Act.1-02
(やっぱ怖いよ、この人……)
さすがに、この場から逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。
だからと言って、先ほどの彼女達のようなあからさまな行動だけは取りたくない。
そんな葛藤を心の中で繰り返していた時だった。
「山辺さんって」
真っ直ぐな視線はそのままで、〈お局様〉が続ける。
「お酒好きよね?」
突然の質問に、涼香は一瞬、答えに窮した。
だが、すぐに我に返り、「はい」と頷いた。
「嗜む程度ですけど、好きです」
酒が好きなのは本当だから素直に答えると、〈お局様〉は表情を和らげ、ニッコリと満面の笑みを浮かべた。
つい今までの鬼の形相が嘘のように、愛らしい笑顔だ。
かと思ったら、また、驚くことを涼香に提案してきた。
「ね、これから予定ないなら一緒に飲みに行かない?」
「――はい?」
この時の涼香の表情は、非常に間抜けなものだったかもしれない。
少し顎を突き出すようにポカンと口を開けながら、〈お局様〉をジッと見つめてしまった。
〈お局様〉は相変わらず、ニコニコしながら言葉を紡いだ。
「山辺さんって相当強いでしょ? 今年の新年会でガンガン飲んでる姿見てたら、一度ふたりで飲んでみたいな、ってずっと思ってて。でも、どうしても誘うタイミングが掴めなくてね。今日はラッキーだったわ」
「はあ……」
これは喜ぶべきなのだろうか。
涼香は曖昧に返事をしながら考えた。
確かに酒には惹かれる。
だが、〈お局様〉とふたりきりで飲むとなると気を遣ってしまい、楽しく飲めないのではないだろうか。
とはいえ、断る理由も見付からない。
この辺が、涼香は先ほどの彼女達と違って非常に要領が悪い。
帰るタイミングを失った時点で、それを見事に物語っている。
「あ、ごめん」
〈お局様〉が涼香に謝罪してくる。
涼香のような目下の人間に謝るなど想像出来なかっただけに、涼香はまた、驚いて目を見開いてしまった。
そんな涼香にお構いなしに、〈お局様〉は続ける。
「私の都合ばかり押し付けちゃって……。あ、予定があるなら無理しなくていいの! もし良かったら、ってことだから! うん!」
珍しく〈お局様〉が慌てふためている。
〈お局様〉の様子から、無理強いをさせる気がないのは何となく伝わってきた。
だが、ここまで必死になっている姿を見たら、断る理由を模索していたことに罪悪感を覚えてきた。
もしかしたら、飲みに行きたくても誘える相手がいなくて淋しい思いをしているのではないかと。
「いいですよ」
自然と涼香は答えていた。
多分、一緒に飲んで楽しくなければ二度と誘われることもないだろう。
そう考えたら、別にいいか、と前向きになれた。
「ほんとに、いいの?」
念を押すように訊ねてくる〈お局様〉に、涼香は「はい」と首を縦に動かす。
ちょっとしつこい、とは思ったものの、やはり口には出さなかった。
「それじゃ決まりね。あ、もちろん今日は私の奢りよ。それと、私の行きたい店になっちゃうけど、それでもいいかしら?」
「もちろんです。私は飲めれば充分ですし」
「あら、やっぱり飲んべえね」
カラカラと朗らかに笑う〈お局様〉の手が、涼香の手首を掴む。
小さいのに、握力はかなりなものだ。だが、相手が上司だと思うと強引に振り払えない。
(けど、奢りってのはかえって怖いわ……)
今、涼香も手持ちがないわけではない。
最後にでも、割り勘でお願いするつもりだった。
(ま、外で飲むのなんて久々だし、好きなだけ飲んじゃおっか)
〈お局様〉に引っ張られながら、涼香は店に着くまで楽しいことだけ考えるようにしていた。