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家のなかのこどく  作者: くろとかげ
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3章『呪いの真実―その1』

   三章


「っもう絶好調ですよ。牧野さん」

 その口からはいつも以上に明るく陽気な声が出ていた。激しく喜ぶ弥生に対し、牧野は、良かったわね、と静かに返した。

「ということは上手くいったのね」

「そうなの。たった一晩であの効果。いい具合に体調を崩しているのよ」

 喜色満面の笑みで、弥生は今朝見た一生の姿を牧野に報告した。

 一生の体調に、目で見て分かるほどの急な変化があった。

 今朝の一生は、体から魂が抜けて出ていったかのように落ちぶれたものとなっていた。表情がなく、目も虚ろだった。曲がった姿勢に、髪の毛は乱れ放題だ。そしてどこか弥生の目には、彼の体が比喩などではなく、小さく縮んでいるかのように映っていた。

「その症状。私が教えた呪いに間違いないわね。彼の体は日に日に萎んでいくわよ。そして最終的には抜け殻みたいになって死ぬの」

「抜け殻、ですか?」

「そう。この呪いは蜘蛛の補食に似ているの。蜘蛛がどんなふうに餌を食べるのか知っているかしら?」

「うーん。糸でぐるぐる巻きにして、バキバキに噛み砕きながら胃に収める、とか」

「いいえ。実は違うのよ。蜘蛛はね鋭い牙で相手に噛みつくと、毒を注入させるの。するとどうなるか。毒の入った体内は、どろどろ状態になるのね。蜘蛛は、それを吸うのよ。あとには中身のない吸い殻が残るだけ……」

「気持ち悪い食事の仕方ね」

「では人間が毒の強い蜘蛛に噛まれるとどうなるか。たくさんの膿汁がでるわよ。見えていないだけで、それほどの組織が破壊されているってことなのよね」

「まるで吸血鬼ね」

 つまり一生は、蜘蛛の餌食になるのと同じ末路を辿るわけだ。痩せこけて、寝汗を掻いて、ぜえはあと喘ぎなら死んでいくのだ。

 それは楽しみだなぁ。と弥生の胸は期待で膨らんでいく。

「ところで弥生は知っているのかしら? 人を呪わば穴二つ。この言葉の意味」

 唐突の牧野からの問いに、弥生は、どきりとした。牧野の言葉を頭に入れて、返答するまで、時間を少し必要とした。

 人を呪わば穴二つ。何度か耳にしたことのある言葉だけど、正確な意味を弥生は知らなかった。が、ここで分かりません、などと口にしては呪いを行ったものとして恥ずかしい思いをするだけだ。

 だから弥生は、「当たりまえじゃない」と強気になって、何となくそれっぽいようなことを口にした。

「呪いが失敗すると、自分のもとに投げた呪いが返ってくるから、自分の分の墓穴も用意しとけ、ってそういう意味でしょ? つまり、用心、慎重になって呪いをかけよ、って意味でしょ」

 どうだ。完璧でしょ。我ながら素晴らしい解答だと、弥生は自画自賛した。

 しかし牧野の反応は、弥生の想像にそぐわないものだった。

 牧野は違う、といった。

「甘い考えね。人を呪わば穴二つ。これは、因果応報。人を呪ったら、必ず自分もどこかで、同じように呪われて死ぬ、ということ。ミスをしないように気をつけよ、ではなく、覚悟せよという意味なのよ」

