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家のなかのこどく  作者: くろとかげ
19/24

3章『呪いの真実―その8』

 牧野とさくらと一生の、三人の関係。そして幼い弥生を巡ってのトラブル。これらを一度に聞かされて、弥生は頭の中で整理する必要があると思った。様々な情報が飛び交っている。弥生は冷静になることを努めた。

「ちょっと待って――」

 にわかに信じ難い牧野の昔話。それでも弥生は、彼女が語ったことを脳内でまとめ、確認するため怖ず怖ずと口に出した。

「ま、まず。一番に。これだけはどうしても知っておかないといけない。一番重要なこと。あなたが、私を産んでくれた、本当のお母さん?」

「ええ。そうよ」

「さくら……という女の人が私を産んだんじゃないの?」

 弥生は瞼を閉じた。さくらの顔を思い浮かべる。

「さくらと弥生に血の繋がりはないわ。赤の他人よ」

 さくらは私のお母さんじゃない。本当の母親は牧野。そんな、信じられない。

「ああ……」弥生の閉じた瞼から細い涙が流れた。

 私たち親子の関係を、一生が引き裂いた。だから私は、一生とさくらの子になったんだ。

「それじゃあ次に、さっきいっていた、牧野さんの娘が呪いを受けた、って話。あれは私のことなの? 私はいったい誰に呪いをかけられていたの?」

「私の娘は、弥生あなただけ。あなたは、さくらに呪いをかけられていたのよ」

「嘘よ。嘘! 嘘!」弥生は子供がいやいやをするように髪を振り乱した。「お母さんが私を殺そうとするハズがないわ。私は愛されていたのよ」

「弥生! 愛されていたなんて、思い込みよ。良く聞いて、あなたは、さくらから虐待を受けていたのよ」

 牧野に両肩を掴まれて弥生は動きを止めると、大粒の涙を流したくしゃくしゃの顔で牧野を見つめた。

「私は見たことがあるの。あなたがさくらに()たれていたところを」

「あれは、あれは……。私がお母さんに叱られていたのは……私が悪い、いけない子だったから……」

「さくらは憎かったのよ。私と一生さんとの間にできた子供が。その証拠に、小春ちゃんが打たれているところ、見たことがないでしょ?」

 当時、一生らは小さなマンションに部屋を借りて住んでいた。

 牧野はそれを知っていて、時々、マンション付近にまで足を運んでは、周辺をふらふらとしていた。いつか弥生の姿を一目見ることができるかもしれないと、淡い期待を抱いていた。すると本当に、さくらに連れられて歩いている弥生を偶然見かけることが叶った。

 牧野は嬉しさのあまり、娘の背中を遠目で見つめながら、後ろをこっそりとついて歩いた。

 二人がマンションに戻ってきた時、牧野は声をかけようかと迷った。

 その直後。

 急にさくらが、弥生の頬を叩いたのだ。

 牧野は、遠くにいたため、いったい何がどうなったのか分からない。弥生の泣き声だけが耳に入っていた。さくらはマンションのドアを乱暴に開けて、泣き喚く弥生の背中を蹴って家の中へ押し込んだ。

 それからも激しい折檻を弥生は受けたのだろう。子供の甲高い鳴き声が、牧野の耳に届くほど、大きく響いていた。

 牧野は動けなかった体に自由が戻ると、あとのことなどは考えずに、さくらが入っていった部屋のドアを叩いた。

 顔を出したさくらに、牧野はいきなり怒りをぶつけた。さくらは初め、唐突すぎるあまり目を白黒させていたが、牧野が現れたこと、そして一部始終見られていたことを把握すると、こういった。

『あなたには分からないでしょうね! 急に連れてこられた他人の子供を育てなくちゃいけない私の気持ち! これでも我慢している方なのよ。押しつけられたあの子のせいで、私と一生さんは貧しい暮らしをしているのよ。暴力を非難される(いわ)れはないわ。そもそもこうなったのは、あんたに子供を育てる能力がなかったからじゃない』

 能力がなかった。この言葉に牧野はショックを受けた。

 そんな牧野の体を、さくらは突き飛ばした。

『次に顔を見せたら、あのガキ、殺すからね!』

 ヒステリーを起こしたように叫ぶと、さくらは強くドアを閉ざした。

 牧野の知っているさくらは、もうどこにもいなかった。かつての親友は鬼女のように変わり果てていた。

 しかしどうしてそのようになったか。牧野はあとになって、このような噂を耳にした。

 一生と結婚をしたさくらだったが、どうやら彼女は妊娠しにくい体質らしかった。

 つまり一生は、子供欲しさに、牧野から弥生を奪っていったのだ。そしてそれが、さくらの心に怒りの炎を焚きつけた。


   ***


「でも、でも。打たれていたのは本当に子供のころだけで、中学に上がると回数は減ったのよ」

「小春が無事に産まれ、何より弥生の体が大きくなったから、さくらも手を出しにくくなったのかもね。でも虐待の手が止まったからといって、さくらから弥生に対する嫌悪が消えたわけではなかった。それどころか思いついてしまったのかも――」

