44 不本意な泉の精霊
── トボトという名の宿場町は、坂の多い街へと変貌を遂げていた。アクエリアから北へおおよそ100kmの森の中にあるトボトは、街道が町の真ん中を走っているので旅をする冒険者達の休憩地点であり、ここを一時の活動拠点として暮らす冒険者達も居る中規模な都市である。
「ラヴィちゃん、ヤベェ。 まじ温泉地じゃん」
呼んでもないのにモフモフうさぎが居た。 ラヴィがゲートを閉じる間際に城門広場の公園の噴水に飛び込んで来た彼は、ラヴィ達が温泉に向かったという情報を衛兵から聞きつけて、空を駆けるという技を駆使して最短距離で追いかけてきたのだった。
願いが叶う幸せの泉という立派な立て看板と、もっともらしい泉の由来を説明する屋根付きのボードを前にして、モフモフうさぎが腰のポーチに手を突っ込んで何か取り出そうとしている。
泉の真上に建てられている小さな御堂は、さっきラヴィ達がアクエリア城からゲートを使って飛んできた場所で、即ちここが宿場町トボトの移動ゲートなのであるが……
「行くよモフモフさん、何してんの?」
「だってラヴィちゃん、あそこにお金が入ったら願いが叶うって書いてるんだよ。 でも俺のポッケにゃ小銭がねえっ」
御堂の真下に浮かぶ丸いお盆に、数枚の小銭が輝いていた。
「あっ、あぁ、それは僕のお小遣い。 あっ」
リサとロビー、そしてモフモフから冷たい視線を浴びるラヴィ。
「もしかしてこれはローズが作ったの?」
「うん」
「幸せの泉も?」
「いや、初めはただの浅い池だったような……」
「じゃあ、お賽銭の行き先は?」
「…… 御堂の建設代金の支払いに」
泉の底にはたくさんのお金が沈んでいるのが見える。
「っしゃぁぁ、今日はラヴィちゃんのおごりだなぁ」
「そうね、私も久々に会ったと思ったらラヴィちゃん結構アコギな事をしてるんだもんね」
「ダメっ、ローズのお金はリサのお金なのっ! だからリサは使っても良いけど、うさぎはダメなのっ。 ロビーとリハクにはおごってあげるけれど」
「ふぐぅ、俺だけかぁぁぁ」
願いを祈って投げ入れられたお金は、そのほとんどがお盆に乗らずに泉の底に落ちてしまっている。 ラヴィが泉の岸際に座って何か語りかけると、水中の水草が姿を変えて小さな緑の妖精の姿になった。
(久しぶりだね、ラヴィアンローズ。 はいっ、泉に投げ入れられたお金。君の作ったお金……じゃなくて、願い事の受け皿ってあまり役に立っていないね。 1度入っても弾んで、こんなに落ちて来るんだから。大きく作り直したらどう?)
泉の妖精は、泉の底に溜まったお金を全て集めてラヴィに手渡す。
「いつもありがとう、トボトの妖精さん。 お盆はあれでいいんだ、全部入ったら願いが全て叶ってしまうじゃないか、そんなの人生じゃないだろ。 叶わない事を願うからそれは願いなんだ。 叶う願いは目標って言う別の呼び方があるからね。 いつも手間をかけてしまってすまないけど、これからも宜しくね」
ラヴィの様子を見ていた全員に、泉の妖精の姿は見る事が出来た。 ただ、泉の妖精の言葉を聞く事が出来たのはリサだけ。 他のみんなは泉の妖精に返事をしたラヴィの会話しか聞こえなかった。
(こんにちは、泉の妖精さん)
(君はリサだね、初めまして)
(あなたは願いを叶える妖精さんなのね)
(うん、今のところはラヴィアンローズの願いのみだけどね……)
ギクッ
ラヴィが泉の精霊から受け取った小銭が入った袋を胸に抱えて、そろりそろりとモフモフ達の方へと後ずさりして行く。 何か都合が悪い様子だ。
その様子を横目で見ながらリサは左手を泉の方へ伸ばした。リサのエメラルドグリーンの瞳が燐光を放つ。
(我は泉の妖精にお願いします。 我が与える緑の加護を誰かに与えん事を。 この小さな緑の加護の珠、あなたが与えたいと思う誰かと出会った時に、渡してください)
── 泉の妖精の両手に小さな緑の珠が溢れていた。
泉の妖精と別れた後に、町の方へ歩き出したラヴィ達。
「リサ、俺とリサがいない時でも泉の妖精は動けるのか?」
「うん、1つだけ特別に力を込めた緑の珠をあげたの。 リサはローズがお世話になっているお礼に、妖精の願いを叶えてあげたの」
「妖精の願い? 何だったの、教えてもらえる事かな?」
── モフモフもリハクも、その隣を歩くロビーも聞き耳を立てている。 "妖精の願いとは何なのだろう?"
「簡単よっ、願いを叶える妖精になりたかったの。 お金を拾うだけじゃなくて、本当に誰かの願いを聞いてあげたい。 だからリサはたくさんの緑の珠をあげた。 傷を直したり、道を教えてあげたり、ほんのすこしの力しかないけれど、緑の加護を込めた珠」
「はぁぁぁ、誰かさんとは全然違うっ。 さすがリサ姫、そりゃみんな惚れるわっ」
ここぞとばかりにリサを持ち上げるモフモフうさぎ。
「あっ、リサ変装してっ! すっかり忘れてた、急げっ」
話題を変えるようにラヴィがリサをせかす。目の前には明かりの灯り始めたトボトの宿屋街、通称『千の温泉の都トボト』
──トボト湯の町、良い町よ。
どこからか、そんな歌も流れて来る老舗温泉旅館が軒を連ねる温泉街が広がっているのであった。




