1章『新しい家―その1』
どうも、くろとかげです。
この小説は、某ホラー小説大賞に送り、惨敗した恥ずかしい作品です。
とっても稚拙で、本当ならお蔵入りにしても良かったのですけど、このサイトは、こういう落っこちた小説も上げておかないと、全く触らなくなっちゃうので、UPすることを決めました。
400字詰原稿用紙換算で、455枚分です。
楽しんでいただけたら、幸いです
一章
「この家、抜け殻みたい……」
旧道の、奥まった所にあるそこそこ大きな一軒家が、引っ越し先だった。
白い外装。大きな玄関ドア。庭に、正門。立派な造りとまではいかないが、見映えは他の家と比べて十分だった。
しかし市松弥生は、とんでもない所に来てしまったな、とマイナスなイメージを抱いていた。
日はまだ高い。なのに家の背後の山が影を作ってしまって、建物全体を包み込んでいた。日当たりが悪いと家の雰囲気や印象も合わせたように変化する。薄暗さが陰鬱さを醸しだし、家全体がおどろおどろしく見える。
建物は重量感をまったく思わせない。だから、抜け殻みたい、と弥生は言葉に出したのだ。
周辺の景色も、溜め息が出るほどだ。
「日本にもまだこんなところがあったのね。山ばっかりじゃない」
市街地の方も派手というわけではなかったが、まだ近代的で少し賑やかだった。それが車で十数分離れてしまうと周りはもう、木と山。時々、家。
この程度のものしか目に映らなくなったのだ。
父の運転する車が、家の敷地内に入り停車。弥生は後部座席のドアを開けて、数時間ぶりに土を踏む。
「やっぱり。不気味よね」
呟いた言葉が、白い息となって三月の冷たい空気に消える。
「さっきから文句ばっかり。お姉ちゃん、いい加減うるさいよ」
車の助手席から、今度は体の小さな女の子が現れた。少女は風を孕んだ長い髪を必死に押さえている。
「だってさ小春、これ、お化け屋敷以上だと思わない? 過去に何かあったかもよ」
「何かって、どんなよ?」
妹、小春のツンとした言葉に、弥生はぐるりと家を見渡した。
コンクリートの塀に囲まれた敷地。庭には名前も知らない草や花が生え、まるで手招きをしているように揺れている。
白い外装は魅力的だが、良く見れば灰にまみれたような色合いだ。二階に見える窓も、埃で曇っているのか、内部をうかがうことはできない。
家全体から禍々しい雰囲気をキャッチして、弥生は肩を震わせた。
あー。やばいやばい。絶対、この家で何かあったんだ。だって、鳥肌が立っているもん。
「そうだねぇ。この家で不幸な事故があった、いわゆる事故物件」
「弥生がこの家に対してそんなふうに思うのは多分、長い間人に使われていなかったからだと思うよ」
弥生の言葉を遮った声。声の主は、運転席からゆっくりとした動作で、その細長い姿を現した。
市松家の大黒柱、一生だ。
「そうなの、パパ?」小春が首を傾げる。
「人のいない家は換気ができていないだろ。そうなると、必然的に家も悪くなっていくのさ。湿気でカビが生えたり、虫たちの繁殖会場となったりね」
家の中なのにキノコが生えたりね。と、一生は笑いながらつけ足した。
「それ、笑えないんだけど」
「ねえ、パパ。この家はまだ大丈夫だよね。虫がうじゃうじゃってことはないよね?」
「ははは。そうなっているかどうかは中を見てからのお楽しみさ、小春」
一生は家に向けて歩き始めた。
「あ。パパ待ってよー」
小春は父親の背中を追って、抱きつくように上半身を密着させた。一生の片腕に、その色白で華奢な腕を絡ませる。
そんな父と妹の様子に弥生は、ふんと鼻を鳴らした。
「一生の野郎。ベタベタと小春にくっつきやがって」
いいながら靴の先で土を蹴る。
「どうした弥生。早くおいで」
「うっせー」
弥生は小声で一生に文句を返した。眉間に力を込め、一生の顔を睨みつける。
弥生が一生に抱いている感情。それは思春期真っ最中の女子が、ある特定の条件を満たした男性を嫌悪する、感覚的なものとはやや違っていた。