 決して自分は疑われず、残酷で悲惨な死を弥生に押しつける方法を。

「呪い殺してしまえばいいってことに」

 だが、さくらにとってその行為が裏目に出ることになる。牧野が弥生にかけたお守りの効果が、十数年の時を経て効果を発揮させたのだ。

「でも(こつ)(けい)。呪いを返されて自分が死ぬなんてね。ただ驚きなのは、まさかあの、おっとりとしたさくらがシロオビユウレイグモの呪いを知っていたことね。この町の人間だったから何らかの方法で知ったのかしら。もしかすると怪死したっていう彼女の両親も、案外、さくらが呪いを使って殺していたりして……ふふふ」

 牧野は笑い、ぶつくさと喋っている。

 しかし弥生の耳にそれは届いていない。彼女は顔を青くさせ、あることをずっと考えていた。

 私が原因なのだ。私が、お母さんを……さくらを殺したようなものだ。

 一生に非なんてなかった。彼は、愛する妻を守ろうと、助けるために家を飛び出しては方法を探っていた。

 牧野さんも、私のことを想って、オマジナイをかけただけなのだ。決してさくらを死に追い込むためにしたことではない。

 それなのに私は、何も悪くない二人をさくら殺しだと決めつけ、恨んだ。一生に関しては、本当に呪い殺してしまう一歩手前まで迫っていた。

 でも違っていた。私が全て、間違っていたんだ。

 弥生は、ボロボロと涙を流し子供のように大泣きした。

 そんな少女の頭を、牧野がそっと撫でる。

 弥生の脳裏に、ある映像がおぼろげに浮かび上がる。

 女の人が表情を穏やかにさせて、幼い弥生の頭を優しく撫でている。という初めてと思えるくらいの、古い古い記憶の一部であった。

 しかし女の顔は、さくらではなく牧野なのだ。それこそ今この場にいる皮と骨だけの牧野とは別人だが、弥生は、彼女が間違いなく牧野その人であると分かっていた。

 弥生は本当の意味で思い出し、認めた。

 やはり牧野が、自分を産んでくれた本当の母親であるということを。

 さくらから母の優しさを感じたのは、牧野と暮らしていたころのことがほんのわずかでも記憶に残っていたからであろう。


   ***


 ひたすら涙を流して、弥生が落ち着きを取り戻したころ。時刻は十二時を少し過ぎていた。家を出て神社で牧野と会ってから、二時間ばかりが経過したということになる。

 帰ってお昼ご飯の用意をしなくては。ということで弥生は立ち上がり、牧野と別れた。ふらふらとした足取りで時間をかけて帰路をたどった。

 家に帰って台所に立つも、昼食なんて作れるような気分ではないというのが弥生の正直な気持ちであった。

 それでも慣れしたんだ作業で体を動かしていれば、気分の回復も早まるだろうと、彼女は考えていた。

 これが妙案だったようだ。弥生は一つ、吹っ切ることができた。

 ショックこそはまだ引き摺ってはいるが、母親は牧野だけど、やはり自分にとってのお母さんは、さくらなのだといい切ることができた。

 頭の中で様々なことを思い浮かべながら調理をしたのが悪かったか、完成された昼食は、何と呼べばいいのか良く分からないものとなっていた。

 弥生はそれを、まず一生に食べさせようと和室に行った。

 戸を開けると、枕を置いて畳の上で横になっている一生が目に映った。

 そんな彼の姿に、弥生は、「まさか」と、全身をビクリと震わせた。

 恐る恐る、一生の寝顔を上から覗き込む。

 ところが彼の表情には、苦悶の色は微塵もなく、どうやら普通に眠っているだけのようだ。

「ほっ。呪いが再発した、なんて心配はなさそうね」

 悪い予感が外れて安堵する。それなら、と弥生は、眠っている一生の体を揺すって容赦なく起こすことにした。

「あれ。寝てしまっていたか。おっ、弥生がお昼を作ってくれたのかい。ありがと。……いたたた」

「どうしたの? 右手が痛むの?」

「うん。今朝からね。やっぱり歳なのかな。このごろ、毎日色んなところが痛むんだよね」

 眉間に皺を寄せて、右手の甲をぎゅっと押さえたり、さすっている。

 彼の苦しんだ表情。歪んだ顔。

 弥生は、あっ、とあることを思い出した。自分が誰かから呪いをかけられているということだ。自分はいったい誰から、どんな呪いをかけられているのか。

 そのことで弥生は牧野に対処法の相談を求め、会いに行ったというのに、すっかり聞きそびれて帰ってきてしまっていた。

 幸いなことなのか、呪いの片鱗は、まだ見えていない。ところが弥生は、肉体に害がない今の状態を訝しみ、いつか訪れるだろうそれに恐怖していた。自分の体も、さくらや一生みたいに、悲惨なことになるのではないかと想像しては、ぶるっと震えた。

