44 空を見上げて
あれもこれも欲しいって思っても、それは幻想なのか。
もうすぐ昼になる。ラヴィアンローズにはパソコンも携帯もテレビも無い世界で過ごす時間が始まっていた。
「耐えられねえ……マジ暇だ」
音楽も無いと来てる。
(後戻りが出来ないのは分かってたけど、こうして過ごす俺の時間に意味はあるのか?)
公文書館から外に出て、外壁の上の遊歩道のベンチに座って街の外の風景を眺めながら思う。
「ぬあー、哲学者になりそうだ。刺激が欲しいよ」
さっきスワンと会った。相変わらず忙しそうで、今日は特に大事な仕事が降って湧いて来たので会議だそうだ。俺の事、ラヴィアンローズがこの世界の一員になってしまった事を、今はスワンとモフモフさんとマッテオと、マッテオの奥さんだけが知っている。
スワンと一緒に仕事をしている他のGMには、行方不明なっていたラヴィアンローズは、霧の谷ストレイで無事に発見されたと伝えられていた。
(俺がこうなったのは何の偶然なんだろうか? ……わかんね。ストレイに居た時には、なんだか周りの全てが自分? 変な表現だけど、そんな感じがしていた)
「リサ、元気にしてるかな?」
ベンチから振り返って後ろを見てみる。何かが見える訳ではないけれど、北の方にあるアクエリアの城にリサとロゼッタが居る、そうスワンから聞いた。
(ここから一直線に向かって行きたい。生まれ変わったリサは、もう俺の事は知らない新しいリサなんだってスワンが言った。でもいいんだ、俺はリサが生きている姿が見たい。俺の腕の中で体にヒビが入って行って消えてしまったリサ……)
「そういや、ありがとうって言ったんだよな」
モフモフさんは、ロゼッタを取り戻すとか昨日の夜に言っていた。それがどういう意味なのか分からないけれど、リサの思い出、あの時一緒に居たリサの事は俺が覚えている。
「ありがとう」「忘れないで」「ありがとう」「ローズ」「怖くない」「ローズ」「ローズ」「ローズ」……「大好き、もう一度逢いたい」
リサが最後に残した花びらから聞こえた言葉。
「そうだったな、俺も大好きだ。今でも好きだ。もう一度逢いたい、思い出しちゃったじゃないか。リサに逢いに行かなきゃ」
今日がどんな日なのか? 何の意味がある日なのかなんて、それは他人が決める事ではない。そもそも何の日だからなんて、当日を過ごす本人がいちいち意識している訳でも無くて、何かが起きたから、何かを起こしたから、だからその日が自分にとって記念すべき日になるんだ。
(薔薇の花束でも買って行こうかな? でも、お金が無いや。はあぁ、この世界に来てもお金に振り回されるなんてなんの因果だろう……。幸いなのは食わなくても死なないって事だけか)
ちなみに、モフモフさんは腹が減るという状態が、ステータスに反映されるって言ってた。他のプレイヤーもそれは同じで、腹が減ったら何か食わなければ最後には動けなくなるし、何かを飲むって行為も必要だ。
(ただしこの世界には俺が居た)
ラヴィアンローズの影響がアクエリアにも及んでいた。人々にラヴィアンローズと同じ味覚の感知が出来るようになって、今までのゲームでの、ただ食べる飲むと言う行為が全く違った物になったのである。
つまりアンタレスの中では、食べないとゲームの仕様上、不都合だから食事をするっていう事が、美味しいからお金を出してでも食べる。そういう変化が昨日から起こった。
美味しい物を食べながら、ワイワイガヤガヤ仲間と過ごす時間があんなに大事な事だったなんて、つくづく身に染みて来てる。変わらない面子でいつもの店で飯を食うって、とっても大事な時間だったなんて今になって分かって来て……
「でも、もう裕司も慎吾も山ちゃんもこの世界には居ないしな。元気してるよな、みんな」
青空が広がるアクエリアの街の上。
空に向かって言ってみる。あの空を越えれば俺が生きていた世界に抜けて行けるんじゃないかって思えたんだ。
「俺は元気です。みんな、元気でなっ。それと、元の俺、俺の兄貴扱いにするんだっけ、いや、やっぱ俺だ。そっちの俺の事をこれからも変わらずによろしくっ」
(声よ届けっ。そう思う時はいつも空に向かって思いを話かけて来たんだ)
空の向こうに、ここに居ない人達が居ると思って俺は顔を上げる。そうすれば涙は目に溜まるけど、こぼす事はないだろっ。そうやって時々俺は顔を空に向かって上げて来た。
ちょっと悲しいって思った時にはね。