3 副社長、味変を体験する
「この辺りだったと思うんだけど」
ラヴィが霧の谷ストレイの中腹に辿り着いた地点で立ち止まった。後に続くモフモフうさぎとスワン、そしてランスロック岩井副社長。ランスロック岩井の姿はなぜかグリーンの鮮やかな肌の色をした、リザードマンだった。
「マンドラゴラってさっき言ってた花だよな。でかいんだろ」
「うん、とんでもなく大きい花を見たよ。葉っぱの下で雨宿りもしたし。でもないね、確ここだと思って来たんだけどさ」
「う〜んラヴィ君、取り敢えず君は現実の世界の君のままなんだな。それを証明するために来たんだが、何か他に無いかな? 具体的にどうすればいいのか。私達としても君を元に戻す義務があるわけだし、今後2度と同じ事が起きないようにする必要もあるわけだ」
「いや、あの、僕はもう戻らなくていいんです」
「いや、それはいかん。はっきり言うがこのアンタレスがいつまでもサービスを続ける訳でも無い。何十年も続けられればいいが、それでもいつかは会社としてもサービスを終了する時が来る。その時君はどうなる? 消えて無くなるんだぞ」
「そうですね……それが明日になるかもしれないし、数年後になるかもしれない。岩井さん、僕を持ち出して行けるような何かを作ってください。そしたら僕は消えなくて済むし」
「それも考えよう。だがその為にもどうすれば人の頭の中がコピー出来たのかを解明しなければならないんだ。何か覚えていることはないかね?」
◆◆◆
アクエリアの公文書館にある、GMのコントロールルームにバッドムRとカルの姿があった。2人は食い入るようにモニターを見つめている。画面に映っているのはラヴィと話すランスロック岩井副社長の姿だ。
「核心に近づいた。カルさん、良く聞いておいてくれや」
「バッチ録画中。岩井さんにポインタをつけたのは正解だったな、これでスワンの謎が解ける」
10台並ぶ大型のモニタールームの中に居るのはバッドムRとカルの2人だけ。他のGMは、今夜行われるギルド入れ替え本戦の準備に駆り出されていて居なかった。
オープンβテストを開始して初めてのアクエリアのギルド入れ替え戦は、武器商やアイテム商、ナイトパンサー達の食肉商などを担当するギルドを、ギルド対抗戦で入れ替えするものであった。
予選を勝ち抜いたギルドと、現担当ギルドとのギルド対抗戦は一大イベントだ。アクエリア城の城門広場特設会場には、既に大勢のギャラリーが集まり露店は大賑わいになっている。
「ラヴィが何か言うぞ。しっ、ちょっと音を上げてくれ」
◆◆◆
ラヴィが緑の力を使う姿をランスロック岩井に見せた。敢えて声に出して森の木々と話をしてみせるラヴィ。
「危険なモンスターが近づかないようにみんな壁を作ってくれないかな? 僕たちを囲むようにしてくれればいいよ」
森からの返事は聞こえて来ない。だが木々がうねるように動き出して、分厚い緑のバリケードが周りに出来上がったのを見て、リザードマンの岩井は感動したのか尻尾を地面に何度も打ち付け出した。
「ふっ、ふふっ、やべっ」
小さな声を出して、モフモフうさぎがラヴィに近づいて来た。
「どうしたの、モフモフさん」
ラヴィも小さな声で聞き返す。
「まるでトカゲじゃん。カッコ悪くね?」
「それ言っちゃダメだよ。あれで服を脱いだらモブじゃんとか、速攻で狩られちゃうとか、イモリの串刺しとか、寒いと動けないとか、見た目がグロいとか言っちゃダメなんだからねっ!」
「全部ラヴィちゃんが言ったぞっ。俺は言ってねぇからな。皮で財布が作れるとか、イグアナの親戚とか……」
「ううんっ!」
スワンが咳払いをして2人を注意した。仮にもランスロック岩井は会社の副社長、モフモフにとってはもうすぐ上司になるお方なのだ。
岩井に見えないように手を合わせて謝るモフモフうさぎを他所に、ラヴィは蔓を伸ばしてそこに生えている葉っぱを1枚巨大化させていった。
