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神様の決めた一対

神様の決めた一対

作者: 佐村 蒼

「バッカじゃねーの」

 彼はそう言って、蔑むように私を見た。彼は私より頭二つ分くらい背が高くて、容易に私を見下せる。

「……バカじゃないもの」

 そう反論する私の声は小さくて、決して彼には届かない。

 彼は、呆れたように私を一瞥すると、踵を返した。そのまま振り向くことなく、その場を立ち去る。

 一人残された私は、うつむきながらスカートをぎゅっと握りしめて、つぶやくことしかできない。

「バカは、ジェスだもの…」

 ジェスは私の幼馴染で、許嫁いいなずけで。――そして、つがいだった。


***


 私とジェスはその昔、とても仲が良かった。

 生まれたときからのお隣さんで、この山間にある小さな村では、同じ年頃の子供も少なくて、毎日いっしょに遊び、森にいっては木の実をつみ、川にいっては魚取りをした。

 やがて大きくなって、8歳をすぎるころになれば、仕事を覚えるために私たちは自然と離れた。

私は5、6歳年上のミーシャやシアに混じって、一緒にレース編みや刺繍を習うようになり、ジェスは大人の男の人にまじって、森に狩りにいくようになった。それでも、お隣さんだったから、顔をあわせる機会も多くて、私たちは毎日、お互いに今日あったことを話した。

 ジェスは、今日捕まえたうさぎのことや、森に咲いていた綺麗な花のこと。その花はお土産に持ってこられて、けど一日ジェスのポケットにつっこまれていた花はしおれてしまっていた。それでも、私は嬉しくて。ジェスが、「もっと綺麗だったんだ!」って焦っていうのがおかしくて、嬉しかった。

私からは、今日習った刺繍のことや、そのときに聞いた村の人の話。誰と誰がいい仲だとか、誰の番が見つかったとか。特に番の話は、とてもわくわくして、どきどきして、とても熱心に話したことを覚えている。

つがい

それは、神様が決めた男女の一組のこと。番を見つけられた男の人と、そして番に見つけてもらえた女の人だけが、夫婦となって子を作ることができる。だから、男の人は必死に番を探し、女の人は番に見つけてもらえるよう自身の存在をアピールしながらひたすら待つ。

小さいころはわからなかったけれど、寝物語として聞いた番の話は、自分を熱心に想ってくれるその存在にひどく憧れた。

私の番はどこにいるのかしら。いつ、見つけてもらえるのかしら。

神様が決めた一対というその存在が、ひどく耽美できれいなもののように思えた。

だけど。神様が決めたその一対であれば、お互いに相手を好きになれるのだと、どうして思ってしまったのだろう。


私とジェスの関係が、壊れてしまったのは、ジェスが私を自身の番だと知った瞬間だった。


彼にとって私は、ただの幼馴染で。

ジェスが恋心を抱いていたのは、違う人だった。彼が、近くの大きな町に遊びにいったときに会った綺麗な人。

彼は、その彼女に出会った日の夜、私に向かって熱心に彼女の話をしてくれた。彼女の金の髪がいかに美しく艶めいていたか、彼女の緑の目がどれほど鮮やかだったか、彼女の声は小鳥のさえずるように可憐で、彼女の物腰は淑女のようにたおやかであったことについて、ずっとずっと。

彼は、私のくすんだ灰色の髪を褒めてくれたことなんてない。私の冷たい水色の目を褒めてくれたことなんてない。私の声や物腰なんて、気に留めたこともないだろう。

その彼の話は、彼が私の番だったらいいとひそかに願っていた私の心を無残に切り刻んだけれど、彼に番が見つかったことは素直に喜ぶことができた。

そして、早く私のことも番が見つけてくれたらいいと思っていた。私のくすんだ髪や、冷たくて怖いと言われる水色の目を美しいと讃えてくれる、素敵な人が現れたらいいと願っていた。

