Act.3-01
店に連れて来られた時は、一時間程度で切り上げるだろうと思っていたのに、気付くと三時間以上も粘っていた。
いや、夕純に帰る気配がなかったから、途中で帰ることが出来なかったのだが。
しかも、本当に夕純に全額奢らせてしまった。
結構な金額になったから、涼香も悪いと思って財布を出したのだが、「いいから!」と強引に引っ込められてしまった。
「言ったでしょ? 今日は私の奢りだ、って。それに、強引に誘ったんだから、ちょっとでも出させてしまったらいたたまれないわ」
そこまで言われると、素直に従うしかない。
「それじゃあ、ごちそうになります」
深々と頭を下げると、夕純は満面の笑みを浮かべた。
「素直が一番よ」
そう言いながら、夕純は女将にお金を払う。
会計を済ませると、ふたりは「ごちそうさまでした」と女将と旦那に挨拶してから店を出た。
春先の夜は冷える。
しかし、だいぶアルコールを呷ったから、そのひんやりとした空気がとても心地良く感じる。
「酔い覚ましにはちょうどいいわね」
夜空の下を歩きながら、夕純が大きく背筋を伸ばす。
とても酔っ払っているようには見えないが、もしかしたら、量を飲んでもあまり顔に出ないだけなのかもしれない。
そんな涼香も、顔に出ない方ではあるのだが。
「やっぱりいいわね」
唐突に呟いた夕純を怪訝に思いながら、「何がです?」と涼香が訊ねる。
夕純は涼香を見上げ、目尻を下げながら口元を微かに綻ばせた。
「お酒強い女の子と飲むの。というより、男の話を全くしない女の子と、ね」
「――それって私が男性に縁がなさそう、ってことですか?」
「そうじゃないわよ」
涼香の皮肉に、夕純は肩を竦めながら苦笑する。
「山辺さんも言ってたじゃない。『媚びる女は嫌いだ』って。普段はこっちが引くぐらいガサツなくせに、ちょっといい男が目の前にいるだけで態度を180度変えちゃうのってどうよ、って思うのよね。まあ、ある意味凄い特技だと思うけど。男も男で馬鹿だから、そういう女にすぐ引っかかって、本性を知ったとたんにポイ。どっちもどっちよね」
何故、夕純がこんな話をするのか涼香には理解不能だった。
もしかしたら、酒の勢いで本音を漏らしているのだろうか。
(この人、愚痴を零せる相手がいなさそうだしね)
涼香も同様なのに、自分のことを棚に上げてそんなことを思う。
夕純は自分に強い誇りを持っている。
それは涼香から見てもよく分かる。
ただ、それだけに、周りに頼るということが出来ない不器用さがある。
(損な性格だよね。って、これこそ人のこと言えないけど、私も……)
涼香は俯き加減で歩きながら、ひっそりと苦笑いする。
また、不意に紫織のことを想い出した。
「山辺さん」
名前を呼ばれ、ハッと我に返る。
顔を上げて夕純を見ると――正確には、見下ろしているのだが――、眉根を寄せて少し哀しげに笑みを浮かべる彼女と目が合った。
「山辺さんは今、恋とかしてる?」
予想外の問いに、涼香の心臓が跳ね上がる。
いや、予想外という以前に、『恋』という単語に過剰反応してしまった。
「恋、ですか?」
動揺を悟られまいと努めて冷静に訊き返す。
そんな涼香を夕純は真っ直ぐに見据えながら、ゆったりと言葉を紡いでゆく。
「うん。山辺さんって男っ気がないから。山辺さんの見た目だけで、『男泣かせな女』なんて茶化していた馬鹿な男もいたけど、実は異性に警戒心が強いんじゃないかって」
「――間違ってはいませんね」
嘘を吐く必要もないと思った涼香は、正直に頷いた。
「男性不信じゃないですけど、あまり得意じゃないのも確かです。昔からこの外見だけで、『お高く留まってる』とか、『取っ付きにくい』とか言われてうんざりしてましたから。まあ、女子も女子で、親友以外はほぼ、私と距離を置いていたような感じでしたね」
そこまで言って、自分こそ酔っ払っているのだろうか、と涼香は思った。
苦手だと思っていた上司なのに、ここまで自分を曝け出してしまうなんて。
紫織にすら、本当の自分を見せるまでに相当な時間を要したというのに。
(それとも、唐沢さんも色々話してくれたから安心してしまったの、かな……?)
涼香はまじまじと夕純を見つめる。