38 始まりの朝
翌朝、俺はアクエリアの街全体で見れば南西の外壁に近い場所にある、公文書館の屋上の休憩室で目が覚めた。ガラス張りの展望室みたいな部屋だから、朝日が差すと否応無く目が覚めてしまう。
(ちゃんと眠れた。本当に眠れた、ははっ、ふぅっ。顔って洗えるのかな?)
朝起きてからの行動の基準は、こっちでも変わらない。洗面所、トイレ。
(そっか、トイレに行きたいって感覚が無いんだ。昨日も美味しい肉が幾らでも食べれて幸せだった。腹いっぱいって感覚が無いから無限に美味いものが食べれたし)
「モフモフさんとスワンはあの後帰ったんだっけ、えっとスワンはここまで一緒に来たんだったな」
大きな独り言は、もう癖になってしまっている。
昨日の夜にスワンから見せてもらった、現実の自分の姿。いつもと全く変わらない格好をしていた。高校の時から着ていたジャンバー、東京に来てから買ったワークキャップ、くたびれたジーンズに緑のリュックサック、何も知らない普段の俺がそこに生きていた。
もう1人の、というか俺だった本物の俺。"彼が" なんて言いかたをすると、自分と決別をするような気がした。
すがる親の傘を失った俺が、俺の根っこである俺自身さえも無くしてしまう。彼って呼ぶとそんな気がするんだ。だから、俺は現実世界に生きている俺の事を兄さんとでも呼ぼうかと思っている。
「兄さん、いや寧ろお兄ちゃんって呼んだ方がいいかな? はっきり言って俺がこっちの世界で俺をやる必要なんてもう無いんだ。ヒューマンの男じゃなくて女の子にして貰えれば、これからは俺は女の子として生きていけるじゃないかっ! そーだ、そーだ、スワンに言って、超可愛い女の子にして貰えはいいんだ。そうすれば、晴れて身も心も乙女になれて薔薇色の人生が始まるわけなんだから……それこそラヴィアンローズ」
考えもまとまらずに、適当な独り言が続く。
(スワン泣いてたな。泣くぐらいならこっちの世界に引き込んでやろうか……出来たりして)
どうやって自分がこうなったのかなんて、分かってはいない。夢の中で終わってしまっていた。マンドラゴラ、あれって俺の無意識の俺自身じゃないかって思えてきてる。現実逃避の願望が俺にはあった、自分の境遇がそうさせるのか、ゲームの世界にのめり込んでいたのも事実だ。
(それじゃいけないって分かってた。だから現実の俺、お兄ちゃんには俺を残して来なかったんだ。きっとそうだ、兄ちゃんは俺よりももう4、5日年上だ。1年経てば、1歳、10年経てば10歳年上になる。それまでこのアンタレスというゲームが続いているのか?無くなってしまえば、俺は消えてしまう事になるんだ)
「あぁ、もういきなりネガティブになってしまった……それまで頑張ろうぜ、俺」
朝早いというのに、ここから見える外壁の上の遊歩道には、プレイヤー達が走り回っている。スワンに聞いたが、他のプレイヤーは俺やモフモフさんみたいに、実の身体の感覚をゲーム中に失う事は無いようだ。
ログイン中でも、VRギアを取り外して何かを食べたりトイレに行ったり出来るわけで、普通にゲームを楽しんでいる。
(彼等の目的は何なんだろう?)
スワンから昨日の夜に頼まれた事、俺にこのアンタレスの世界を創る手伝いをして欲しいという事。
これがスワンの考えた俺の未来だった。
(俺が肉をモリモリ食べている隣で、ポツリポツリと語るスワンが、どれだけ真剣に俺の事を考えて来たのか、彼の様子を見ていると凄く伝わって来たんだ)
「モフモフさんも特例として、俺と一緒にアンタレスを創って行く事になったし、何気に俺ってチートパワー全開だしね。そりゃあもう、無課金ユーザーが満足出来る、じゃなかった、無課金ユーザーも少しはお金を使いたくなるゲームにしていかないといけないわけだ。俺にとっては死活問題!」
(そうさ、アンタレスONLINEが続く限り、俺の命は続いて行く。本気を出さなきゃ本当に死ぬんだから、真面目にやるぜっ。時間はたっぷりある、はずだ)