まるで天井になる程の葉っぱの下で、なぜか焚火を起こして鍋に水を入れたラヴィが、ポーチから携帯糧食を取り出しランスロック岩井に見せた。
「岩井さん、これが持ち運びに便利でしかも美味しい携帯糧食っていう物です。お湯で温めて食べるんだけど、これはそのままでもいいかな。これ、クラッカーにチョコとクラッシュナッツのペーストを挟み込んだやつだ、これをどうぞ」
「おおっ、これが有名な携帯糧食か。いや、美味そうだ。じゃあ遠慮なく頂くとしようか」
ラヴィの目が笑っている。その事に気付いたモフモフの口元が緩み、スワンがはっと岩井副社長の方を見た。
「ブフェッ! おえっ、なんじゃこりゃあ。ぺっ、ぺっ。うげぇ歯磨き、ウオェェェ」
「ガハハハハハ」
首を振ってラヴィにやめてくれと懇願するスワンの姿が面白くて、モフモフが我慢出来ずに笑い出した。
「ラヴィちゃんっ! 早くやめてっ」
「オゥエェェェ」
「ぶははははははっ」
「岩井さん、お湯です。どうぞっ」
焚火でお湯を沸かしていたラヴィが、さりげなくコップを岩井に渡す。
「やめ、早くやめてラヴィちゃん、この方副社長! それは、それはちゃんとした普通のお湯だよねっ、ねっ?」
「はぁ、はぁ、これは口をゆすぐのか?」
「はいっ、ぬるま湯だから。どうぞ」
「いや、副社長っ気をつけてぇぇ」
「ありがとう。ブゥゥゥゥぅぅ」
盛大に青汁風味のお湯を吹き出したランスロック岩井。少し涙目になる所は流石アンタレス、見事にアバターと感覚がリンクしていると言える。
「何か、何かの嫌がらせかな。ラヴィ君」
「いやいや岩井さん、ほんの出来心です、ごめんなさい。さっき僕が消えるとか脅しをかけて来たお返しだとか一切思わないでくださいね。リザードマンの姿がキモいとかも思ってないですから」
「えっ」
部下から反抗される、誰かに歯向かわれる、そんな経験はここ20年は覚えが無いランスロック岩井。頭がこんがらがってスワンに助けを求めた。
「スワン君、この彼らはなんだ? 説明したまえ」
(ああっ、なぜにラヴィちゃんはこんな暴挙に出たの?)
スワンが答える前にラヴィがしゃしゃり出る。
「あー、僕らは何かと問いかけられまして、その答えはっ。じゃーん、この世界そのものですっ!」
「は、はっ、おじさんにもわかるように話してくれないかな」
(歳を聞いていなかった。こんないたずらをするなんて、ラヴィ君はもしかしたら小中学生ぐらいの子供だったのか?)
「岩井さん、今のが味を僕が変えることが出来る証明でした。これ、口直しにどうぞっ」
ラヴィがポーチから別の携帯糧食を取り出したのを見て、スワンがやめ、やめっと声にならない声を出そうとしているが、なぜか声が出なかった。
(ラヴィちゃんの性格なら、もう1回やる。副社長、ダメだ、信じちゃその男を信じちゃいけないぃ)
「先に聞くが、このクラッカーの味は何味かい? あっそうだ、私の好きな味にしてくれないか? 出来るかな、ラヴィ君」
「何味ですか? 知ってる味なら出来ます」
「じゃあ、イチゴジャム」
「どうぞっ、食べてみて」
「おおおお、イチゴだ。じゃあ、マヨネーズ味は出来るかな?」
「勿論。どうぞ」
「うん、旨い。マヨラーの私もこれは納得だ。じゃあ次はチーズ味を所望する」
「はいっ、どうぞ」
ラヴィがランスロック岩井が持つ携帯糧食の味を変えていく。最初は気が気でなかったスワンも、やっと安心してその様子を見ていた。
「いや、疑ったよ。しかし味はすごいなぁ、それに食感も君からなのかな? こんな物はサンプリングデータには無いものだよ」
「そうですね。でも炭酸シュワシュワな感じがまだ出せないんです。あれが出来たらコーラ飲み放題なんだけどな」
岩井が最後のひと切れを口に放り込んだ。
「ふふっ、納豆味か。残念だなっラヴィ君。大好物だ」
「ちっ」
スワンの予想通り、ラヴィは懲りない男だった。