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家のなかのこどく  作者: くろとかげ
15/24

3章『呪いの真実―その4』

 キッチンに戻った弥生は三度目の料理を急いだ。一生のことを考え喉にとおしやすいものを作り、今、仕上げの段階に入ろうとしていた。

 木箱から捕まえたベッコウクモバチを、ガスコンロの青い炎で焼き殺して、炭化したそれを、がしがしと粉々に砕いた。

 ベッコウクモバチの燃えかすを、料理に混ぜ込む。所々に、虫の足、翅といった、潰し切れていない部分がうかがえるが、弥生は気づかず完成できた満足感に浸っていた。

 トレイに載せて、弥生は和室まで運んだ。一生は布団の中で眠っていたが、弥生は料理を食べさせたいがため半ば無理矢理、彼の体を起こし、食事をとらせることにした。

 青白く、辛そうな顔をする一生だが、拒否する素振りも見せずに、素直に弥生の料理を受け取った。

 ただ、彼の一口の咀嚼は長く、飲み込むのも、やっと。一生は、本当にマズイ料理を食べさせられているかのように、苦しげであった。見ている弥生も、同じように辛くなるほどである。

 それでも一生は、表情を歪めながらも、食べることを止めようとはしなかった。何度も途中で、口の中のものを戻しそうになるのだが彼は懸命に堪え、喉を鳴らして胃へと収めていった。

 黒焦げとなったベッコウクモバチを料理に混ぜて一生に食べさせることができた弥生だったが、一つ心配していることがあった。

 それはベッコウクモバチが、シロオビユウレイグモを食べさせた時と違って、蠱ではないということであった。

 そんな普通のベッコウクモバチを、ただ黒焦げにして一生に服用させただけで、期待できるほどの効果は得られるのだろうか。

 いつもは物事を前向きに考える弥生でも、こればかりは後向きな考えをしてしまう。

 とりあえず、一晩置いて様子を見てみるしかないわね。

 そうと決めた弥生が次に取った行動は、ベッドに入り布団の中で温かく寝ることだった。

 軽く眠るつもりだったはずの弥生が、次に目を覚ましたのは、翌日の朝だった。

 心身ともに疲れ果て、それでもひたすらに動いてきたのだ。疲労が蓄積された分、寝てしまうのは当然のことだ。

 ついでにいえば、弥生は少しだけ寝坊をしてしまっていた。やってしまったか、と寝ぼけ眼で彼女は階段を下りる。

 一階の廊下を進んで弥生は和室の戸を小さく引いて、室内を覗いた。

「おや?」と呟きながら、弥生は戸を戻した。

 耳を澄ませば、隣のドア――キッチンから物音が聞こえる。弥生はまさかと思い、期待を込めた手でドアに触れた。

 開いた光景に弥生は目を丸くさせた。それは念願の、待ち望んでいた場面であった。

 しかし弥生は、思わず、「嘘……」と震え声を発してしまった。

 キッチンに立ち、せかせかと作業をする一生の姿を弥生は直視!

