5 少女、考える
ココア・ルメール。
現在19歳の彼女はラプラス学園を卒業してからこのスプリング区へと越し、早々にお母様に見初められて私とお兄様の家庭教師となった。
腰まで届くココア色の髪は緩く波打ち、優しい同色の眼差しに溢れる母性。
正に第二の母である。
少々臆病なところもあるが、言うべき時はきっちり言うしっかり者。
此処に住むように勧めたが断られてしまい、今は近くのアパートへ住んでいる。
其処から定期的に通ってくれているので、何か用がある時は家まで押し掛けずに我が家で待機していた方が確実ですよと紹介を締め括った。
「え、えっと、ルルーシャ様とロイヤード様の家庭教師をしております。ココア・ルメールと申します。あの、宜しくお願いします…」
私への対応とは違い、見知らぬ人へ向ける怯えの含まれた視線。
そんなに怖いですかね?確かに見た目は堅気とは思えませんけど。
何より、私が怖いと思えないのは泣いていたことを知っているからかもしれない。
男が泣いているとこなんて、あまり見たことなかったから驚いたというのもある。
食べ物を貰って泣くくらいなのだから、余程のことがあったのだろう、家で。
何せ帰らないし、帰りたがらないし。
普通は犬だとかポチだとか言われたら嫌だろうに。
「さて、次はポチの番ですよ。私もポチのこと知りませんし、言いたくないことは言わなくて構いませんから、貴方のことを教えて下さい」
「む…。俺の何を話せば良いんだ」
「名前はどうです?」
「名前か…俺の名前はワイドと言う。家の名は…恐らくもう名乗れないだろう、任務に失敗した俺は戻れば殺される。戻るつもりもなく、あの家の名を継ぐ権利もないから気にしないでくれ」
ポチの本名が判明した。
名字はなし、と。
ワイドさんですか、宜しくお願いしますね。なんてココアさんが愛想笑いを浮かべた。
人見知りをする彼女にはまだハードルが高いらしい。
「後はー…年齢はどうでしょう、何歳ですか?」
「十八だ」
「あ、ココアさんより年下ですよ!」
「そ…そうですね…ふふふ…」
遠い目をしたココアさんに、でも一つしか変わらないじゃないですか!それにココアさん素敵ですよ!私はココアさんの方が好きです!しわくちゃのおばあちゃんになっても変わらずに大好きです!アイラービュー!
ココアさんファンクラブ会長の私が全力で愛を叫ぶ。
苦笑いされた。
「そういや私も自己紹介してませんでしたね、ルルーシャ・レメリックです。十歳です。で、さっきから気になってたんですけど任務って何ですか?」
「暗殺だ」
「え」
「ええっ!?」
がたりと音を立ててココアさんが椅子から離れ、ポチから距離を取る。
ちょっと!ココアさんを怖がらせないで下さいよ!
素朴な疑問へとんでもない返しをされた衝撃が大きかった。
しかし、確かに暗殺する人は黒い服を着てそうなイメージがあったので、まあ納得だ。
その服装が逆に目立ちそうだとは言わないでおこう。
私の中では完全に悪目立ちだったぞ。
「その暗殺については聞かない方が良いですか?」
「いや、主の命令は絶対だ。知りたいのなら全て話そう」
「良いんですか!?」
身を乗り出す私にココアさんが「駄目です駄目です危ないです」と言い聞かせてくるが、うっかり知り合いが暗殺対象になっていた場合を考えると、少しでも自分が安心出来るように知っておくべきじゃないだろうか。
それに、このスプリング区は私の親が統治している。
其処で暗殺が実行されたら責任問題に発展して問題になってしまう。
それは嫌だ、今の生活は気に入ってるんだ。
自分本意ではあるものの、別にプライバシーの侵害をする訳でもないのだから深く考えずに聞いてみた。
ポチも、日常会話の一つみたいな軽さでさらりと答えた。
「最近アラクニドの砦に収監されたウィンター区のイヴァン・ホルダーという男だ」
良かった知らない人だ。
えーと、国の中央にある王都の東が私達の住むスプリング区だから…ウィンター区は北か、一応は隣接している区域だから馬を走らせれば一日で着くな。
ん?でもアラクニドの砦に収監?それは暗殺に失敗した後?監獄にまで暗殺に行ったとしたらそれはそれで凄いよ。
失敗したとしても。
で、どっちだ。
問い質す。
「…ウィンター区へ行き、ホルダーを見つけるところまでは簡単だった。あの辺りは常に雪が降り続いているせいか、人も少なく外に出る者も限られている。だからこそ簡単な任務だと、俺一人で向かったんだ」
「へー…雪ですか、良いですね。私も今度行ってみますよ」
「えっ!ですがルルーシャ様、ウィンター区は寒さで食物も育たないので常に貧困状態なんです。宿もありませんし、野宿すれば追い剥ぎに遭って一晩で凍死しますよ!」
「あ、前言撤回します」
観光に行く気でいたのにそんな危なそうな場所だったとは…というか詳しいなココアさん。
何で知ってるの。
聞けば、ラプラス学園にウィンター区出身の人がいて小耳に挟んだとか。
えー、出身の人が言っていたとか信用性が高くて怖いですよ、絶対に行きません。
私は此処で生きていきます。
「あ、話の腰を折ってすみません。一人で向かって、それから何があったんですか?」
「う、むぅ…。外で作業をしているホルダーを見つけ、周囲に人がいないかを確認した時に来たんだ、騎士団が」
「騎士団」
エリート警備隊がウィンター区に何の用だろう。
王宮、もしくは王都にいるものだと思っていたが、辺境にまで活動範囲が広がっているとかそういうことだろうか。
確か、お兄様が騎士団を目指している筈だ。
ブラック職場じゃないよな?そんな場所に兄をやらんぞ。
「騎士団の方がわざわざウィンター区へ行くだなんて…何かあったのでしょうか」
「理由は知らんが、ホルダーに用があるのは確かだ。邪魔だったので先に潰そうと思ったが…異能者に邪魔をされ、ホルダーは連れて行かれた。ウィンター区に騎士団が派遣されるくらいだ、暗殺依頼がきたのも頷ける」
「ふーん。騎士団ってそんなに強いんですか?」
「全員が強い訳ではない、ただ異能者は別だ。騎士団の異能者は王都でも屈指の強さを誇ると聞くが…あのガミジンは抜きん出ている」
「ガミジン?」
な、何ですか?名前ですか?
