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家のなかのこどく  作者: くろとかげ
17/24

3章『呪いの真実―その6』

 一生が町を去ってから、日にちは容赦なく過ぎていった。

 牧野とさくらは相変わらず神社の片隅に座り、他愛もない会話を続けていた。

 と、いうような状況が、二人に戻ることは二度となかった。

 一生と別れて以来、二人は神社へ立ち入ってさえいない。

「私たちもう遊んでばかりいられない。新生活へ向けての準備をしないといけないの」

 さくらはそのような理由をつけて、牧野の誘いを度々断るようになった。

 正確にいうと、さくらは牧野から距離を取るようになっていた。

 いくら鈍感な牧野でも、さくらの態度の変化に気づかないはずがない。

 さくらは私を避けている。これは、しばらくは声をかけないでいた方がいいのかもしれないな。それにしても、さくらの奴、人が変わったみたいになったな。

 牧野は、更にこうも思っていた。

 さくらと会話が減るってことは、一生さんの名前を声に出す回数も激減するってことなのよね。

 牧野は恐れていた。一生と交わした多くのやり取りが、単なる記憶の一部として片づけられ、最終的にはその存在が自然消滅していくのを。

「嫌だなぁ」

 一生がいなくなって、牧野の日々の生活は腐ったものと変わり果てていた。高校を卒業したが大学へ進学する気にもなれず、かといって働く気にもなれず、ただ毎日を無駄に過ごしているだけだ。

 一生が町から去ることを知った時、牧野は強気に振る舞ってはいたが、実際は心に相当なダメージを受けていたのだ。なぜなら彼女は処女を捧げた男と結婚をするというビジョンまで浮かべていたからであった。

 月日は容赦なく過ぎていった。

 夏が終わって、季節が秋に変わったころ。

 牧野の生活に、変化が訪れた。一生との関係がまだ切れていない、と強い実感を得られるほどに。

 彼女は、自分の体に大変なことが起きているのを感じた。

 下腹部から言葉では説明できない奇妙な感覚。今まで感じたことのない違和感に牧野は、もしや、と狼狽えた。

 時間が経つにつれて、恐いくらいに腹部が極端な膨らみをみせた。ただの脂肪の塊ではない。いっぱいに広げた手のひらで腹部に触れてみると、牧野は、体の中に自分以外の生命がいることをハッキリと感じ取った。

 お腹の中に何かがいる。奇妙な感覚に、牧野の心はほんの少しの不安で震えた。

 誰の種でできた子供なのか考えるまでもない。牧野の頭の中に、子供の父親の名前は一つしかなかった。そう。一生である。

 一生さんと私の赤ちゃんが、お腹の中にいる。こう考えることで、牧野は不安をなんとか拭うことができた。

 ただ、なんせ初めての経験なのだ。牧野は常に心細く思い、一生に会いたい、会って話がしたい、と猛烈に思い始めた。

 ところが肝心の一生の所在は不明。今はどこにいるのか見当さえつかず、連絡を取ることすら不可能な状況であった。

 産むべきか、()ろすべきか。そんなつまらないことでの相談や確認を取りたいわけではない。彼女はただ、愛する男の前で子供を産みたかったのだ。

 授かったものは産むのが当然!

 そう考える牧野に対し、両親はうるさく反対した。

「産めば、自分だけでなく、その子供までもが哀れな末路を辿ることになるぞ」

 と未来を占った母は怖い顔をしていった。

 牧野はそんな両親を力で黙らせた。

 それくらい覚悟があり、そして意志は固かった。

 ただ迷っていたことがある。子供のことを、さくらに相談すべきかどうかを。かつての親友とは長らく会っておらず、疎遠な間柄となってしまっていた。そのせいもあってどう打ち明けたらいいのか牧野は思い浮かばず、結局相談しないことを決めた。

 一生さんに連絡が取れないものは仕方ない。牧野は一人で出産に挑むことを決意。

「それに彼の仕事の邪魔はしたくないからね。次に会った時に、説明をすればいいか」

 牧野の頭の中には、一生が別れ際にいった、「またね」の言葉がずっと残っており、彼女はそれを信じていた。

「そうよ。一生さんは必ずこの町に戻ってくるわ。その時に、子供のことを説明するのよ。そしたら彼もきっと喜んでくれるはず。赤ちゃんに喜んでくれるはず。そうだわ。これを期に私たちは結婚をするのよ」