 一生も動いたドアに気づいて、その方にゆっくりと顔を向けた。立ち入ったのが弥生だと知ると、彼はにっこりと微笑んで、力はないが、聞こえる声をかけた。

「おはよう。弥生」

「あ……」

 弥生の驚きは止まらない。震えが止まらない。

 目の前にいる一生は、まるで病を忘れたかのように体を動かせている。その顔色も信じ難いことに、昨日まで死人直前だったのが、明らかに回復してあると見て取れた。

 もしかして夢なのではないのか。疑った弥生は、思わず自分の頬をつねった。

 痛みが走る。弥生はここでやっと、ベッコウクモバチが一生を苦しめていたシロオビユウレイグモの呪いを打ち破ったことを、信じることができた。

「あの、さ」弥生は怖々と声をかけた。「もう動いて大丈夫なの?」

「うん。起きたら、気分がいいくらいに体が軽くてね。もう大丈夫みたいだよ。きっと弥生と小春が面倒を見てくれたおかげかな。今までありがとう」

 一生の囁いた言葉に、弥生は心が震えたのが分かった。安堵という大きな波。全身から力が抜け、膝が折れてしまいそうなほどだった。

「本当に本当に、もう大丈夫なんだね」

「うん」

 弥生は、ぽんと頭に手のひらの感触を得た。一生が、娘の髪をそっと、優しく優しく撫でた。

 弥生は自分が酷く子供扱いされている気がして、全身が熱くなるくらいの恥ずかしさを覚えた。

 でも悪い気はしないわね。と弥生は一生の大きな手のひらを受け入れた。


   ***


 一生の体調は、順調な回復を弥生たちに見せていった。長く休んでいた仕事にもようやく顔を出せるようになり、更には家事も以前のように積極的になっていった。

 日曜日の朝。弥生らは久し振りに三人揃っての朝食をとることになった。

 朝食は一生が作ったものだった。三人はリビングテーブルに着いてテレビを鑑賞し、談笑をしていた。弥生はこのような穏やかな時間を迎えられたことに、この上ない幸福を感じていた。