「つまり父親を呪い殺すことで、私は別の誰かから恨みを買ってしまって、その報いを受ける日がくるってこと?」

「そうよ」

「ふんだ。そんなの平気よ。私、自分の願いが成就されたら、あとのことはもう、いいんだから。死ぬのなんて怖くないわ」

「強がりいっちゃって。実際追い込まれるとどうなることだか」

 それでもなお弥生は楽天的な笑みを浮かべた。自分は昨晩、暗闇と戦っていたのだ。その思いが弥生を強きにさせた。ははは、と声が境内に響き渡る。

 ところが弥生は心のどこかで妙な引っかかりを感じていた。

 どうして牧野は今になって、人を呪わば穴二つ、なんて言葉を出してきたのだろうか。単なる気まぐれだろうか。それとも他に意味でもあるのだろうか。

 訊ねてみるべきか迷っている弥生に、牧野はまたしても不意打ちに近い質問を投げてきた。

「あ。そうそう、小春ちゃんの様子はどんな感じ? 何か変わったことはない?」

 唐突すぎるあまり弥生はキョトンとした。

 小春がどうかしたのだろうか。と、首を傾げながら思う。

 牧野の質問の意図が掴めず、弥生は取りあえず思いついたことを口にした。

「どうっていわれてもね。いつもの早起きが、昨日と今日はそうじゃなかった、ってことくらいかな。小春のやつ夜更かしでもしているのかね」

 この答え方に牧野は満足したのか、次の質問はなかった。


   ***


 神社から帰宅した弥生。牧野に妙なことを吹き込まれたが、テンションは依然として上々。足取りも軽く、心の中は晴れ渡った空模様のように明るく清々しい気分であった。

「たっだいまー」

 一声を上げた直後。弥生の心は間違いなくぶっ飛んでいってしまっていた。

 凄絶な光景が目に飛んできた。「え? え?」

 何が起こっているのか。混乱した思考回路では、考えがまとまらない。それでも弥生は離れた心を取り戻そうと、必死になった。

 しかし状況を理解しようとすればするほど、弥生は悪い夢でも見ているかのような錯覚に陥っていく。

「どこに行っていたの!」

 いきなりの怒鳴り声。弥生は頬を打たれたかのようにビクリとした。

 発したのは小春だった。小春は、起きて間もないと思わせるパジャマ姿で、今にも崩れてしまいそうな一生の体を支えていた。

 小春と一生。二人の足もとには、吐瀉物が広がっていた。

「見てないで早く肩を貸してよ」

 弥生の耳に、また小春の怒声が響く。それにはっとして、弥生はやっと足を動かすことができた。靴を脱いで一生のもとへそろそろと歩み寄る。

 足が思うように動かない。恐怖か、それとも待ち望んだ光景に歓喜しているのか。それともまた別の感情でなのか。

 弥生は、小刻みに震える一生の体に、怖々と触れた。

「少しそのままで待っていて」

 早口で小春が伝える。小春は一生から離れて二階へ駆け上がった。

 いったい何が起こったのか。事態を把握できないまま弥生は一生の顔を見上げた。

 血色の悪い土気色の肌。顔の形は骸骨みたいで、目の周りと、頬は、肉がないくらいにまで落ち窪んでいた。まるで別人、というよりも体の中身を失ったかのような、抜け殻に近い状態を弥生に思わせた。

 父親の濡れた口もとから、呻き声と一緒に吐き出される生温かい息。一種異様なにおいに、弥生は眉根を寄せた。

 救急車のサイレン音を弥生の耳がとらえた。遠くからだった音は少しずつ大きくなり、近づいてきている。

 正確にいえば、家に向かってきているのだ。

 直感したのと同時に、簡素な私服に着替えた小春が一階へと戻ってきた。

「まさか、救急車を呼んだの?」と弥生は訊ねた。

「何いってんの? パパがこんな状態になっているのよ。当たりまえじゃない」

「うん。そうだよね」

「私、つき添いで一緒に病院に行くから。お姉ちゃんは、それ、片づけておいて」

 小春が指したそれとは、一生の吐瀉物のことだ。弥生は嫌な気分になったが、ここで断れるハズもなく、渋々頷いた。

 間もなくしてやって来た救急隊員が、慣れた対応で一生に肩を貸し連れて行った。弱々しい足取りで歩く一生の体は、汚らしくて、頼りがいがなくて、まるで絞りきったボロの雑巾と何ら変わりない。

