37 肉の香り
街灯で照らされた噴水広場は、水の流れる音と夜の涼しい風が辺りを包み、昼間の喧騒とは打って変わって落ち着いた雰囲気が漂っていた。
ラヴィアンローズの現実世界でのデータを携えて、スワンがスポーンして来た。ゲームの中での時間軸をどう変えて行くかはβテストの段階で追い追い決めて行く事になっているのであるが、現状はプレイヤーの現実世界と同じ時間推移に合わせている。
スワンは小さな端末を取り出すと、ラヴィアンローズが今どこに居るのか確認をした。
「ここは……マッテオの店か」
アクエリアの街は拡張されたばかりだ。サーバーの統合によって人間も増えたので、初期のアクエリアの規模では狭いという感覚はスワンにもあった。今のアクエリアの街は、端から端まで歩いて行くと実時間で5時間かかる広さになっている。
スワンがモフモフうさぎのポインタも確認する。モフモフうさぎも、マッテオの店に居る。
「そうだな、結局そこに集まるか。街の移動手段を何か増やす必要があるな、遠いわ」
マッテオの店兼自宅はアクエリアの西門から、中心部に向かって伸びる大通り沿いにある。何せ広くなり過ぎた感のあるアクエリアでは、集客に苦労しそうだ。
噴水広場はアクエリアの街の中心部にある。そこから伸びる西への真っ直ぐな通りを、スワンは風を切って走る。
モーションスキルの解放、スキル値MAXを自分自身に施しているのでとにかく速い。それでも10分程走ってスワンはマッテオの店に着いた。
「ギャハハハ、面白え、ラヴィちゃん次はワサビやって」
「うさぎ、そのワサビってのは今度こそ美味いんだろうなぁっ!」
「美味いに決まってるだろっ、高級鉄板焼きの店では当たり前に醤油とワサビでステーキを食うんだよっ」
「じゃあ聞くけどな、お前はいつも食ってんのか?」
「あっ、いや、テレビで見た」
「……ラヴィちゃん、という事だ」
「うんっ」
口をもぐもくさせて、適当に返事を返すラヴィ。目の前にはレアに焼かれた厚みのある赤身の肉が、鉄板の上でジュージューと音を立てて置かれており、それを切っては口に運ぶラヴィは、ちらっと用意されたソースに目をやって、フォークに刺した肉をチョンとつける。
モフモフうさぎと、マッテオがラヴィを目で追う。
「うんまー、ワサビ醤油とステーキの相性、最高!」
「ほら見ろっ、ラヴィちゃんが美味いって言ってんだ。マッテオも早く食ってみろって」
「本当か?? ラヴィちゃんて演技するのが上手いからな、さっきも騙されたし」
先程のソースの味は、チョコミント味だった。その前の味は、タバスコにマヨネーズを混ぜた味。
店の奥で、マッテオの奥さんが笑って3人を見ている。
店の外に聞こえて来るラヴィ達の声を聞いて、力が抜けたスワンが居た。1人、現実世界のラヴィの家にまで行って、これからの事を考えながら、考えもまとまらず、ただただここまで走って来た。どんな顔をしてラヴィと会えばいいのか……
店の中からは、愉しげな声が響いて来る。ドアに手を伸ばしかけて、スワンはその手を止めた。
(今夜は、邪魔しないでおこう)
引き返そうとしたスワンの目の前のドアが、バタンッと開いた。
「やっぱスワンかっ、そんなとこに突っ立ってないで入って来いよ。俺様の耳は凄くいいんだぜ、いつ入って来るかと思ったら、入って来ねえんだから」
ドアを開いたモフモフうさぎが言った。
店の中から溢れる明るい光。通りにスワンの影を伸ばしてその姿を映し出している。
「心配すんなっ、ラヴィちゃんは大丈夫だっ」
肩を掴んで店に引き入れられるスワン。幸せそうなラヴィの姿を見て半泣きになったスワンの気持ちを、モフモフうさぎは何とかしてやろうと思っていた。