 牧野の胸は破裂してしまいそうなくらい、夢と希望で膨らんでいた。それに反応するかのように胎児が牧野の中で激しく動いた。


   ***


 牧野の読みは的中した。一生は再び町にやって来た。

 それは、牧野が二十三歳。三月に生まれた赤ん坊は、娘で、三歳になったばかりだった。

 牧野が娘の手を引いて、神社へ参詣に訪れていた時だ。手を合わせ拝殿に頭を下げている最中に、牧野は背後から気配を感じた。振り返ると、一人の男がかげろうのように、ぼぅっと立っていた。ひょろ長い体躯に、気の弱そうな雰囲気を纏わせている。大人しい少年のような顔立ち。

 男の全身に見覚えがあり、牧野の唇は無意識に開いて、その人物の名を声にして出した。

「一生、さん?」

 すると男は右手を軽く上げて応えた。

「牧野くん。久し振りだね。あ、子供? へえー。おじょうちゃん、お名前は?」

 いいながら一生は、数年まえと変わらない調子でこちらに歩み寄った。牧野が連れている子供の頭に手を置いて、髪の毛をわしわしと撫で回した。

「やーよーいー」

 三歳児は舌っ足らずな口調でいうと、一生の足に抱きついた。そして、

「パパー」といった。

 これに一生は一瞬、戸惑った表情を浮かべるが、すぐにいつもの穏やかな笑みを戻し、弥生に返した。それから牧野に向けた。

「僕がこの町に来たのは、実は牧野くんに伝えておきたいことがあるからなんだ」

「あら、偶然。私もなの。私も、一生さんに話したいことがあるのよ」

「そうか。じゃあ立ち話もなんだし、どこか喫茶店にでも入って、ゆっくりと……」

「ここでいいじゃない。昔みたいにさ。ここで座って話をしましょうよ」

 久し振りに一生と会うことができて嬉しいのか、牧野は高校生時代のころを思い出しながら、賽銭箱前の段差に座り込んだ。

 そうだね、と一生も同じように腰を下ろした。一生と牧野、そして間に弥生が入る。並んだ三人をはたから見れば、親子が座っているように見えたであろう。

 日当たりと風当たりが心地よいせいか、弥生が大きな欠伸を一つした。間もなくして弥生は牧野の体に寄りかかり眠りについた。

 そのタイミングを見計らったかのように、一生が先に口を開いた。

「実は僕ね、結婚をしようと思うんだ」

「え」

「守りたい。ずっと一緒にいたい人がいるんだよ」

「本当に……。あの、私もね、結婚のことで、あなたと話がしたかったのよ。でも一生さんが結婚のことを考えていたなんてね」

「おいおい。僕はもう二十八だぞ。結婚をするには、少し遅れているだろ」

「そうかもね。でも良かった。これで弥生もきっと喜んでくれるわよ」

 一生は首を傾げ、合点のいかない表情で質問をした。

「……この子が? どうして僕の結婚に喜ぶんだい?」

「だってこれから――」

 眠る弥生の髪を、宝物でも扱うかのように優しい手つきで撫でながら牧野は口にした

「この子はパパと暮らせるようになるんだもの」

 一生は飛ぶ勢いで立ち上がった。目を見開かせ、驚愕の表情で牧野を見下ろしている。額に脂汗を滲ませ、彼はものをいおうとするが、言葉にする内容が恐ろしすぎるあまり声が震えていた。