 担架に乗せられた一生を見て、弥生は、「あっ」と瞬きをした。

 目を擦り、今見たものを嘘だと思いたかった。

 一生の姿が、病気で苦しんでいたころのさくらと重なって、弥生には見えたのだ。

 家の門前に停めてあっただろう救急車が発進する。遠ざかるサイレンの音。それが聞こえなくなっても、弥生はしばらくは動けなかった。考えたくもないことを、延々と思い続けていた。やがて濡れた雑巾とバケツを用意して、ゆっくりとした動作で、一生が吐いたものの後処理をした。

 適当に終えると、弥生はとぼとぼと階段を上がる。

 先ほどのこともあって、弥生はさくらのことばかりを考えていた。

 さくらが体を悪くした当時のことを思い返していた。

 あの時も、今日の一生と同じ、激しい嘔吐だった。前日まで元気だったさくらが、いきなり体調を崩したのだ。短い間で、さくらの体は痛々しいほどになった。もともと小さかった彼女の全身が、萎んで、萎んで、更に萎んで、そして凄惨な最期を迎えた。

 一生もそうなるのでは。

 蜘蛛の呪いの効果を牧野から聞かされたせいもあるが、一生の結末を予感させる一番の理由は、一生の体がさくらと重なって見えたからだ。

 今の一生は、さくらが苦しんでいた時の症状と似ている。

 と、思う弥生。

 それが次第に、さくらは、今の一生と同じ呪いにかかって苦しんでいた。

 と、考えるようになっていた。

「つまり、お母さんは呪われていた……」

 ぽつりと零した言葉。本当は、ずっとまえからそうなのではないかと弥生は思っていた。それをこれまで出してこなかったのは、呪われていたことを認めてしまいそうで怖かったからだ。

 しかし一度、口にしてしまうと、その考えばかりが溢れて止まらなくなる。

 母は呪われていた。でも、いったい、誰に?

 弥生は何気なしに、一生の部屋から持ち出した古い写真を見た。

 頭部をハサミで切り取られた一生と、幸せそうな笑みをたたえているさくら。

 そして知らない女性。彼女は短髪で活発な人間だと弥生は想像した。年齢はさくらと同じくらいに見えた。もしそうだとすれば、この女は現在、三十五歳。生きていればの話だが。

「というか、これって」

 写真を持つ手に力が入る。弥生は見開いた目で被写体のバックを凝視。間違いない。驚きのあまり、強張っていた弥生の手から力が抜けた。はらり、と指を滑って写真が床に落ちる。

「この家だ」

 三人は、弥生たちが今住んでいるこの家をバックにして写真撮影をしていたのだ。

 建物の外装。陰鬱な日影。その他、どれを見ても、やはり間違いない。

 確信を得る弥生の頭の中で、色々な思考が飛び交い始めた。

 三人の関係。

 この家は、恐らく一生でもさくらでもない、謎の短髪女の家なのだろう。

 弥生は女の詳細が気になり始めた。じぃっと穴が空きそうになるくらいの眼差しを向ける。

 フラッシュバック。

 記憶が、この女とは会ったことがある、と弥生に教えた。弥生は頭の中の引き出しを開けて、そこから写真の女と似た人物を探した。

 そして見つけた。

「牧野、さん?」

 気になっていた女はカメラに向かって、ニッと笑っていた。その佇まいは健康的で活発な印象を思わせる。好奇心溢れる性格だということを、こちらに見せつけているかのようだ。

 弥生の知っている牧野とは似ても似つかない。

 だが、別人であると断言することも、またできないのだ。じっくりと、写真の女から目を離さないでいれば、顔の形が牧野と本当に良く似ているふうに思えてくる。

 短髪と長髪。明るく眩しい印象と、奈落の底を思わせるような暗い印象。天使と妖怪。それでもやはり表情の作り方は両者ともに同じであった。

「やっぱり……この人、牧野さんだ」

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