108 ランスロック岩井の思惑
長々とした、タチバナ社長の紹介演説が終わった。その紹介された人物、それがバッドムR、社長の息子である。
(っしゃあぁ、遂に来たぜっ。俺の世界デビューが)
「ただ今ご紹介に預かりました、タチバナ・タツヤです。本日は足元の悪い中……」
息子の冒頭の挨拶を聞いて、社長の顔色がたちどころに悪くなった。何せ外の世界は晴天なのだから。
「えー、私がこのアンタレスONLINEのエメラルドサーバーにおいて、他とは違うシステムのマッチングを行った結果、なんと皆様方も既にご存知の通り、[味覚]と、[嗅覚]あまつさえ、肌に触れる風のそよめきすら感じることのできる[触覚]を再現する事が出来ました」
ゲストが頷き合っているのを見て、バッドムRは満足したように続けた。
「何かここまでで質問はありますか?」
その言葉を待っていたかのように、ほぼ全員が手を挙げる。ズラリと並ぶゲストを見て、スワンの代わりに進行役を務めるランスロック岩井副社長が、笠原を指名した。
「あっ、来た。あや、いや。わたくし、ゲーム情報誌[リアルナウONLINE]から参りました、笠原と申します。えー、質問ですが、具体的にどうやって[味覚]や[嗅覚]と言った、まだ世界で実現出来ていない感覚をゲームの中に再現されたのでしょうか?」
笠原の質問に眉をひそめる副社長のランスロック岩井、しかしタチバナ社長が問題なしの態度を取っているので、バッドムRに返答を促した。
立ち上がったバッドムRの言葉に全員が注目する。何より注目しているのが実はランスロック岩井自身であった。それは上手くいっていないプロジェクトの解決方法の鍵を握るのがこのバッドムRらしいという事からである。
「えー、核心的な部分をお教えする事は出来ませんが……量子系記憶媒体を1つの指標に置き換えて、全ての事象に、あっ、これ以上はちょっとね」
(えっと、なんだっけ? さっきスワンがカルに言ってた量子系記憶媒体と、人の頭脳の完コピだっけ。それを全ての、えっとちょっとよく覚えてねえや)
「あ、ありがとうございます。量子系記憶媒体と……」
(馬鹿が、1番いらん事を言いやがった。だからバカ息子なんだっ。なんでこいつが出来たんだ? いや違うなっ、もう1人の方か。いやしかし、カル君と一緒にやってはみたがまるで解っていなかった風だったが)
ランスロック岩井副社長、彼はアンタレスの味覚システムを確立する事に取り組んでいる途中だ。量子系記憶媒体が鍵を握っていると見当をつけたまでは間違いなかったらしい。
しかしそこで止まってしまっていた。具体的に理論が解らない、訳が解らない。カルをラボに引っ張ってきて一緒に作業をしたが、謎の解明には至らなかった。
「あぁ、そうだ。確か人工知能に落とし込んだ……」
「待ってっ! タツヤ君。それはいかんっ」
慌てて発言を遮るランスロック岩井。今バッドムRが言いかけたキーワード、それだけで彼のプロジェクトに何が足りなかったのか、わかってしまった気がしたのだ。バッドムRの発言はまさに核心を突くところだった。
「は? やばかった? 岩井さん」
「やばい、少し話し過ぎです、タツヤ君」
「すんません。つい核心を漏らす所でした」
(結局こいつなのか? 馬鹿なふりをして実はそうではない? いや、他に誰か居るのか? スワン君? スワン君か? 彼はゲームのシナリオの管理だけで、システムに関しては素人だと聞いているが……)
「つまり、君のチームが優秀であったという事でよろしいのかな?」
「そう、そうです。僕を中心に奇跡を起こした。カルもスワンも僕にとっては無くてはならない片腕であります」
(どうだっ、仲間思いの人徳のある所を見せてやったぜ。手柄の独り占めをしない懐の深さを持っている俺、みたいなっ)
「素晴らしい仲間と作り上げた新システム、それが味覚システムという事ですね。皆さま、この件に関しましては我が社の基本戦略に関わる事になりますので、これ以上の質問にはお答えする事が出来ません。他に、アンタレスに関して質問はありますか?」
これ以上ボロを出させない為にも、馬鹿のフリをしている息子、いやもしかしたら馬鹿なのだが、彼には黙っていてもらおうとランスロック岩井が通用口を見た。
もうすぐ復活の果実がテーブルに並ぶタイミングだ。スワン君をして奇跡と呼ぶ味のデザート、彼はこれこそがアンタレスの切り札になると断言した。
(やはりな……スワン君。君から洗い直しだ)
通用口から出てきたのは、復活の果実を載せたキャリーではなく、真紅のドレスに身を包んだリサと、アクエリアの黄金のプレートメールを装備したラヴィアンローズ。
2人ともゲームの中で、ユーザーが選ぶ事の出来ない外見をしていた。
桁違いにリアルな容姿で再現された、アラネア公爵家の令嬢リサ。右の頬から右肩にかけて、鮮やかな赤い薔薇のタトゥーが入ったラヴィアンローズ。
自分達が使用しているアバターとは、何か格が違う存在感を持つ2人が現れて、食事会場は静まりかえるのであった。