33 東京のある日の夕刻
スワンが現実の街を歩いている。都心から少し離れた、とある街がラヴィアンローズから言われた目的地だった。
ラヴィアンローズの住所と電話番号、本名をメモした紙を手に、現実世界のスワンは3階建のアパートの前で立ち止まった。
(〇〇51、間違いない、このアパートだ。3階の1番端の部屋って言ってたな。まだ部屋の明かりはついていないし、帰って来ていないみたいだ)
ラヴィアンローズが言うには今日はアルバイトが入っている日で、バイトが終われば夜19時には家に帰って来るという話だった。
簡単には信じる事の出来ない話をラヴィアンローズから聞いた。
霧の谷ストレイから、モフモフうさぎに連れられて帰って来たラヴィアンローズがスワンに話した事。それは現実世界のラヴィアンローズである人間から、自分は切り離されたコピーであるという事。にわかには信じられない、というよりも理解するのに時間が掛かった話であった。
(それが本当ならば、あの日、噴水広場が見えるあの部屋で自分がやった事が、ラヴィアンローズという1人の現実世界の人の人生を変えてしまう、もしくは終わらせてしまうきっかけを、作ってしまったという事だ)
スワンと話しながら、ラヴィアンローズは気丈に振る舞っていた。その時点で彼の言う通りに調べてみると、ラヴィアンローズ自体は数時間前にログアウトした痕跡が残っていた。
ラヴィアンローズ、彼は、本来操作をしている筈の体が無くなり、人に作られた電子記憶媒体の中に、"思考" 、 "思念" 、 "記憶" 、それらを全て備えた無機の中の有機体が産まれたという事実を体現している存在。
未だ世界にその様な事例は報告された事が無い、稀有な存在であった。
(それが本当の話なら……俺が採用した量子系記憶媒体は世間の噂通り、人工頭脳を作れるというのか。いやいや今はそんな事を考えてもしょうがない)
ラヴィアンローズの指定したアパートと、通りを挟んで建つ病院の駐車場で暫く時間を潰していると、自転車に乗った若者が、大通りの信号を渡ってこちらに向かって来るのが見えた。
服装、背格好、背中のリュック、帽子のロゴ。スワンは携帯でその若者の写真を撮った。5分程待つとアパートの3階の端の部屋に明かりがついた。
通りから部屋の写真も撮ると、スワンはその場を後にした。直ぐにでも会社に帰って、アンタレスの中のラヴィアンローズに報告してあげなければならない。
(この事を知るのはラヴィアンローズと、自分、そしてモフモフうさぎの3人だけだ)
「はぁ」
タクシーの中で溜息をついたスワン。
今後、これからどうすれば、何をすれば良いのか全く考えつかない。ただ頭の中に浮かんでくるのは
「じゃあ、よろしく頼むよっ」
そう笑顔を見せて公文書館から、アクエリアの街の外壁の上の遊歩道に向かって歩いて行ったラヴィアンローズの後ろ姿であった。