では何か? 弥生は嫌悪感の正体が何であるのかを自分なりに考えてみたことがあった。
「早く死ねばいいのに」
憎悪。それが、一生に向けて放つ、弥生の邪な念の正体。
父親の死を願望する弥生。
物語のハッピーエンドには、一生の死は絶対条件なんだ。私の場合。
半ば本気で弥生はそう思っている。
「じゃ、新しい家でも三人が力を合わせて頑張っていこう。苦しいことがあっても一人で解決しようとせずに相談すること。僕は君らのためなら何でも協力するから」
玄関の前で、一生が明るい口調で方針を立てた。
一生の、何でも協力するからという実に頼りがいのある言葉を、弥生は鼻で笑い、絶対にあんたにだけは助けを求めないよ、と邪険に扱った。
「では。長女で、来年度から高校生になる弥生に、ドアの開錠をお願いします」
演技かかった口調でいいながら、一生はポケットから取り出した家の鍵を弥生に手渡した。
弥生はそれを受け取って玄関の前に立つ。ドアはスライド式だ。
くだらない。と思いつつも鍵を鍵穴に挿入して回す。小気味のいい音が鳴る。
「次。小学六年生になる、小春。ドアを開けてください」
「はぁーい。パパ」
小春は陽気な声をあげながら、ドアの取っ手に触れる。
三人が玄関ドアに注目。
「ぎゃ!」
唐突に、弥生が短く叫んだ。ゆっくりと横開きされる玄関ドアを見つめていた彼女は、顔面に違和を感じたのだ。
鼻先に何かが付着した感覚。弥生は素早くその箇所を拭った。
「ど、どうした?」
「今の変な声。お姉ちゃんの?」
一生と小春の声、二人分の視線を顔全体で感じながら、
「顔に、蜘蛛の糸がかかったみたい」と弥生は苦しそうに答える。
「蜘蛛?」
小春の目の色が変わる。
弥生は、しまった、と思った――時には遅かった。
「ちょっとお姉ちゃん! 冗談止してよね! 玄関のどこを見たって蜘蛛の巣なんてないじゃない。糸が顔につくわけないでしょ。どーせ、いつもみたいな、虫嫌いな私に対する嫌がらせなんでしょ。そーなんでしょ? 本当に最低の性格だよね!」
「あ。あのね。小春、これは嘘とか演技じゃなくて」
聞く耳を持たない小春から顰蹙を買わされて、弥生は肩を落とした。
代わって一生が小春に優しく声をかける。
「小春。お姉ちゃんは嘘じゃなくて、本当に顔に蜘蛛の糸がかかったんだと思うよ。蜘蛛は遠くへ移動をする時、お腹の後ろから出した糸を風に流して、その糸と一緒に飛行するんだって」
「え。そうなの?」
小春は一生の言葉には素直だ。
「つまり移動に必要だった糸が切れて、それがお姉ちゃんの顔についたってこと?」
「正解」
説明を受け状況を理解した小春は眉をひそめて、弥生の顔を一瞥。それから一言、
「気持ち悪い」
「仕方がないよ。ここらは木が多いからね。でも不幸中の幸いだったね、弥生。糸だけでなく、蜘蛛ごと飛んできていたら、もっと大騒ぎしてたよ。きっと」
「ふん。何が不幸中の幸いだよ。引っ越し初日からついてないわぁ」
「蜘蛛の糸ならついているけどね」
小春はさらりと意地悪をいいながら、再びドアに触れた。
妹の手に目を落としながら、弥生は考えていた。
一生が説明した、宙を舞う蜘蛛の糸。確かにそれは自分の顔面に付着した。でも奇妙なのは、糸が、山の方からというより、家の中から飛んできた、というふうに感じたことだ。いや。今思えば気のせいだったかも。
弥生は考えるのを止めて、忘れることにした。
スライド式のドアはするすると静かに動いた。
全開となったドアの向こう、屋内は冷たく感じるほどの静寂に満ちていた。そして明かりが灯っていないせいか、屋外と比べて断然暗い。
黒光りする床板と、天井。冷たい空気。臭い。まるで洞窟を覗き込んでいる気分だ。弥生は全身が粟立つのを覚えた。
怖い。はずなのに、弥生の足は、まるで呼ばれるようにして中へ入っていった。
弥生ー、と家の奥から今にも女の人の声が飛んできそうな、不思議な感覚。
「廊下が長い!」
小春のはしゃぐ声に、弥生はハッと我に返る。
「あ。……小春」
