43 ロビーはお嬢様
リサの見慣れたバロック様式の内装のアクエリア城の回廊、彼女が軽やかな足取りで向かう城のメインキッチンの隣の自由な空間は、リサとロゼッタの趣味が溢れてキチンとしていながら所々雑多な広い部屋で、リサのお気に入りの場所である。
── 例えば部屋の色に合わせた座り心地がとても良いソファの1つが、部屋の右隅に壁の角度を無視した斜めに置きになっているのに対して、手前左側に置かれた2つのソファは、きっちり壁と平行に並べられていると言った具合だ。
「ただいまぁ」
誰も居ない部屋に入りながらリサが言った。
「おかえり〜、お久しぶり〜リサッ」
女の子の声がした。
「ああっ、また美味しそうなお菓子を食べてるっ! いいなっいいなぁ、ねえこれ食べてもいい?」
部屋の外、半開きになった扉の前でラヴィとリハクは立ったまま、部屋の中の声を聞いていた。実はラヴィはこの部屋に入った事がない、たとえリサが相手だとしてもいきなり女の子の部屋にズカズカ入り込む事は出来なかった。
「誰かいらっしゃるようだ」
「うん、それにリサは俺達が居た事をすっかり忘れてしまっている。 相変わらずだけど」
ラヴィが扉の隙間から中を覗き込んだ。少しピンク色の部屋のような期待をしていたラヴィが見たのは、落ち着いたベージュ色の壁と全て木で出来た天井。そして部屋の真ん中に置かれたいくつもの丸いテーブルの1つを囲んで、クッキーを食べているリサと……
「ロビーちゃん?」
扉をノックしてリサに存在を思い出してもらう。
「んっ?」
顔をあげたロビーが、扉から顔を覗かせるラヴィに気づいた。その視線はラヴィからラヴィの背後に立つ赤い髪の人物に移る。 扉が邪魔をして背が高いぐらいしかわからないが、ロビーの身体に電流が走った……ような気がした。
「ローズ、美味しいクッキーがあるの。 凄く美味しくてついあなたたちの事を忘れるほどに」
ガタッ
勢いよく椅子から立ち上がると、クッキーを籠ごと持って扉の方へ向かってくるロビーが居た。
◇
今日はスワンはアンタレスの中に来ていない。近日に行われる、各方面のメディアを招待したアンタレスONLINEの食事会に関する調整などの、現実世界で必要な仕事に奔走しているらしい。
ラヴィとリサ、そしてリハクともう1人、さり気なくリハクの隣を微妙な距離感で歩く『白刃のロビー』は、アクエリア城の城門広場の脇にある公園の中にある3つの噴水に向かって歩いている。
(ははっ、本当に来たっ! 私の理想をはるかに飛び越えた、赤を纏う王子リハク様)
恥ずかしくて、それでも我慢出来ずにチラッと見上げるたびにリハクと目が合う。
(もしかしてリハク様も私の事が気になっているのかな?)
ちょっと前までリサの代わりにお披露目会に出ていたロビーは、ロゼッタに改心させられて女性として振る舞う事を根本から鍛えられていた。 普通に日本社会の中で生きていては学ぶことのない、本物の貴族の娘としての立ち振る舞い、礼儀作法、言葉遣い、心構え。 一応は学んだものの、決定的に変えられたのは自分の気持ちに素直になる事。
── もう男を演じる事が好きな女の子は辞めた。
それは1人の独立した女性である為には、大切な事であった。
昔のロビーなら、無礼を承知で腕を組むぐらいの事をやっていたかもしれない。 でも今はおしとやかに、優雅に、髪を揺らしてリハクの隣を歩く。 並ぶ事はあっても決してリハクよりも前に出る事は無い。リハクは王子、本来ならば隣に並ぶことすら許されない身分の差が存在しているのだから……少なくとも本人はそう思い込んでいた。
「ここのゲートには行き先にトボトの町が設定されているんだ。 スワンが僕には自動でキーを設定してくれたから、みんな先にトボトを選んで移動して。 僕は最後に行くから」
噴水の前でラヴィが転送スクリーンを開いて言った。 皆の目にもそれが見える、行き先はアクエリア噴水公園の下に表示されたトボト、町の至る所から湯けむりが立ち昇る、少し硫黄の匂いがする宿場町であった。