58 戻れた『遥』
気がつくと床に倒れていた。 倒れたままで目を開けて、うつ伏せになっているのがいつもの見慣れた部屋である事に気づき、ようやく立ち上がる気力が湧いて来る。
── 危ない所だった。
身を起こして座り込み、そのまま暫くの間放心状態で視線が定まらなかった。 VR装置が床に転がっている……どうして?
── そうだっ、私、リサに捕まって戻れなくなって。
必死で感覚を取り戻そうとして、現実世界の身体は足掻いたみたいだ。 座っていた椅子から身を乗り出して倒れた拍子でVR装置が頭から外れた、それは偶然だったのかもしれない。
── 偶然が起きなければ、私は今頃は?
あっちの世界に精神ごと捕らわれていた? そんな気がする。 戻れなくなる恐怖、そんなリスクがあるとは思っていなかった。いずれにせよ、そのVR装置を被ると再びアンタレスの世界に飛んで、今度は偶然が起きなくてそのまま戻って来れないかもしれない。ハマるって、私実際にハマってた。 思い出した。リサが私に言った言葉を。
── 『じゃあ、リサはこの世界のあなたを殺すわ。あなたなんて居なければいい』
私がリサに捕らわれてハマったままの状態が続いた場合、現実世界の私の身体は飲まず食わずの状態が続く。 それは 独り暮らしの私にとっては、リサに殺される事になってたかもしれなくて……
震えが止まらない。 ガタガタと身体が震え出して力が入らない。 携帯はどこ? 瑠璃に来てもらわないと……
玄関のチャイムが鳴っている。 玄関のドアをドンドン叩く音がする。 私の手には携帯が握られていて……
ドンドンッ ドンドンッ 遥っ 居るんでしょっ
携帯を見ると、瑠璃からの着信履歴が何件も表示されていた。 玄関の外に瑠璃が来てくれている。 私、気を失っていたんだ……多分瑠璃に電話をしかけてそのまま倒れてしまってた。
◇◇◇
「大丈夫なの? 顔が真っ白だよ」
「うん、色々ありがと。 瑠璃」
私は瑠璃が入れてくれたコーヒーを飲んでる。 あったかくて身にしみて生きてるって感じを実感してる。
「ねえ瑠璃」
「なに」
「抱きついていい?」
「早く来」
いつもは厳しいくせに、たまに優しい瑠璃の胸に私は飛び込んだ。 春先のフワフワのニットは心地良くて、瑠璃の身体も柔らかくてあったかい。 2人で部屋の床に倒れこんで抱き合ったまま顔を見合わせる。
「本当にヤバかったの? ハル」
「うん」
目を閉じていたらこのまま眠ってしまいそうだ。 瑠璃が私の髪に指を入れて手櫛で髪をすいてくれてる。 それも気持ちいいし、瑠璃の胸も柔らかくて良い匂いがする。
「こらっ、起きろ。 寝たら襲うぞ」
「うん、いいよ」
私の部屋の床にはフワフワのカーペットが敷かれている。 親友の瑠璃は高校を卒業してからもずっと仲がいい。
「来てくれてありがと」
「もういいよハル、何度も言わない」
「うん、でも聞いて。 私ねVRゲームしてたの」
「ふぬふぬ」
「ちゃんと聴けっ」
「この体勢でそれを言われてもねっ。 起きてハル」
「へいっ」
2人で並んで座って普段ならファッション誌を見て、服の話とかでくだらない時間を過ごすんだけど、今日は違った。 私はパソコンを置いている机の上からゲーム雑誌を取って、小さなテーブルの上でとあるページを広げた。
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「これ?」
「うん、死ぬ所だったかも」
「警察に言ったら?」
「微妙かな? 公式サイトからメールを入れるけど、信じてもらえるかな」
椅子の向こう側に落ちたままのVR装置。 それを眺めながら私は……アンタレスの世界の中に残してきた私のキャラであるC.Cは今、どうなっているのか興味が湧いてきた。 あのVR装置の目の部分には今もログイン状態の私が見ている映像が映し出されているかもしれない。 いや、やっぱり無理か……目は閉じていた気がするし。
ちょっとムカついてきた。 瑠璃のお陰で元気が出てきたからかもしれない。 今なら瑠璃が居る、時間を決めてVR装置を瑠璃から外してもらえば良いんだ。
「もう夕方だし、ご飯行こ」
「あっそっか。 私奢るね、瑠璃のお陰で生き延びたもん」
「パスタでいいよ」
「じゃ行こっ。 瑠璃、その後お願いがあるんだけど……」