なのに。

私の番はジェスで、ジェスの番は私だった。

どうして番だとわかるのかなんて、分からない。だけど、私たちが14歳となったある満月の晩に私に告げに来て、それを否定することなんて出来なかった。

「リリィ、お前が俺の番だ」

 その一言だけ告げた彼は、ひどくつらそうだった。「どうしてお前なんだ…」と漏れた彼の声が、どこまでも本音を告げていて、私は泣きそうだった。

 どうして、私の番は。私が番であることをちっとも喜んでくれないのだろう。

 どうして、私の番は。私のことを褒めてくれないのだろう。

 どうして、私の番は。……ジェスなんだろう。


 その後、私たちは互いに番だとして、許嫁となった。村のみんなは祝福してくれて、お母さんもお父さんも嬉しそうだった。

こんなに早く番が見つかるなんて、すごく喜んでくれていた。

 嬉しくなさそうなのは、番となった私たちだけ。番が決まってしまったことに、絶望しているのは私たちだけ。

 婚姻が許されるのは16歳を超えてからだから、私たちはしばらく許嫁であることになって、家もそれぞれの親と住み続けることにした。けれどみんな、16歳になったら結婚して、一緒の家に住むと思っていたし、そう期待されていた。

 期待していないのは私たちだけ。一緒に暮らす時期を遅らせることを願っているのは、私たち――いや、ジェスだけ。


 ねぇ、どうして。

 ジェス、そろそろ私が番であることを認めてよ。


***


 うららかな陽気。

 眠たくなってしまいそうな窓辺で、私は頼まれたものじゃないレース編みを、嫌々ながらやっている。

「あら、なぁに。花嫁が自身のベールを編むのに、どうしてそんな顔をしているの」

「お母さん」

 私が今編んでいるのは、自分の結婚式のときに身に着けるベール。花嫁のドレスは、お店に頼んだり、母親が作ってくれたりするものだけど、ベールだけは自分で作ることが慣例だ。

「ほら、ここの模様が傾いてしまっているわ。もう少しで結婚式でしょう、頑張りなさいよ」

「えぇ、そうね」

 やる気のちっともこもらない私の声に、お母さんは呆れたように溜息をつくけど、私がちくちくとレース編みを続ければ、それ以上何も言わなかった。隣に座って、綺麗な肩掛けを編んでいる。これは、きっと町に卸して売ってもらうものだ。この肩掛けは、きっと彼が憧れていた金の髪の彼女のような美しい人に使ってもらえるのだろう。

 このベールは、つまらない私に使われるのに。

 もう一度だけ溜息をついて、レース編みを続ける。本当は、ほぼもう出来ているのだ。だけど、一度編んでは解いて、編んでは解いての繰り返し。ベールが出来なくては、結婚式が出来ない。結婚式が出来なければ、ジェスと結婚していっしょに暮らさなくてもいい。

 そう考えたら、このベールはずっと完成させられない。少なくとも、ジェスがもう少し、私といっしょに暮らすことに前向きになってもらえなければ。

 ジェスはいまだに、私が番であることを嫌がっている。私の顔をみれば眉をよせ、私が話しかえればうっとうしそうにしながら、すぐに立ち去ってしまう。

 だけど、他にどうしようというのだ。

 私とジェスは番なのだ。ジェスの番は私以外ではありえず、それは私がどうにかできることじゃない。

 結婚した後に住む家は、それでもいっしょに探してくれた。仕事の合間に修繕してくれていることも知っている。寝台やテーブルといった、最低限生活に必要なものも準備すると言っていた。

 けれど、どんな戸棚をいれようとか、カーテンや絨毯の色とか、相談しても私の好きにしていいというばかり。ジェスも住む家なんだと伝えても、自分はほとんど家にいないからと相手にもしてくれない。

 家におらずに、どこにいようっていうのだろう、ジェスは。町におりて、そして。――さすがに、それ以上考えることはやめた。

 ちっとも相談ができないことを理由に、私は家の支度を後回しにすることにした。家の彩りは、暮らし始めてから少しずつ整えていけばいい。


***


「リリィ、結婚おめでとう!」

 今日は、何回この言葉を言われただろう。言われるたびに、にっこり笑顔を浮かべて「ありがとう」と繰り返す。

 ベール作戦は、あまりうまくいかなかった。業を煮やしたお母さんに、びしばしと指導をされて、ベールは完成してしまった。そのおかげか、ひどくきれいな仕上がりになって、みんな褒めてくれたけど。それは嬉しかったけど。

