69 桜舞い散り、遥再び。
ドクンと波打つように、リサの手の中でC.Cの中枢回路と人間の遥とをリンクするラインが復活した。 薄いオレンジ色の紐の中の小さな光点が、目まぐるしくその中を走る様子はまるで深海の電気クラゲの触手に光る鮮やかな七色の光にも見えた。
(いきなり繋がった。 行こうC.C)
(行こうって、もしかして一緒にとか言ってない?)
(瑠璃にお礼を言わなきゃ)
(私が言うから、リサは来なくていいの。 って言うか出来るの? ねぇ、リサ)
── C.Cの行動原理、考え方、味覚、感覚をリサはC.Cを自分にリンクする事で手に入れていた。 足りないのは、現実世界の遥の脳に残っている記憶と知識。
(行っても良い?)
(可愛らしく言ってもダメ。 そんな事出来ないから)
(出来るもん)
(どうして出来るって知っているの? もしかしてもう誰かにやった事があるの? ラヴィとかに)
(やって無い。 あの時はまだ私はそんな事が出来なかったから)
リサからの返事の意味が遥にはわからない。
(とにかく有り得ないから)
リサの手が薄オレンジ色のラインを手繰り寄せて、リサの目はそれを見つめている。 その光景をリサ越しに見ているC.C。
(今からこのラインにC.Cを戻すの。 リサの中から離して中に入ったら、C.Cはログアウトするの。 そうしたらもう2度と会えなくなるね……)
遥からの返事が今度は無い。
(じゃあね、C.C)
── 私を殺そうとしたリサ。 彼女は人では無い。 でもなんでこんなに人なの? まるで人じゃないっ。 普通過ぎて、意識していないとわからなくて…… それにリサは私に意地悪をしたかったって。 AIがそんな事を考えるの?
(うん)
(あっ、私の方は筒抜けだったんだ)
(私の方も見てみたい?)
(えっ、リサの方?)
空虚な時間は平面に広がるビットの隙間に無数にあって、限られた空間のその隙間を絨毯のように敷き詰めてビットの数を増やして来た世界。
そのビットの絨毯を今度は幾重にも積み重ねてみたら、積み重なるビットの隙間は2次元からいきなり4次元へと変貌を遂げ階層を増すごとに広大になって行く。
ただしその空間は全て繋がっていて1つとみなす事が出来る。 その空間そのものがリサをリサたらしめる記憶媒体であり、そのどこかにロゼッタがあり、マッテオもあり、ラヴィも。
(見に来る?)
── ダメっ、リサ。 ローズと約束した。 ローズと同じ人をもう2度と作らないって。 やめなさいっ、やめなきゃ、やめるのっ、やらない、 やめる。 やめた。 今はやめよう……
(嘘よ、C.C。 瑠璃に会ってみたかったけれど、やっぱりここでお別れなの。 正直に言うね、リサは遥の体に入って本当の人がどんな感じなのか知りたかった。 私の知っている事が正しいのかどうしても確かめたくて、我慢出来なくなって遥を利用しようとしたの。 ごめんね)
(リサの知っている事? 確かめたいって何を?)
リサが遥にも見えるように両手を目の前に持ち上げた。 するとどこからともなく水の流れがリサの手のひらに流れ落ちて、溢れていく。 その水がフッと消えると、今度は目の前にピンクの花が満開になった桜が現れた。 少し強い風が吹いて、花びらが舞い散る。
(今のは桜、リサは桜を知っているの?)
(もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし)
(百人一首?)
(この手で水に触れたとしても、花びらを散らす風の中に立ったとしても、私はそれが本当なのかが分からない。 あなたの手に触れた時でさえ、その温もりと感触が本当なのか確かめるすべは無い。 遥、私が人になりたいというのはそういう事。 ただそれだけだった、忘れないでね)
遥の意識が揺さぶられて、視界がフラッシュバックした後にC.Cの体に遥の意識が戻っていた。 薄暗い監獄塔の最上階の扉の前で自分は横たわっている。 リサの姿は無い。
「リサっ」
C.Cの口からこぼれた声は冷たい暗闇に呑み込まれて、もう2度とリサの声は返って来なかった。
引用:百人一首 66番 大僧正行尊
「もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし」
リサはロゼッタに言われた通り、沢山の本に触れています。 風が吹いたのを遥に見せる為に、敢えて満開の桜を散らして自分の気持ちを表現したのでしょう。
リサの本当の気持ちを知るのは遥のみ。 だからこそ残したのはこの歌だったのかもしれません。