58 後悔故の哀しみを知る、人工知能
── ノーガンミールの海辺の町西街道。
街灯もなく暗い道を月明かりを頼りに飛ぶように走る真凛。今は下弦の月。西に沈もうとする月は左手にそびえる崖が邪魔をして、たまにしか明かりを届ける事が出来ていなかった。
「お姉ちゃんっ、そんなに早く走ったらイーニー達が追いつかないよっ」
「でも人間の戦士が現れたわっ、あなたの狐火が他にも居るって伝えてくれたでしょう」
「イーニー達、大丈夫かな?」
進む先にダミナの町から続く街道と交わる場所が見えた。真凛は少し手前で森の中へ飛び込み、木技を伝ってそこが見える木の上で歩みを止めた。
人工知能だから。
真凛も奏音もその言葉すら知らない。知っているのは、自分が特別だという事。
(私は一度しか死ねない。人間のように何度も蘇ったりは出来ない。訳は知らない、でもその事だけは知っている)
(どうしてなの? 私達だけ。お姉ちゃん、何で人間だけが生き返るの?)
(わからない。私はそれを知りたいわ、だから人間を捕まえて聞いてみようと思っているの)
(さっきはごめんなさい。つい人間を見て殺してしまって)
(うんっ、私も気がついたらいつものようにあの戦士を殺そうとしていた。次は殺さずに糸でグルグル巻きに縛って捕らえてみるから。奏音は大人しくしていてね)
(はーい)
真凛が見つめる街道の交差地点。彼女達はしばらく待っていたが、冒険者もイーニーも誰一人として現れる事は無かった。
「奏音、町の方へ戻るっ」
気配を殺し、風に揺れる木の枝に掴まりながら動かなかった真凛が呟いた。
このまま待っていたら夜が明けてしまう。ならば暗い間にイーニー達を探しに行く方が良いと考えたのだった。
それに……
先程感じた違和感。あいつの嫌な感じ、奏音を苦しめるあいつ、あいつがどこかに現れたような気がしてならない。奏音も黙っているがきっと同じ事を感じている。
だからイーニー、仲間が欲しい。人間でない私達と同じ人であるイーニー、そして春天公主が。
◇
明かりが町の宿にともり、街灯がポツリポツリと石畳を照らす。町の入り口には守衛が立っていて、町に入る人々の選別を行なっていた。
── まだ誰も冒険者は来ていない。
真凛と奏音は、一般の冒険者、つまりアンタレスのユーザーの操るキャラクターではない。従って、冒険者達を殺害しまくった真凛と奏音にはペナルティが適用されず、すんなりと町に入る事が出来た。
あっけない。人の住んでいない町家が続く道を真凛は歩く。海に向かって階層が増えていくこの海辺の町は、最下層に人の生活基盤が集中していた。
「昼に来た時には誰も居なかったのに」
「イーニーが言ってたよ、人間が町に来ると町の人が現れるって」
真凛の影から姿を現して並んで歩いていた奏音が影の中に消えた。
(私が探してくるっ、お姉ちゃんはどこかに隠れていてね)
影となった奏音は、影に溶け込みどこにでも現れる事が出来た。
(どこに行こう?)
遠のいて行く奏音の気配を感じながら、真凛は石畳を蹴り上げ、真上を通る一つ上層の道に飛び乗った。
◇
アクエリアの食肉ギルド、ナイトパンサーのギルドマスター『ナイトパンサー』
本来の姿を見せる九尾の白狐・春天公主、妖姫である春天公主の幻想の世界に連れ込まれて、ナイトパンサーは彼のギルドが追う殺人鬼ロゼッタとリサという名の姉妹の事を語っていた。
一方的にナイトパンサーが喋るばかりで相槌すら無い。ビリビリした空気は相変わらず漂い、言葉を間違えば確実に存在を消される、そんな緊張感を彼はどこか楽しみながら春天公主の前で拳を握る。
VRゲームの中でも、体験出来るか分からないこの感覚。夢の中よりも具体的な世界に置かれた自分を客観的に捉えて、彼は冷静に知っている事を話していた。
「もう一度聞く。殺人鬼の姉妹の特徴は?」
「ロゼッタの方は髪が紫色で長い、リサみたいって言ったのは彼女の姿が真っ黒な影だからです」
「そうか、だが似ているだけだとも思う。そうも言った、もし別人であったならお前は再び挑むのであるか?」
「問答無用で冒険者達は皆殺されて来ている。出会い頭に襲って来るって話しだ。せめて話しが出来ればっていう意見もあったらしいが、そんな悠長な事は相手が待ってくれない。だから……」
「だから出会えば殺す。そう言うのだな」
賭けだった。ナイトパンサーは嘘をつかなかった。この妖姫はサトリ、彼の考えを読む事が出来る。質問の答えをわざわざ口に出して言わせるのは、問答の形式にこだわっているだけなのか? 何にせよ話している間は、頭の中を読まれている様子ではなかった。
「貴女があいつの仲間だとしたら、俺はここで死ぬんだろうな」
「人間は死んでも蘇るではないか」
「人間? 俺達みたいなゲームをやっている人間と、貴女達のようなこの世界の人って意味で言うなら、確かに俺達は何回死んでも復活出来ます」
(じゃあ貴女は……えっ待てよっ、さっきのイーニーって女の子って今目の前に居るこの九尾のユニークと同じだよなっ?)
「違う」
「えっ!」
(あっ、また頭の中を読まれた)
「お前は人を殺した。もう二度と戻らない命を奪った。私の大切なイーニー、人は死んだらそこで終わりなのに……お前はイーニーが何と言って死んでいったか覚えているか?」
ナイトパンサーの動悸が激しくなる、頭に血がのぼって呼吸が苦しい。
「あっ、ああっそれは」
目の前の妖姫・春天公主の姿がイーニーの姿に変化していった。あの時と同じ光景が目の前に広がって行く。
「いやぁぁぁっ、痛いっ。どうして? 離してよっ、あなた私を騙したの? ねぇどうしてこんな事をするの?」
ロープに縛られた痛々しい姿のイーニーが叫ぶ。
「いやぁぁぁぁ、眩しいっ。どうしてそんなに明るくするのよっ、ねぇ私苦しいのっ。このロープは要らないでしょっ、あなた離してよっ」
跪づいて俯き、弱々しく声を震わせたイーニーの姿がナイトパンサーの胸に突き刺さる。
「おいっ、人形っ。観念しろっ、お前は危険な存在だっ。どうして冒険者を襲う、闇雲に人を敵に回してどうしようって言うんだ?」
「そんな事、そんな事、やってもいないのになんの話だか」
イーニーの姿を前にして、何故かあの時言った言葉を口に出したナイトパンサー。縛られたまま彼を見あげるイーニーの瞳に涙が溢れていた。
「イーニーは最初から最後まで違うと言った」
変幻を解いて元の姿に戻った妖姫・春天公主が言った。
「彼女は一切お前達に手を出さなかった。そして……あの時、お前にはイーニーと話す時間があった」
言われて気づく事実。
(時間があったのに、俺はイーニーの時間を止めてしまった?……止めて……しまったんだ)
── 懺悔か哀しみか? 人間が持つ感情の一つを黙って知ったイーニーと春天公主が、海と空が見える町の最上層のテラスで動きを止めていた。