 やがて、陽が沈んで、結婚式と宴が終わる。

 みんな家に戻って、今日のことを祝いながら眠りにつく。

 けれど結婚をした私たちは、今夜は初夜だ。……本当に、初夜をやるんだろうか。

 お母さんをはじめ、近所のおばちゃんたちに教え込まれた初夜は、なんだかよくわからなかった。花婿の方がひどく積極的で、花嫁のできることなんてほとんどないから大丈夫だって。

 けれど、花婿の方がひどく積極的だなんて、私には到底思えない。だって、私の相手はジェスだもの。


 心配なまま、私は新しい家の前にたどり着いた。

 花嫁は先に家に入り、支度をして花婿を待つ決まりだ。その間、花婿は男の人だけの宴で結婚を祝われる。

 だから、急いで支度をしなければいけない。そう思っても、本当に初夜をやるとは思えず、そのための支度をすることも気が重たい。

 支度をして待っていて、それで。ジェスからまた「バッカじゃねーの」って言われて、蔑んだような目で見られて、別の部屋に入ってしまう姿が、容易に想像できてしまった。

「本当に、バカみたいね…」

 どうして、この結婚をやめられなかったのだろう。

 いくら番が私でも。いくら番がジェスでも。

番でなければ夫婦になれないけれど、番であれば夫婦にならなければいけないなんて決まりはなかったのに。

 番が見つからずに、ずっと独身のままでいる人だって多くはないけど、それなりにいる。

 ずっと独身のままでいたって、それでも良かったはずなのに。

 結局私は、ジェスが私の番で、ジェスと結婚できて嬉しかったのだ。だから、番であることを理由に、ジェスに結婚を迫り、ジェスといっしょに暮らすことを強要したのだ。

 だから。

ジェスが私を拒絶していたとしても、いっしょに暮らすことに前向きじゃなくても、仕方ない。

 そこまで考えて、私はようやく玄関を開けた。


 そこで見たものは、私が望んでいたような可愛い家だった。


 若草色の玄関マット。クリーム色の衝立の後ろには、立派な樫の木で作られたテーブルと椅子。白色で塗られた食器戸棚。カーテンの色は水色で、窓枠まできちんと塗られている。

