88 パノラマ・パラノイア
遮るものの無い円形の広場の中央にリンスとルクは居る。たった今消えてしまったファンフルグアナコから、硬牙の剣とファンフルグアナコの珠がドロップしている。ルクが足元に転がる硬牙の剣を拾おうとしたが、所有権がイザヤにあるので触る事が出来なかった。
「当然ファンフルグアナコの珠も駄目だよな」
「倒したのがイザヤだから」
リンスはそう言って、リンスの頭よりもほんの少し上の空中に立つイザヤを見上げた。
「もう来そうなの?」
イザヤと目が合ってリンスが聞いた。イザヤは首を傾けて少し横に振った。
リンスにもルクにも見えてはいない。イザヤが色を抜いて消し去ってしまった後の森の風景は、地面から覗く土の色や残った木の根元と苔の緑、背の低い草達が疎らに残る見渡しの良い風景。そのどこにもファンフルグアナコの姿はまだ見えなかった。
── リンスとルクには見えていないだけ。
「パノラマ」
甘ったるいイザヤの声が空に向かって流れた。その瞬間から世界が音を立てて変わっていく。
ビキビキッ、キィーン
イザヤ達を中心に、周りを取り囲むガラスの1枚板のような空間が生まれて空間が区切られて行った。
そこに映っていた風景の中の全てが、切り取られてそこに留まる。その中にファンフルグアナコは居るように見えない。だが空から舞い降りた1羽の小鳥が切り取られた画面の後ろに消えた。
その瞬間を全て奪い去り1枚の画面の中に閉じ込めてしまうイザヤの能力。
「ルク」
「うん」
「声もしないね」
「居るんだな、あの中に」
見上げると、女神は舞っていた。
踏み出すたびに広がる鮮やかな色彩の波紋が、パノラマ写真のように区切られた画面の壁にぶつかって行く。ぶつかるたびに色が吸い込まれて、そこに無かった、いや本当はあった物に色をつけていった。
「げっ、グアナコだらけじゃん」
擬態して忍び寄っていたファンフルグアナコが色に染まり、その姿を現した。
色が空まで伸びていく。 空の頂点まで四方からの色が届いてしまう。
「わっ、イザヤがあんなとこまで」
見上げるリンスとルク。
舞い踊るイザヤは太陽の位置に立っている。天に掲げたオブリビオンの杖を全方位に振りかざし、再び天に掲げた。
空から急激に色が失われていき、全ての色が無くなるまであっという間だった。
慌てて自分の体から色が抜けていないか、リンスの姿を見るルク。お互いの体は元の色のままだった。
「パノラマ・パラノイア」
イザヤの声が響く。
その声を合図として、世界の瓦解が始まった。 割れていく白黒の線の世界、再び顔をのぞかせる色を持つアンタレスの空と森と、1羽の小鳥。
広がる青空を見て、救われた気持ちになったルクとリンスであった。
「わわっ、何これ?」
「うわっ、まじっ」
いきなり溢れかえるアイテムと珠が、足元に散らばっていく。パーティメンバーであるイザヤが倒したファンフルグアナコからのドロップアイテムは、個人が倒した時は地面に落ちるが、パーティの場合は自動的にパーティメンバーにランダムにアイテムが届く仕組みだ。つまりいちいち拾いに行く必要が無い。
その代わりに何が誰に振り分けられたのかは、視界の左端に浮かび上がるドロップアイテムの名前の表示を、よく見ていなければ分からない。
今回はドロップアイテムの数が多過ぎた。アイテムポシェットの許容量を超えて届いたアイテムは、入りきれずに2人の足元にどんどん積み重なって行く。
「召使い達、これでお金は沢山ねっ」
何事も無かったかのように、優雅に髪をなびかせて空から降りてきたイザヤが言った。
「イザヤ様、見てこれ。すごいレア武器の山だよ。これのリストを作って公文書館に売りに行けばかなりの額になるはずだ。情報だけで物凄い稼ぎになったよ」
何を言われたのか分からない様子のイザヤに聞こえるように、リンスがアイテムを整理しながら話かける。
「あのねイザヤ、実はまだファンフルグアナコを退治したってパーティは居ないの。だからどんなアイテムがドロップするかも分かっていないし、どうやって倒せば良いかとか、どの辺りに出現するとか、どんな行動をするのかだとかは、みんなお金を出しても知りたい情報なのよ。公文書館って場所にはそんな情報が売られているわ。安い情報なら個人で買えるけれど、今回のような貴重な情報は凄く高くて、パーティというよりお金のあるギルドクラスじゃないと買えない額になるはず。売れた金額は手数料を引かれるけど、情報を売った私達が貰えるの」
ルクも手伝って、ドロップした武器を種類ごとに並べて行く。それぞれが輝きを放つレア度が高い武器であった。
「これ貰ってもいい?」
リンスが手にしているのは、ファンフル・フォレストファング・ボウという名の、少し銀色の淡い光を纏ったロングボウだった。
「俺はこれが欲しいっ」
ルクの手には硬牙の剣、少し緑がかった淡い光に包まれたロングソード、黒い見事な装飾の施された鞘に収められている。
「良いわ、召使いだもの。それはお給料としてあげる。ちゃんと働いてねっ」
「「はいっ」」
今回ばかりはリンスの返事も良かった。 ポシェットに入りきれない武器を、移動用のテントの布に包んでロープで縛り、ルクが担いだ。
トボトの町に向かう足取りが軽い。1人は浮いているし、後を追う2人の顔には笑みが溢れる。いずれこの地のファンフルグアナコは再びポップするだろう。しかしあれ程のレベルのモンスターは、復活するのに時間がかかるものだ。
彼らが町に帰るまで、ファンフルグアナコが襲って来る事は無いだろう。
黒い髪の先が赤い女神がなぜか目の前に居る。不思議な出会いも、背中に背負ったアイテムの重さが、これが本当に起きていることなんだとルクに証明しているのであった。