Act.1-02
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実家を長いこと離れていたのだから、当然、宏樹の車に乗るのもずいぶんと久しぶりだった。
朋也が高校在学中に買った宏樹の愛車は、だいぶ乗り潰され、何となく年季が入っているように思えた。
「腹減ってる?」
朋也がシートベルトを締めたタイミングで、宏樹が訊ねてきた。
「まあ、そこそこに」
「そこそこか」
「来る前には軽く食ってたしな」
「じゃあ、家まで我慢出来るか?」
「こっからだったら大した距離じゃねえだろ?」
「それもそうだな」
他愛のない会話を繰り返してから、ようやく宏樹はアクセルを踏み込んだ。
少しずつ、スピードが上がってゆく。
「紫織は元気?」
何も喋らないのも気まずい気がして、朋也から話題を振ってみた。
宏樹は前方に視線を向けたまま、「ああ」と答える。
「そんなにちょくちょくは逢ってないけどな。こっちは仕事がちょっと忙しいし。けど、時間があればメシぐらいは食いに行ってるよ」
「そっか」
「朋也は?」
「俺?」
「うん。友達と飲みに行ったりとかしないのか?」
「まあ、行くことは行くよ。ついこの間は、人数合わせだとか言われて合コンに連れてかれたし」
「合コン? お前が?」
「――なんだよその言い方……」
「いや、別に」
そう言いつつ、宏樹はあからさまにニヤニヤしている。
合コンに参加したという事実が、宏樹的にはツボにはまったらしい。
「しっかしまあ、青臭いガキのまんまだと思ってたのに、とうとう合コンに参加するまでになったか。いや、兄ちゃんとしてはもちろん嬉しいぞ?」
「――茶化してんじゃねえよ……」
「茶化してないさ。お前が合コンの場でどんな話をしたのかを想像するのは面白いけどな」
「――だから面白いとか言うな。別に普通にしてたし……」
「そうか、普通か」
そこで会話が途切れた。
お互い、話すことがなくなり、車の中はエンジンと微かに流れるラジオの音だけが細々と聴こえる。
宏樹と話しながら、ふと、涼香のことが頭を過ぎった。
一緒に飲みに行った帰り、急に朋也から逃げるように駆け出してしまった涼香。
あれからずっと、気になってはいたものの、やはり、どうして涼香を追いつめてしまったのかの理由が分からずにいる。
涼香は男顔負けな豪快さがある。しかし、半面で非常に脆い。
それは何となくでも察した。
それと比較すると、一見弱そうな紫織の方が、精神的には強い。
(そういや、兄貴に相談する気だったんだよな、俺)
今さらのように気付いた。
だが、相談するにしても、どう話を切り出して良いものか。
もちろん、車の中で話す気はない。家に帰り、夕飯を済ませてからゆっくりと話すつもりだ。
「朋也」
不意を衝いて、宏樹が声をかけてきた。
思案に暮れていた朋也はハッとして、運転席の宏樹に視線を向けた。
「せっかくだ。今夜はふたりで飲みに出るか?」
「え? 家で食うんじゃねえの?」
「家ん中じゃ、かえってゆっくり話も出来ないだろ?」
そんなことはない、と言いたいところだが、母親のことだ。
家にいたらいたで、なかなか解放してくれないだろう。
ずっと帰っていなかったから、もしかしたら、ずっと小言を聴かされて夜が明けてしまいそうだ。
「もちろん奢りだよな、兄ちゃん?」
朋也は宏樹に向けてニヤリと口の端を上げる。
宏樹は朋也を一瞥すると、「やれやれ」と肩を竦めた。
「こういう時だけ『兄ちゃん』って呼ぶんだな、お前は」
「当ったり前だろ。スポンサーに胡麻すりしないでどうする?」
「『兄ちゃん』呼びが胡麻すりか……」
宏樹は苦笑いしながらも、「分かった分かった」と頷く。
「ま、言われなくっても俺が出すつもりだったしな。お前よりは蓄えはあるし」
「さっすが太っ腹だねえ!」
「ほんと調子いいな、こういう時だけ……」
そう言いつつ、朋也には嬉しそうにしているように映った。