 やがてたどり着いたのは、寝室につながるドア。

 そこを開ければ、そこには私用の可愛いチェストと、彼の洋服戸棚と。そして大きな寝台が一台だけ。

 それは、何を意味しているのか。

 私が頭を真っ白にして、固まっていれば、後ろから急に声がした。

「おい、何も支度をしていないのか、もしかして」

「えっ」

 驚いて振り向けば、寝室のドアのところには、ジェスの姿があった。

「ジェス、宴は…」

「もう終わったよ。おまえ、一体どれだけ時間が経っているのだと思っているんだ」

 そう言われて窓の外を見れば、月がもうだいぶ高く昇っていた。

 私は、ずいぶん長い間ぼんやりしていたらしい。

「なぁ、おまえさ。もしかして、まさか……知らないのか」

「知らないって、なんのこと」

「つまり、結婚式の夜に、その、花嫁と花婿が何をするのか」

 一瞬言いよどんで、顔を赤くしている彼は、もしかして初夜のことを言っているのだろうか。

 けれど、どうして。

 ジェスは、私と初夜なんてしたくないんじゃないの。

「……するの?」

「しないのか!?」

 ためらうように言った私に、ジェスはひどく焦燥した様子で反応した。

 その反応に、私が驚いた。

「なんでだ、この家が気に入らなかったのか。絨毯もカーテンも、食器戸棚もテーブルも、全部リリィが憧れを口にしていたものだろう」

「どうして知っているの」

「そんなもの、生まれたときから一緒にいて、おまえから何回聞かされたと思っているんだ」

「だって、ジェスはずっとどうでも良さそうだったわ。私が何度相談しても、ばかばかしいって」

「だってそうだろう、おまえの望みのとおりにするのが俺の望みなのに。家具がどんな形で、何色だって、俺はおまえが喜んでいればそれでいいんだから」

「そうは言わなかったわ」

「……どうして、そんな恥ずかしいことを、あいつらの前で言わなければいけないんだ」

 ジェスは、そこまで言うと何か思い出したのか、頬を赤く染めながら、そっぽを向く。

 今までにないジェスの態度に、私は戸惑うばかりだ。確かに私がジェスに話しかけるのは、ジェスの周りに友達とか人がいるときだったけど。

だけどそうしなければ、ジェスは私の話なんて聞いてくれないと思っていたのだ。私の姿を見れば、すぐに逃げようとしていたのだから。

 そうして黙り込んでしまった私を、ジェスは伺うように見て。おそるおそるといった様子で、口を開く。

「もう、いいか」

「え?」

「支度がしたいか」

「ジェスがなにをいいたいのか、わからないんだけど」

「だから、初夜の準備だ」

「……」

 反応できなかった私を、どうか責めないでほしい。

 どうしてこの流れで、初夜の話になるのだろう。あれ、ずっとその話をしていたかしら。

「リリィ、考えごとも結構だが、もうそろそろ俺の理性が切れる」

「ジェス、だからその、」

「ここは寝室で、お前は花嫁だ。初夜のための衣服もあると聞いているが、そのドレスもベールも十分きれいだ。どのみち脱ぐんだから、同じだろう」

「えっと、ジェス」

「もう待てない。諦めろ」

 そう言って、ジェスはそのまま私を抱き上げて。近くにあった寝台にそっとおろす。そのまま覆いかぶされれば、私は身動きがとれない。

 一体何が起こっているのか。

「ジェス、なにしてるの」

「初夜」

 そういいながら、彼は私の首元に顔をうずめるものだから、声がくぐもっている。

 首筋にかかるジェスの吐息に、ぞくりと覚えのない感覚が背中を走った。

「や、ちょっと待って、まだ支度をしてないし、」

「俺は待った、支度がしたいかとも聞いた」

「したい、したいわ!だから、もう少し待って」

「嫌だ」

 会話をしながら、ジェスの手は私の体をなぞるように撫でていく。そのたびに、これまで感じたことのない変な感覚が私の体をのぼっていく。

 しゅるり、とドレスのリボンをとかれたところで、私ももう限界だった。

「いや、ジェスやめて!」

 さけんだ私に、ジェスの動きがようやく止まる。

 先程から感じていた変な感覚のために荒くなってしまった息を、一生懸命整えながら、私は口を開いた。

「どうしていきなり、こんなふうになるの」

「いきなり?」

 ジェスは、訳が分からないという顔をしている。

訳がわからないのは、私の方だわ。

「だって、そうでしょう。ずっとジェスは、私が番だなんて認めてなかったくせに」

「俺の番は、14のときからずっとリリィだけど。おまえにも言っただろ」

「私じゃなければいいって、ずっと言ってたわ。私が番であることを嫌がっていて、どうして結婚したからって急にこうなるの」

「お前じゃなければいいだなんて言ったことないし、嫌がってもないだろ。お前が番で、嫌だったことなんて一度だってない」

「なによ、私が番だって告げに来た日、『どうしてお前が番なんだ』ってつらそうにしてたくせに!」

 私だって、そこまで言うつもりはなかった。

 だけど、ジェスの態度が、どうしても許せなかった。

私が番であることが嫌だったことがないなんて、そんな嘘は許せなかった。

「私の姿を見れば逃げて、話しかえれば疎ましそうにして。私のことは一度だって褒めたことなんかないくせに、私のことなんてちっとも好きじゃないのに!

番だからって、結婚なんてしなければよかった!」

そう私が叫んだ瞬間、ジェスからは表情が消えた。そして次に浮かんできたのは、ひどく苦しそうで、悲しそうだった。

「本気、で言ってるのか」

「なによ、」

「本気で、結婚を後悔してる、のか」

「だったら、どうだっていうの」

そう問い返した私の声は、ひどく尖って攻撃的だった。ジェスの声が悲しそうだから、私がいじめてるみたいね。

どうしてこんな茶番を繰り広げなければいけないのだろう。ジェスの顔をもう見たくなくて、顔を横に向けて枕にうずめる。

「っ、悪、かった……。

おまえに、そんなふうに誤解されているとは、思って……なかった」

ねぇ、そんな辛そうな声を出さないでよ。私がひどい女みたいだわ。

「誤解?」

「リリィは、番がどういうものか知ってるか」

「話をごまかさないで」

「知らないのか」

そのまま話を告げようとするジェスの態度に、また怒りがこみ上げてきて、まだ覆いかぶさったままのジェスをキッと睨みつける。

「知ってるわ。またバカにしてるの?