「弥生も明後日から高校生だね。どう緊張してる?」

「もう高校なんだから、それくらいで緊張するわけないじゃん」

 突っぱねた口調を続けてたせいか、弥生はつい一生に対して棘のある言葉を遣ってしまっていた。

「本当は学校のことを忘れてただけなんじゃないの?」

「……小春。鋭いわね」と図星を指され弥生は苦笑いを浮かべた。

 この家に越してから弥生は、弥生なりに忙しい思いをしてきた。短期間で本当に色々なことがあった。これから通う学校のことを考えている余裕など彼女にはなかった。

 特に、ここ数日に見る夢のことで、弥生は頭を悩ませていた。

「実は、ここんとこ毎晩怖い夢を見てさー」

「怖い夢? へえぇ。お姉ちゃんでも、夢を見て怖いって思うことがあるんだ」

「昨晩は特にね。怖すぎるあまり、夜中に大声上げて目を覚ましたんだけど、小春は大丈夫だった? 起こさなかった?」

「え、そうなの? 全然知らなかったよ。それで、お姉ちゃん、肝心の夢の内容を聞かせてよ」

「うーん。それが目が覚めると、ほとんどの内容を忘れちゃっているっぽいのよ。一っ番に印象に残っているのは、誰かに刺されそうになるところかな」

「刺されたの」

「いや。刺される手前。刺されてはいないわ」

「ふぅーん。じゃあ、今晩こそは、刺されちゃうのかもね」

「止めてよ小春。嬉しそうにしないでよね。本当に怖かったんだから」

「ところで弥生。その相手は、どんな人なんだい? 姿形は憶えている?」

 弥生と小春の二人は同時に、一生の方に顔を向けた。

 小春と違って、一生は真顔だった。だから弥生も真剣になって考えることにした。

 夢のことを深く思い出そうとする。

 しかし、弥生には答えられなかった。

「今、気がついたことだけど。相手はいつも黒いシルエットで現れるの。誰かっていう特定はできないわね」

「そっか」

「きっとお姉ちゃん、呪われているんだよ」

 小春の発言に、弥生は微かながらも(せん)(りつ)を覚えた。呪われているというキーワードに過剰に反応してしまったのだ。

 それは一生も同じらしかった。

 二人が揃って青ざめた表情をしているものなので、小春はそれに面食らった。

「もう。冗談なのに、パパまで怖い顔をして。そんな深く考えないでよ」

 というと小春は空になった食器を片づけ、リビングをあとにした。

 慌ただしく出て行く小春の様子を目で追いながら、弥生は考えていた。

 小春の口から漏れた、呪いという言葉。どうしても冗談として拭いきれずにいた。

 それは本当に呪いのような、言葉がしこりとなって弥生の心の片隅で残り続けた。


   ***


 弥生は、牧野に会って話をすることを決断。顔を合わせるのは実に数日振りだ。

 時刻は十時を少し過ぎたあたり。弥生はこれまでのことを思い返し、この時間帯の神社にいる彼女の姿を思い浮かべた。

 拝殿と向き合って、幽霊みたいに佇んでいる。何かを祈っているわけでもない、本当に、そこにただいるだけの牧野。

 トンネルを抜けて神社に到着した弥生は、想像していたとおりの牧野を見つけることができた。

「いた」

 弥生の声に反応し、振り返るその動作は、ゆっくりとしていて相変わらず幽霊みたいであった。

「あら。久し振りね。ここにはもう来ないと思っていたけど」

 弥生自身ももう神社に来ない、牧野にも会わないつもりでいた。けれど一生を救うことができたという満足感と安心感が、気持ちを変えさせた。

「そっちは、いつも神社にいるのね。もしかして暇なの?」

「ここは思い出の場所なのよ。今の季節は特にね。まあ、毎日が暇ということには間違いはないんだけど。……それより、今日はどうして神社に? あなたも暇人なの?」

 弥生は、牧野にどうしても訊ねたいことがあった。だから神社に足を運んだのだ。

「私は明後日から高校生なの。全然暇じゃないわ。ただ、片づけておきたい悩みごとがあるから、それを解消させるため、相談にきたのよ」。

「私に相談? 何かしら」

 弥生は、立て続けに見る奇妙な夢のことで牧野に相談することを決めた。

 が、急な躊躇いに心が揺れる。

 いいのか。牧野は、母を呪い殺した憎むべき相手なんだぞ。そんな奴から知恵を借りてもいいものだろうか。頼っていいものなのだろうか。

 弥生は自問し、出す答えに迷った。

 牧野は母を呪い殺した。このフレーズばかりが何度も弥生を悩ませていた。

「相談したいんだけど、その前に……謝って」

「謝る?」牧野は合点がいっていない様子で、首を傾げた。

「お母さんを呪ったこと、一言でいいから謝って。そうしたらもう全部がスッキリできるの」

 と、弥生はいったのだ。

「やっぱり弥生はまだ勘違いをしたままでいるわね。でもまあ、いいわ。私も少なからず関係はしていることだし」

 溜め息交じりにいうと、牧野は真っ直ぐに弥生と向き合い、ゆっくりと頭を下げた。

 その口から、「ごめんなさい」

 確かに聞いた弥生は、ずっと強張らせていた表情を和らげることができた。

「ありがとう。牧野さん。それでね相談したいことなんだけど」

「待って。ここで立ち話も何だから、移動しましょ。その方がゆっくり話せるでしょ」

 牧野に提案を出されて、弥生は素直に従い、場所を変えることにした。


   ***


 牧野に連れられて、弥生が行き着いた場所は、二階のないあばら屋同然の家。蜘蛛が所々に巣を張ってある。

 牧野は今、この家に住んでいるとのことだった。

 立てつけの悪い玄関引き戸を、牧野は慣れた手つきで揺らしながら滑らせた。ぽっかりと開いた玄関から家の中が覗ける。首を伸ばし見てみると、弥生はごくりと唾を飲んだ。まだ明るい時間だというのに、屋内は墨でも撒き散らしたかのように暗い。

「あなたたちが今住んでいる家と比べると、少し空気が悪いかもしれないけれど、どうぞ遠慮せずに入って」

 そういって中に入る牧野。それに渋々続く弥生は、心に恐怖と嫌悪がどくどくと注がれていくのが分かった。重苦しい空気に、吐き気を催す悪臭。痛んで柔らかくなった床板の感触に総毛立つ。弥生はお化け屋敷よりも酷い所だと、家に入ったことを後悔した。

 居間と思われる所に案内されて、弥生はあることに気づいた。

 この家の雰囲気が、あの隠し部屋と同じであるということに。

 牧野がテーブル前に腰を下ろしたので、弥生も同じようにした。無意識に薄暗い部屋を見渡す。あの隠し部屋と同様、必要なもの以外は何も置かれていない。テレビさえも見当たらないのだ。

 牧野さんはこの家でいったい何を考えながら、どんな生活を送っているのだろう?