騎士団については特にこれといった知識もないんですよ私、初めて聞いたんですけど誰ですかそれ。
私のお兄様を虐めそうな感じの人でした?そういう人がいるならお兄様を騎士団なんかにあげませんよ。
あんなに優しいお兄様に何かあったらと思うと不安で不安で夜も眠れない。
愛し過ぎて夜も眠れない感じになりそうですね、はい。
ヤンデレ化する前に、誰ですか何ですかそれ、とポチに詰め寄る。
「ガミジンは騎士団に所属している異能者だ。能力名ばかりが知れ渡り、騎士団の異能者は能力名で呼ばれる」
「ああ、それで負けたってことですか、成る程。そりゃあ負けますよね、チートですもん」
はいはい頷き、それでその人の風貌はどうでした?性別は?年齢は?雰囲気は?お兄様と仲良くなれそうな感じですかね?騎士団って危ない人の集まりなんですか?
再度詰め寄れば、ポチは表情を一切変えずに「確か…性別は男、年齢は二十代前半か十代後半だったと思う。雰囲気は…知らぬが、ルルーシャ殿の兄ならば問題なく親しくなれるだろう」と答える。
ふーむ、でしたら良いんですけどね。
ついでに騎士団についても聞いてみようか。
お兄様に聞いても警備するとしか教えてくれないし。
「騎士団って結局どういう組織なんですか?警備だけって感じじゃないですよね」
「一言で言えば警備だからな、簡単に説明しようとすればそう言うしかない。王宮の警備、王都の警備、犯罪者を取り締まり、戦闘をすることもある。常に国の治安を護る為に動く組織が騎士団だ」
「あー…お兄様が憧れる訳ですね。あっ!ちょ、ちょっと待って下さい!まさかとは思いますがポチ…騎士団に目をつけられたとか、ないですか…?」
押し黙るポチを見て顔を手で覆う。
マジかー!そうだよなー!そうなるよなー!顔くらいは覚えられてそうだよなー!
ショックを受けて天を仰ぐ私。
オーマイゴッド、これで指名手配とかされていたらどうすんだ。
どうなんですかそこんとこ!と怖気づきながら聞く。
騎士団が家に訪問する未来とかありませんよね?お兄様は騎士団に入りたいんですから、世間体を考えた言動を考えて下さいね、これからは!気をつけるのは今後で良いですから!
指名手配されていることを前提とし、頭の中で家宅捜索されている情景を思い浮かべる。
ひいい!元凶を辿れば私がポチを拾ったことが悪手ということになるじゃん!
そうならない為にはどうする?あ、その騎士団の奴等を潰すか?そうすれば目撃者はゼロ。
うんうん。
ははっ、ふざけてるわー。
「顔は殆ど見られていない筈だ、ガミジンの能力のせいで殆ど俺も相手を見ることが出来なかった。それに、此処にいることは知られていないだろう」
「そういえばそうですね!じゃあ大丈夫です!」
でも必要最低限は気をつけておこう。
面倒なことになるのは御免だ。
他に何か聞いておくことはあるかな…ないな、今のとこ。
することと言えば、ポチの紹介を父にするくらいか。
それは後で良いや。
あ、それよりも私の役に立たない透視能力とやらをどうにかしたい。
せめて使いたい時に使うくらいには制御したい。
「話が戻るんですけどココアさん、この透視能力をどうにかしたいんです」
「あ、ああっ、はい、そうでしたね。えーと、ではトランプをしましょう。透視能力とは相性が良い筈です」
トランプか、何処にしまったかな…。
立ち上がり、引き出しを覗く。
私物が少ない私の棚は整理されているから直ぐに目当ての物を見つけることが出来、テーブルへと戻った。
「では、ポーカーをしましょう。ルルーシャ様は目を閉じたまま、カードを透かして見て下さい。能力を完全に制御することが出来れば、百戦百勝は簡単でしょう」
「成る程。ひたすら使って慣れるということですね、やりましょう。ポチもどうせ暇ですよね!」
「む…」