 神様が決めた一対、番でなければ夫婦になれず、子もできない。だけど、番だからって相手のことを好きになるわけじゃないわ。それはジェスが一番よく知っているでしょ」

「知りたくなかったけどね。そう、番でなきゃ子はできない。その意味を本当にわかっているのか」

「意味って、どういうこと」

 ねぇ、それよりも。

 ジェス、あなた今、自分が私を好きじゃないって肯定したことに気が付いているの。

「もしかして、子どもの作り方を知らないのか」

「子どもの作りかた…? 子どもは作るものじゃなくて、できるものでしょう」

 夫婦が寝室でいっしょに眠れば、お母さんのお腹に子どもが出来る。そして、十月とつきを待って、赤ちゃんがお腹から出てきたいって合図を出して、この世界にお目見えするのよ。

 弟が生まれたときに、お母さんからそう教わった。

 なのに、ジェスはその答えが間違っているかのように溜息をつく。

 けれど、いつもと違ってジェスの雰囲気が柔らかいのはなぜだろう。

 私ばかりが怒っていて、つんけんしていて、刺々しい態度だわ。

「子どもは、夫婦がその、初夜でやることと同じことをしなければ出来ない。さすがに、初夜でなにをするのかは知っているんだろう」

「……身体を磨いて、薄い衣をまとって、そして夫を待てって。後は任せればいいって」

「どうしてそう、他力本願なんだ!」

 俺が説明するのか!って嘆いているジェスは、どういうわけかどこか照れくさそうにしている。

 もうなんなのよ、何が言いたいの。ジェスが私を拒絶していたって話から、話がずれてる。

「ねぇ、ごまかさないでよ。さっきだって、私が好きじゃないって認めたわよね?

 何が一体誤解なんだっていうの」

「まずそこだよ。俺がリリィを好きじゃないんじゃなくて、リリィが俺を好きじゃないんだろう」

「どうしてそうなるの!」

 ジェスのあり得ないセリフに、思わずカッとなる。私はずっとジェスが好きなのに!

「さっき、『番だからって相手を好きになるわけじゃない』って言ったじゃないか。それに、番だからって結婚しなければよかった、とも。俺を好きじゃなんだろう、知りたくもなかったけど」

「それは、ジェスが、」

「番を見つけた男はね、番に強い性的衝動を覚えるんだよ。それを知りもしないで、リリィは俺に近づいてくる。その場で押し倒さないためには、はなれるしかないじゃないか」

「……え?」

 それは、あまりに突然で、暴力的なセリフだった。

『せいてきしょうどう』って、それって、『性的衝動』ってことかしら。それはつまり……え?

そこで頭が真っ白になって、ピタリと思考がとまってしまう。けれど、ジェス話をやめずに、そのまま言葉と続けた。

「普通はさ、結婚できる年齢をすぎてから番が見つかることが多いんだ。だから、結婚の準備ができるまでは婚約であっても、すぐに結婚するからって、結婚前に、その、やってもいいんだ。

 だけど、俺らはそうじゃなかっただろ。まだ若いからって、結婚した後じゃなければ許されなかった」

「えっと、なにを…?」

 そう聞いたけれど、嫌な予感がする。

 ジェスの雰囲気がおかしい。なんだか興奮していて、狩りのときに獲物を追い詰めたときの話をしていたときと、同じ顔をしてる。

「説明するよりした方が早い」

 そう言うと、ジェスはまた覆いかぶさってきて、私の身体に触れた。

 ジェスの唇が、私の頬に触れる。ちょっと待って、これってキスだよ。

「ジェス、ねぇ何してるの。やだ、やめて。触らないで。どうしてキスするの!」

「だって初夜ってこういうものだ。お互いに裸になって、素肌に触れたり、全身にキスしたり、その後、なんというか」

 熱のこもった声で説明するジェスは、そのまま私の身体に触れ続ける。何度となく頬と、耳とおでこにキスをされて、首筋をもう一度舐められたときに、ついに悲鳴をあげた。

「ひゃっ、もう嫌っ!!」

 覆いかぶさっているジェスの身体をぐいぐいと押して、囲われてる腕の中から逃げ出そうとする。

 おかしいわ、まだジェスが態度を豹変させたわけもわからないのに、このまま流されていいわけない。

 お母さんたちが言っていた、花婿に任せればいいっていうのがこういうことなら、絶対にこのまま初夜を迎えるなんて嫌。

「ジェス、やめて。このまま初夜をするなんて、絶対に嫌。とりあえず離して、ベッドからおろして。ちゃんと説明してくれないなら、初夜なんてしないわ」

 ジェスの目を強く見つめる。そのまま何秒たったのか、折れたのはジェスだった。

「……わかった。うん、我慢するよ。ちょっと俺は外で興奮を落ち着けてくるから、その間にリリィはそのドレスを着替えてくれる?そのままのリリィを見ながら、落ち着いて話を出来る気がしないんだ」

