53 聖堂から乗り込め
「お疲れ、ロイ。無事で何より。で、どうだった?」
ロイ・クラウンに声を掛けたのは、ロイと同じギルド "夜の豹" に所属するエルフのアサシン、TAKAだ。
「ちょっとトイレに行って来る」
そう言ってロイが固まる。
「あらら……緊張したのかな。まぁロイもよくやるわ」
動かないロイの側に立って、何気にロイを守るように辺りを見回すTAKA。夜目が効くエルフの集団に焚き火などは無い。息を殺して気配を断つ3つの部隊は今か今かと、隠密行動の始まりを待ちわびていた。
「すまんすまん、今行っとかないと後でお漏らしする羽目になるかもしれないと思って……」
ロイが現実世界のトイレから帰ってきた。
「おかえり〜、ゲートの先にトイレに行く余裕は無いって事かい?」
「あはは、さすがにそれは舐めすぎだよTAKA。偵察行動中に固まったりしたら、野良モンスターに喰われるぞ」
「だよなっ」
周りに居るエリックの部隊のメンバーも、聞き耳を立てて2人の会話を聞いている。ロイもTAKAもそれは分かった上で、わざと聞こえるように話していた。パーティーなどの団体行動で大事な情報の共有と、情報の独占で起きる、人間不信を回避する為にも必要であるからだ。
「ゲートAとBとCは森の中でゴブリンの気配は無かったけどゲートDに関しては、今部隊長達が話合い中だ。何気にあの人達、頭が柔らかいぞ」
「そうなのか? ドワーフの大将は凄え頭でっかちみたいだけどな」
「どうするんだろうな、普通なら夜の間は俺達は動かないと思うよ。でもそうなるとさ、昼まで待てない面子が多いっていうか、仕事してる人とか抜けてしまうだろうから、このままやるとか言い出しそうな気もするけど」
「どういう事? 今から部隊で偵察じゃないの?」
「かなりの数のゴブリンがゲートDの近くに居たようなんだ。TAKAはあいつらが夜行性だって知ってる? 昼は洞窟とかに潜り込んでおとなしくしてる種族だから、偵察行動も昼間に行うべきだって進言して来た」
夜も更けて来た。深層心理の中で暗闇が怖いと感じるのは人としての遺伝子がそうさせるのか……ゲームと割り切るにはハードルが高すぎるのがこのアンタレスONLINEである。
周りに人が居るとはいえ、暗い中で森の中をウロウロするのが怖いと感じ始めている人が、徐々に増えて来ている状態の偵察隊。
ヴァーチャルリアリティの追求は、もはやわざと作り物の要素を盛り込まないと現実と見分けがつかない段階まで到達していた。
ユーザーが使うキャラを、運営の方針でアニメチックなアバターを採用しているのは、わざわざ仮想現実世界に来た意味が無くなる程に、リアルな環境を作り出しているからだ。
そういう意味で、本当に真っ暗な夜が苦手な人には、次は参加したくないと思わせる程の重苦しい暗闇。月が雲に隠れてしまっている今は特にそう感じさせられる……
聖堂の方から部隊長達が歩いて来た、方針は決まったらしい。
結論は偵察行動はこのまま行われる事になった。現在のアンタレスは現実世界と時間を合わせているので、このまま昼を待つ事は出来ない、現状ではそういう事だ。
1度方針が決まれば、動きは早かった。ゲートAがエリック、ゲートBがポール、ゲートCにピクシーの部隊が偵察に向かう。
順に聖堂から転移して行く3つの部隊。
1時間きっかりで帰って来る。その計画で作戦は開始された。帰って来る頃にはアクエリアから、部隊移動用に新規導入されたドーリーが到着している予定だ。
帰りはもう走る必要が無い。移動手段としての乗り物も、今回の作戦に伴っていくつか導入されている。
運営は最後まで馬を導入しなかった。ファンタジーの世界観に相応しいのは馬なのか?それとも別の新しく創り出した生き物の方が良いのではないのか?という議論が続いていたからである。
しかし今回そんな事を言っている時間も無かったので、馬も素直に導入される事になった。
時間はあっという間に過ぎて行く。静かな聖堂の周りは虫の鳴き声が重なって鳴り響き、それは夜が明けて朝日が差すまで途絶える事は無かった。
夜半に聖堂に辿り着いた馬が曳くドーリー部隊は、誰も待っていない聖堂の異変に気づき、馬を1頭ドーリーから離してアクエリアへ走らせた。
帰って来ている筈の偵察隊が1人も居ない……アクエリアから遠く離れたベルクヴェルクの森で、偵察隊に何かが起きている。部隊の全滅……そんな不安がドーリーを曳いて来た隊員を襲っていたのであった。