「ま、牧野くん。あの、君はいったい誰と結婚をするつもりなんだ?」

 神社に来なければ良かった。一生は激しく後悔していた。牧野に会わなければ良かったと、心の片隅で思っていた。

「やだなぁ、一生さん。あなたとの結婚に決まっているじゃない」

 一生は体をよろめかせた。まるで後頭部を鈍器で思いっきり殴りつけられたかのように。様々な憶測を浮かべ、本当はしたくはないたのだが、彼は弥生を指さしていった。

「つ、つまり、その子の父親は……」

「一生さん、あなたよ。弥生は、私とあなたの子供」

 牧野は満面の笑みで答えた。

 再び、一生は口を噤んだ。言葉を探しているみたいだと、牧野には思えた。

「今まで黙っていてごめんなさいね。だってあなたの連絡先を知らなかったから、それに仕事で町を離れたあなたの邪魔をしたくなかったから」

「嘘みたいだけど、君がこんな嘘を吐くとは思えない。つまり本当にこの子は僕の娘なんだろう。……でもどうして僕の知らない間に、勝手なことを――」

 一生は自分の膝に拳をぶつけながら、呻いた。

「このこと、さくらくんには相談しなかったのか? 子供を産もうとするまえに」

「しなかったわ。さくらとは疎遠になっていたし」

 疎遠という言葉を耳にし、あれほど仲が良かったのに、と一生はまたしても驚愕した。

 一生はどっと疲れ、項垂れた。彼にとって最悪なことは、牧野に伝えなければならない大事なことが、まだ残っているからだ。

「牧野くん。非情にいいにくいことなんだが、僕は君との結婚はできない」

「私ね。挙式は神社で挙げたいの。教会もいいけど、私には合わないと思うし……」

 一生の言葉が届いていなかったのか、あるいは無意識に聞き流していたのか、牧野は噛み合わない返事をしていた。

「牧野くん。良く聞いてくれ。僕が結婚しようと決めたのは、さくらくんとなんだ」

 一生の口から出た、さくらの名前を耳にした瞬間、牧野は肩をビクリと震わせた。

 牧野の表情が、笑顔がゆっくりと崩れていく。

 無表情。

「さくら、と?」

 一生は声を出さず、頷きもしなかった。だが、彼の精悍な目つきから牧野は、聞かされた一生の話が本当であると、察した。

 同時に牧野は、自分があまりにも甘い考えをしていたということに気づく。

 数年振りに神社に現れた一生は、もう私を彼女として見ていない。このことに牧野は気づいてしまった。

 愕然、呆然とする牧野に、一生はなおも続ける。

「さくらくんとは、実はずっと昔から連絡を取り合っていて、愛し合っていたんだ。君には悪いと思っていたけどね」

 一生とさくらの関係を聞かされて、牧野は時間が止まったかのような感覚を覚えた。何も喋ることができず、一生が口にしたことを、ただ理解するので必死だった。

 牧野の中で、何かが切れた。

 あきらめだけは悪いハズの牧野だったが、彼女は一生との結婚という夢を捨てることにした。ヤケクソになったわけではない。当然、悲しい気持ちや、さくらを選んだことに対し一生が憎いと感じていた。怒りも湧いていた。だが、泣き喚き、自分を捨てないでくれと懇願するほどのことでもないと、牧野は何となく思えていた。

 決して、一生に対しての愛情が薄れてしまったのとは違う。

 牧野は心の中で、一生以上に大切なもの、優先すべきものを見つけていた。

「そうなんだ。私ではなく、さくらと結婚するのね。……分かったわ。彼女と幸せになってね。でも、この子はどうするつもりなの? 間違いなくあなたと私の子供なのよ」

「僕にできることならなんでもするよ」一生は即答した。「知らない間に産まれていたとはいえ、僕の娘なんだ。不自由なく、最良の道を歩ませてやる義務は確かにある」

 一生は、安心し切った表情で眠る、娘の顔に目を向けた。腰を下ろし再び座ると彼は、壊れものを扱うような手つきで弥生の髪の毛の先に触れた。

「なるほど確かに僕の子だ」そう呟く。「ところで牧野くんは今、何の仕事に就いているんだい?」

「働いてはいないわ」

「そう、なのか。……いいにくいことなんだけど、お金なんかはどうしているんだい?」

「死んだ両親のお金。困らない程度にならお金が入ったの。それに働くっていったって弥生だっているんだから毎日面倒を見て大変なのよ。あれをして、これをしてって凄い力でせがむんだから」