 そういいながら、ジェスは苦痛に満ちた顔をして、ゆっくりと身体を起こし、ふるふると頭を振って外に出て行った。


***


 その後の話合いがどうだったのかは、割愛させてもらおうと思う。

 ただ私がとても恥ずかしい勘違いをしていたことや、男の人って大変なんだってことは、よく理解した。

 それと。私がずっと気にしていたあの金髪の彼女のことと、番だと告げに来た日のことを、ジェスはちっとも覚えていなかった。

 綺麗だなって思う気持ちと、好きだって気持ちは全然別なんだって。

 ずっと私を避けていたのは、その、私が傍にいると、ずっと抱きしめて、『おそいそうになる』から一生懸命離れていた、と。

 それはでも、なんとなくわかる気がする。

 結婚したあの日から、ジェスは私の傍を離れなくなった。今までのことはなんだったんだろう、っていうくらい、ずっと傍にいて、私を抱きしめているか、身体のどこかに触れている。

 狩りに行くために家から出るときは、私のことを心配して外出するな、とかむちゃくちゃを言うし。

 夕方にはすぐに帰って来て、夜には同じベッドで休んでいる。……そのせいで、たまに私は翌日、ベッドから起き上がれなくなる。


 そうして、私たちはゆっくりと家族になった。――神様の決めた一対として。



【蛇足的な小話】


「ねぇ、そんなことをしたら、子孫が残せなくて滅んでしまうんじゃないのか」

下界を見下ろしていた〈ボク〉に声をかけてきたのは、他の世界を管理している〈神様〉だった。

「それは、彼らが『神様の決めた一対』と呼んでいるもののこと?」

 そう聞けば、そうだと返事が来る。

うーん。やっぱり、気づいちゃうか。

「決められた男性と女性の組み合わせのみ、子をなすことが出来る。またその相手は、男性しか探すことができない。

 それなのに、キミの世界の『人間』は結構移動するし、生まれた群れから離れることも多いだろう。一対の相手に会える可能性は、そういう意味ではどんどん低くなる。

おまけに、男性は決められた相手としか子が成せず、その相手には強い性的衝動を覚えるけれど、そうじゃない女性にだって、性的欲求は覚えるときたものだ。

 男性が、キミが番だと言えば、女性はそのことが真実なのか嘘なのか、それも分からない。

 子が成せる一対が出来る可能性をそれほど低くしていて、種族として維持できるとはとても思えない」

「ロマンチックでいいじゃない」

「種族としては、滅んでもいいと」

「だって彼らは、決められた相手をずっと探していたんだもの。運命の相手。

だから、この人が相手だよ、って教えてあげた方が親切だって、思っちゃんたんだ。

それで彼らが滅んでも、〈ボク〉の責任じゃないさ。他の種族が、そのポジションにとって代わるだけだよ」

「……キミがわかってやっているというのなら、〈ワタシ〉の関知するところじゃない。けれど、キミは、その『人間』という種族をひどく愛していたから、心配になったんだよ」

「うん、愛しているから。だから、彼らの求めている運命の相手を、あげたくなったんだ。それで滅んだって、彼らがそう望むなら、そうしてあげたいって思うんだよ」

「うん、そうか。そうだね」

そうして〈ボク〉は、また下界をのぞいて、新しく成立した『一対』に、祝福を贈った。


それは、誰も知らない天界の出来事。


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― 新着の感想 ―
[一言] かわいい二人に癒され、楽しく読ませていただきました。番設定のおかげで、勝手に脳内が登場人物たちにケモ耳付けてました(笑) 番以外には性的欲求は来ないのですね。番に逢えない独身たちはかわいそう…
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