「それで、私に相談ってのは?」

 牧野の言葉にハッと我に返る。弥生は部屋のあちこちに目を配らせるのを止めた。

 真っ直ぐに、薄闇に浮かぶ牧野の顔を見つめながら、

「実は、ここ最近、妙な夢を続けて見るの」

 弥生は一生と小春に聞かせたのと同じように、奇妙な夢のこと話した。

 連日連夜、夢の中で得体の知れない誰かに鋭いもので刺し殺されそうになる。といった内容の夢だ。

 牧野は茶化すことなく、真剣な眼差しで弥生の話に耳を傾けていた。

「なるほどね。どうやら弥生は、誰かの呪いを受けているみたいね」

 牧野があっさり答える。

 実はそうなんじゃないかと、弥生は薄々勘づいてはいたものの、ショックを隠せなかった。

「私が、呪いに……。いったい誰から?」

「さぁね。でも、見ている夢は、間違いなく呪いの影響ね。単なる悪夢っていう都合のいいものではなく、誰かが弥生を呪い殺そうとしているわよ」

「で、でもさ。私、実感が湧かないんだけど。呪われているって。ほらっ、体にもそれらしい影響は出ていないでしょ」

 弥生は服をたくし上げ、お腹を見せつけた。袖をまくり、自分の体の無事を確認する。背中にも目を向けるが、やはり異常は見られない。

「時間をかけて、じわりじわりと苦しめる、症状が遅れて出てくるタイプの呪いかもね」

「そ、そんなぁ」

「呪いを止めたいなら、良く考えて早く行動しないとね。でないと最悪の場合、死人が出るわよ」

 牧野のセリフに、弥生はふと浮かんだ疑問をぶつけた。

「そもそも牧野さんは、どうして私が呪いを受けていると断言ができるの? 何か根拠でもあるの」

 いや。牧野さんだからこそ、誰よりも詳しく分かってしまうのかもしれない。

 そう思う弥生だったが、彼女の口からその理由を直接聞かずにはいられなかった。

 牧野は少し沈黙し、そして意を決めたかのように重々しい口調で話した。

「見たことがあるから」

「今の私みたいな人を?」

「初めて会った時にもいったと思うけど、私には娘がいたの」

 寂しげな顔を見せた牧野は、立ち上がると、部屋の隅のタンス方へと移動した。引き出しを開けて何かを探している。

「娘の話なんか、したっけ?」思い出せない弥生は首を捻る。

「その娘がね、呪いを受けてしまったの」

「え。それ、本当? た、助かったの?」

「ええ。私がお守り程度にかけた術で、なんとか娘の命は殺されずにすんだわ――」

 弥生は、娘の無事を聞いて、安堵の息を吐いた。

「でも。呪いを飛ばした方の人間は、跳ね返された呪いの影響で死んでしまった」

「でもそれは、そいつの自業自得じゃん。いい気味だよ。ははっ」

 牧野はテーブルに戻ってきて、タンスから取ってきただろう写真を一枚、そっと置いて弥生に見せた。

「これ、誰なの」

「私の娘。三歳のころの写真よ」

「ふぅん」

 写真の子供をじっと見つめる弥生。子供好きというわけではないので、まったく興味がない。

 そんな弥生に、牧野は子供の名前を口にした。

「やよい。それが私の愛しい娘の名前よ」

「え? あ、ははは。私と同じ名前だぁ」

 弥生は体を仰け反らせながら、目を白黒させた。

 な、なるほど。私が、子供の名前と同じだから、牧野さんは私に良くしてくれているんだな。

 と、弥生はそのように解釈することができた。

「弥生。これはね、あなたの写真なのよ」

 弥生は思わず息を飲んだ。

「つ。つつ、つまり牧野さんは、この写真の子が、私であるといっているの?」

 いや。彼女はもっと、もっと大事なことを、私にいおうとしているんだ。

 写真の子を、牧野は娘だといった。その名前は弥生で、つまり私だといっているんだ。

「市松弥生。あなたは私の娘なのよ」

 ああ。なんてこと。弥生は気絶してしまいそうなくらい驚いた。そんなことは初めてだ。

「嘘。嘘、だよね……」

「嘘だと思うなら、一生さんに聞いてみれば? 彼の驚く顔が見られるわよ」

 半ば放心状態となった弥生。彼女に対し、牧野は薄ら笑みを浮かべるのだった。

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