 牧野は愚痴でも語るかのように、でも少し嬉しそうな口調で弥生の育児についての話を長々と聞かせた。

 牧野の育児がどんなものなのかを聞いて、一生は溜め息を吐いた。

「僕にはまだ良く分からないことかもしれないけれど、それは少し甘やかしすぎだと思うよ。可愛がることも大事だけど、叱ったりもしてやらないと」

「そんなこと、この子のパパになれないあなたに、いわれる筋合いはないわ」

 一生はもう一度、安らかな表情で眠る、自分の娘に顔を向けた。


   ***


 一ヶ月後。牧野のもとに、一生からの手紙が届いた。読み終えると、怒りのあまり彼女は身を震わせ、勢い余って手紙を引き裂いていた。叫び声を上げながら、何度も何度もそれを踏みつけた。

 引き裂かれた便箋の一部に、「弥生を引き取りたい」の一文があった。一生は牧野から弥生の親権を奪い取る気でいるのだ。

 手紙を入れてあった封筒には電話番号が記されていた。牧野はそこへ電話をかけた。

 思いの外、電話は早く繋がった。まるで待ち構えていたかのようだ。

 受話器を取った人間が一生であることを確認して、牧野は爆発させた怒りを相手にぶつけた。

 だが一生は、牧野に物怖じすることなく、冷静に返した。

「手紙に書いてあったとおり、君の生活面などをこのまえ聞いて確信したんだ。どうやら君には荷が重すぎるってね。弥生の面倒は僕が見るよ。僕が父親として娘を立派に育てる」

 憤りで我を忘れていた牧野だったが、一生の話を聞いて、心が恐怖で塗り潰されそうになっていることに気づいた。

 何に恐怖していたのか。それは弥生を失う、といった悪い予感だった。

「何を今更、そんなことを? だったら私と結婚してよ!」

「それはできない」一生は即答した。

「だったら娘のことは口にしないで」

「君は、本当に弥生の面倒を見切れる自信があるのか? 幼児から児童。年齢が上がっていく娘に、君はついていける自信があるのか? 娘だけ見ていればいいってものじゃないんだ。幼稚園。学校。面倒で目や耳を塞ぎたくなる問題は、子供よりもむしろ大人の方にあるんだ。それを一つずつこなしながら、弥生を幸せにすることができるのか?」

 牧野にとって()が悪いのは、一生が強引なくらいに頭が回る人間だったことだ。

「…………」

 一生の言葉が、毒のように全身を駆け巡り、牧野は言葉を詰まらせた。

 気がつけば、通話が切れていた。ツー、ツーという虚しい音が響いていた。

 一生が受話器を下ろしたのか、それともこちらが一方的に切ったのか。牧野は放心するあまりどちらが先に通話を切ったのか、その判別をすることができなかった。

 それどころではない。弥生という宝が奪われる事態に牧野は、なんとかしなくては、と焦った。

 だが考えれば考えるほど、牧野は自分が絶望の淵に立たされているということを思い知らされる。

 多少のお金はあるが、それは裕福に暮らすことを許さない、ギリギリなところだった。

 そして最悪なことに牧野には対抗するための知識を持っていなかった。

 そんな彼女が唯一思いついた策。それは悪魔の囁きだった。

「呪いで、さくらと一生の仲を引き裂くしかないわ」

 吐き出した言葉は本気だった。

 しかしいくら非情になったつもりでも、旧友を殺してしまおう、とは微塵にも考えなかった。

 牧野は家の二階を改装し、呪術用に隠し部屋を一室設けた。部屋を隠す理由は、弥生はもちろん、万が一のこと考えて人目につかないようにするためだ。

 硯に日本酒を入れ、丁寧に墨を摺る。筆を濡らし、写経を行った。

 ひたすら一心不乱に。そのため隠し部屋にこもって一日の大半を潰すようになった牧野。

 彼女の呪いを行うための力は確実に上がっていった。

 だが、これがよくなったのかもしれない。

 弥生の面倒を見ていられなくなったのだ。さくらと一生の縁を切ることで頭がいっぱいになり、あろうことか、弥生のことを忘れてしまっていた。

 運の悪いことに、そのタイミングで一生が牧野邸に訪れた。

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