、立派な剣を持つクラウンに対して丸腰なアイリスに疑問を抱き、ざわざわと落ち着きがないようだった。
そんな状況にも関わらず、アイリスはごく自然体で、まるでそうであるのが当然のような態度でクラウンを見つめている。クラウンは下段に構えたまま、薄ら笑いを浮かべる。
「漸く決着が付けられると思うと気分が良い」
勝ちを確信しているクラウンがアイリスを嘲る。
「私も同じ気持ちだよ。前回は申し訳ないことをしたね」
「あれは魔術禁止であったから、十全な実力を出せなかったまで!此度の戦い、貴様が何を考えているかは知らんが、剣もなく魔法も扱えない貴様には万に一つの勝機は無いだろう!」
そう宣うクラウンが審判に合図を送る。その場を仕切る審判には、ウェストゥーム派の生徒が任されていた。
「よもや決闘を挑むとは思わなかったが、挑まれた側に仔細の決定権があることは承知なのだろう?」
「勿論。もう少し厳しい条件を覚悟していたのだがね、ウェストゥームの紳士は心優しいようだ」
「ッ……!」
学園内のいざこざを決着する一つのルールである"決闘"は、一方が挑戦し他方がルールを決定することで、学園長の名において成立する、長いこと使われることのなかった化石のごときルールである。この名目上は試験の一環である一対一、実際には互いに某かを賭けた決闘だということは、この二人と生徒会、ウェストゥーム派の一部の生徒と学園長のみが知っている。
それぞれが何を賭けているのかと言えば、アイリスが敗北したならこの学園から退学となる、というものだ。
そう、クラウンはこの決闘で何一つ敗北条件を持たない。強いて言えば敗ければアイリスが学園に残る、ただそれだけ。仮にも四騎士の異名を持つ家系の者として非難されそうなものだが、決闘の契りに立ち会った学園長とアイリスは納得の意を示した。
審判が片腕を挙げ、一拍の後に振り下ろす。
「はァァッ!!」
クラウンが気合の声を放つと共に一気に駆け出し斬り上げる。的確に心臓を狙った一閃は、しかしアイリスが後ろへ身体を蹴り出したことで回避された。慣性を利用し大きく翻ったクラウンは、続けざまに切先を真っ直ぐにアイリスへ向けて突きを繰り出す。だがその攻撃もアイリスが左へ半身ずらすだけであっさりと躱される。
どれだけ斬っても、どれだけ振っても、クラウンの剣は一度たりともアイリスの皮膚に触れることがない。決して不格好とは言えないクラウンの剣技をまるで児戯の如くあしらい続けるアイリスに、次第にクラウンの顔に焦りが見え始めた。
「き……貴様ッ!俺を愚弄するか!」
「愚弄もなにも、武器もない私ができることなど避ける以外に無いだろう」
「なめた口を!」
クラウンは剣を片手に持ち、空いた左の掌をアイリスへ向け、呪文を叫んだ。
「『火よ、焼き払え!』」
手に収まる程度の火球が渦を巻いて生じ勢い良くアイリスへ撃ち込まれ、観戦する生徒達から悲鳴が漏れる。それは、明確な敵意を持った魔術が人間に向かわれているという事実と、それの迫る先にいるアイリスが避ける素振りを見せなかったからだ。
このまま火がアイリスに当たれば火傷で済めば僥倖なほどの怪我を負うことになるだろう。最悪死んでしまう。生徒の幾人かは目を逸らし来るアイリスの苦悶の声を覚悟した。
だが何時まで経ってもそんな声は聞こえてこない。それどころか火球の当たる音すら響いてこなかった。何事かと恐る恐る視線をコロシアムに向ければ、そこには相も変わらず立ち尽くすアイリスと、驚愕に顔を歪めるクラウンの姿があった。
「な……ん、だと……?」
信じられない、と表情が代弁している。自分が見たものがあまりに常識離れしていたから。
目の前にいる男は冷静に―――どこか冷めた目で火を捕らえ、ただ右手でそれを払った。たったそれだけで己の発した魔術は跡形もなく溶けて消え去った。結界でもなく、対抗しうる水や何かの魔術でもなく、埃を飛ばすかのように手を返した。
あり得ない。あって良い筈がない。そんな術がこの世にあるものか。そんな、相手の魔術を消し去るような術が有るのだろうか。そもそもアイリスは魔術が使えないのではなかったのか。
「さて、私の優秀な仲間達は無事に仕事を終えてくれたようだ」
アイリスがふとクラウンの背後の観客席を見上げる。そこには成り行きを心配そうに見ていたシェイラと腕を組んで椅子にふんぞり返るディンゴがいる。バベルサとレゾットはそのすぐ横で夢中になって二人の戦いを観戦していた。
「なんだと?」
「私はずっと君に謝りたかったんだ。前回の試合ではルール上、魔術禁止のうえでの勝負だった。戦いとは、尋常ならざる命のやり取りでないのなら、それは有意義であるべきだ」
何の得にもならない剣は振るうべきではない。クラウンとの以前の斬り合いは彼の自尊心を踏みにじり、要らぬ反感と被害を産み出した。
「故に今回はルール無用。まぁ学園長の手前卑劣な手はナシだが、それでもこの条件はこの上なく対等だ。そうだろう?」
完全に警戒を解いた様子のアイリスは片手にまるで剣の有るかのように空気を握り、横薙ぎに振った。
何時のまにか、アイリスのその手には一振の剣が握られていた。