92 月夜の舞は、影の中に
ガキーンッ
ルチの手のダガーが弾かれた。
漆黒のダガーに軽く手を添えて、突き刺す一瞬に力を込める。あと少しで突きさすはずだった……空になった手が痺れて何が起きたのか分からないままに、ルチの身体は後ろへ飛び退こうとした。
「てめぇ、ラヴィちゃんに何してやがる。殺すぞ」
ルチの首筋に鋭い刃が当てられている。
動く事が出来ない。前からだけではなく、首の後ろにも刃先が当たっている。物理的に動けないだけではなかった。首に剣を当てているのが誰なのか見る事すら出来ないのは、剣のせい……
(何だこの剣は……俺の大嫌いな太陽か。クソッ、クソッ)
目の前で、あの臭いがする男が振り向いた。
「……モフモフさん?」
「危なかったな、ラヴィちゃん」
「えっ! あっ、うわぁっこいつ死んでたんじゃ」
ジロリとラヴィを睨むゴブリンのルチ。
「てめぇ、ラヴィちゃんを後ろから刺そうとしてたな。何者だ、人じゃないな」
「ヤバかった、そいつゴブリン、火の魔法使いだ。トロールもこいつが呼び出した」
深呼吸するラヴィ。モフモフさんの気配を全く感じられない、意識しても気配が無い。そこにモフモフさんは居るのに……まるで幽霊のようだ。
「ありがとう、モフモフさん。助かった……ヤバかった。完全にやられる所だったよ。こいつの事全然分からなかった。何で生きてんだよ」
(俺もモフモフって奴が近づいて来ているのが全くわからなかったぜ。いったいどんな奴なんだ? 死ぬ前に見てみたいぜ)
「ゴブリンって喋れないのか? というか言葉が通じないとか?」
「いや、ちょっとわからない。スワンに聞いてみるよ」
バリッ
トロールを包む木から、破裂音が響いた。
「あっ、やばいっ」
トロールから注意を逸らしたラヴィ。体を締め付ける力が緩んだのを、トロールが感じて力を込めたのだ。
バキバキ、メキメキバリ……
凄まじい木の破裂音と共に、木の破片を弾き飛ばしながらトロールが復活した。
「うわぁ、まずいっ。破られたっ!!」
怒ったトロールの筋肉が盛り上がり、ラヴィへ至近距離での攻撃を繰り出そうとした。
ラヴィの右側の空間が縦に斬られて、一瞬ズレた感じがした。そして何か "モワッ" とした空気のヨレを感じて右を向いたラヴィの耳に、 "ボトッボトッ" と、いくつもに切断されたトロールの体が地面に崩れ落ちて立てる音が入って来た。
モフモフうさぎが、ゴブリンの首に当てていた右手の剣、ライジングサンでトロールを斬ったのだ。
「あっ、あっ、モフモフさん……凄っ、で、ゴブリンが居ないけど」
「チッ」
ゴブリンのルチは、トロールの方から破裂音が聞こえた瞬間に死の覚悟から舞い戻って来ていた。そしてモフモフうさぎが首の前から剣を外した瞬間、逃げたのだった。
(強えぇ、見たぞ、見たぞ、見たぞ。何だあの2本の剣は。それに持っている奴が半端ねぇ、あいつはやべぇ奴だ。あんなのが居るのか? だとしたら勝てねぇぞ、逃げるしかねぇ。トロールをそこらの葉っぱを切るみたいに簡単に斬り刻みやがった)
暗がりから暗がりへ、気配を殺し狭い路地を走るゴブリンのルチ。ここで死ぬよりも、この情報を持って帰る事の方が重要であると考えていた。
奴らが追って来る気配は無い。上手く逃げきったようだ。ルチは暗い壁の影から移動しようと姿を出した。
「ようっ、また会ったな」
── 両手に剣を構えた死神が、ルチの目の前に立っていた。