 いつもの楽観的な考えも今回は思いつかない。

 いや、牧野がかけてくれたというお守りの効果がまだ残っているかもしれない、と一度は前向きなことを思ってはみた。しかし呪いを跳ね返すほどの力がまだ残っているのなら、毎晩毎晩悪夢に悩まされたりはしないだろう。

 つまり牧野が私に与えてくれたお守りの効果はもうない。弥生はその結論に行きついたのだ。

 これからは、自分の手で呪いを破らなければならない。

 そのためには、どうすればいいのか。微動だにせず、長考する弥生。

「そのために……どうすれば、いいのか」

「どうしたの?」

 一生がいきなり声をかけてきたので、弥生は少し驚いた。

「な、何よ」

「何よ、じゃないよ。ずっと(だんま)りしているから心配したんだよ。何か問題ごと?」

「別に良いでしょ。ただの考えごとよ」

「そうか。もし解決できない悩みがあるなら、相談に乗るからね」

「はいは~い。必要になったら頼ることにするからね」

 軽い口調で返事をして、弥生は和室をあとにした。廊下に立ち、戸を静かに閉める。

 和室を背に、弥生はぽつりと零した。

「相談なんて、できるわけがないでしょ。病み上がり状態のくせして、カッコつけないでよ」

 一生を死に近づけさせ、瀕死にまで追い込んだのは他でもない自分自身なのだ。

 この事実が、呪いのことを一生に打ち明けられない要因となっていた。


   ***


 弥生は二階の自室に戻ると、机に向かって何やら作業をしている小春を見た。

 小春は、唐突に現れた姉の存在にハッと気がつくと、慌てて何かを机下に隠した。代わりにファッション雑誌を素早く広げ、私は今までこれを見ていたのよ、とでもいいたげに読み始めた。

 弥生は小春の動作を見逃さなかったが、勉強かあるいは友達にでも手紙を書いていたのだろうと決めつけ、今回は悪戯心を含んだ言葉を抑えることにした。

「小春。台所にお昼用意してあるから食べちゃいな」

 と弥生がいうと、小春は無言で椅子から立ち上がり、雑誌を手にしたまま机から離れた。

 部屋から出て行く小春の姿を、弥生は目で追う。何を怒っているのか、小春はむすっとした様子だった。

 部屋で一人となった弥生は、ベッドに入り横たわった。

 この落ち着ける空間で弥生は、呪いに対する策を練ることにした。

 呪いという問題を解決するのに一番手っ取り早い方法。それは術者の正体を突き止めることだ。

「いったい誰が私の死を望んでいるっていうの?」

 牧野さんは、良く考えて突き止めることね、といった。つまり考えていけば分かることなのだ。

「牧野さんの口振り。誰が呪いを飛ばしているのか、だいたいの見当をつけていそうよね。と、いうことは牧野さんも知っている人物? 私を嫌っていて、更に牧野さんと面識がある人物」

 弥生の頭の中でぼやけた犯人像が浮かび上がる。まるで深い霧の向こうで人影を見ているかのような。ぼんやりとしたものしか見えてこなかった。

 だが、考えていくうちに、その輪郭がだんだんと鮮明になっていく。

 曖昧だったその姿が、明確なものになろうとした瞬間。

「あー、止め。止め」

 弥生は考えるのを放棄した。

「頭使ってばかりだったから、そうよ疲れているのよ、私。いったん考えるのをストップしよう」

 ぶつぶつと零す。それから大きな大きな溜め息。

 枕もとに置いてある写真立てに手を伸ばす。さくらの写真を見つめながら弥生は、

「お母さん。私、どうしたらいいの?」

 と泣き出しそうな声で呟いた。

 今晩、もしもまた悪夢を見てしまったなら、夢にうなされるようになって六日連続ということになる。

 相談に答えてくれた牧野の言葉を思い出し、弥生は推測する。

 悪夢は呪いの影響で見せられている。つまり呪いは六日前から始まり、明日の晩で七日目を迎えることになる。

 ある代名詞が頭の中に浮かんでくる。

「超最悪の場合、私、明日死ぬかもしれない」

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