「何よ」
「いや。何でもないよ。ただちょっと不気味だよなーって思っただけ」
「またそれ? もうお姉ちゃんだけ、前のマンションに戻れば?」
「ま。小春ったら、そんなこといってもいいのかなー、ここ、きっとお化けが出るわよ。夜、怖くてトイレに行けなくなるぞー」
笑顔をたっぷりと含ませて冗談をいうと、小春はプイッと姉から顔を背けた。
「ふん。怖くてトイレに行けないのはお姉ちゃんの方じゃん。もう高校生になるってのにさ。情けない奴」
「もう冗談きついな。小春は」
小春はいつも聞こえよがしに毒を吐くのだが、弥生は大して気にせずにいた。それどころか悪態を吐く妹の様子を、見て楽しんでいる、弥生にはそんなところがあった。
「それにしても――」
弥生は改めて家の中を見渡す。小春がしたように、弥生も、目の前に広がった開放感のある空間に感激する。
「やっぱいいね。廊下のある家って。今まで住んでいたマンションと大違い」
ぐんと延びた廊下。部屋は左右両脇に二部屋ずつ、突き当たりに一つ。
廊下の左手前、玄関近くに二階へ続く階段がある。
「二階だよ。二階!」これが姉妹を一層強く喜ばせた。
弥生と小春はまず一階の探索から始めることにした。
廊下の両脇にあるドアを一つ一つ開けては、小春は黄色い声を上げていた。はしゃぐ妹の笑顔は、姉の弥生ですら珍しいと思えるほど輝かしいものであった。
廊下の右側にある二つのドア。そこはリビングとキッチンを一間にした広々とした場所だった。
左側の二部屋はトイレと洗面所。洗面所からは浴室へと繋がっているのを確認した。
廊下突き当たりは和室だった。
一階の全てを見終えたころになると、廊下はあちこちと踏まれて、小さな足跡が沢山できている。姉妹の靴下は、笑いが出るくらい埃などですっかり真っ黒になっていた。
「部屋が沢山あるのね。パパ」
「そうだね。リビングも満足のいく広さだ。キャッチボールができちゃうくらい」
「でもパパ。こんだけ家の中が広いと掃除が大変だよ。悲鳴が出ちゃうかも」
「悲鳴が出る分、家が広いって証拠さ。嬉しい悲鳴だよ」
楽しそうに会話する二人を、弥生は無言のままじっと見つめていた。もやもやした気持ちが心の中でぶくぶくと膨れ上がる。
弥生は、小春を一生から引き離すべく、わざと声を大きくして、
「小春。二階行こ」
いうやいなや弥生は小春の返事も待たずに階段を駆け上がった。
二階には細い廊下が延びていた。電球の明かりがまだないせいだろうか、黒煙が充満しているのかと思えるほど暗く、そして空気が重い。
それは弥生が、回れ右をして一階へ引き返そうかと一瞬迷ったほどである。
通路右手に引き戸形式のドアがある。
そこは洋室だった。
「広っ!」
予想を遙かに超えた、だだっ広さに弥生は思わずありきたりな感想を声に出した。しかし、窓から日の光が満足に差していないせいだろうか、室内は早朝のような薄暗さだ。
冷水に足を浸けるような動作で弥生は中に踏み入った。
入ってすぐ、視界の隅、左の壁に何かある。反射的に弥生は顔を向けた。
姿見があった。縦長の、全身を映し出す鏡。
それは壁に嵌め込まれていて移動は不可能のようであった。取り外せるかどうかも、分からない。
がらんどうのように物一つない部屋に、ポツンと存在する、鏡。
「面白ーい。こういうの初めて見たぁ」
鏡は部屋の左、手前隅に設置されていた。近づいて覗き込むと、自分の姿の他に部屋の入口までもが鏡面に映って見える。
鏡面と、その縁を珍しげに観察していると、弥生はある錯覚を覚えた。どうしてか、姿見から異様なオーラが発せられているようなのだ。
それが良いオーラなのか、それとも逆のものなのかは、判別がつかない。
弥生は息をするのも忘れるほど見入ってしまい、手を伸ばして姿見に触れようとした。
その時、気づく。
鏡の中の自分の背後に――廊下に誰かが立っている。
誰なのかは分からない。弥生自身の体と重なっていたため、人物の確認ができない。弥生は鏡から目を離さずに、自らの体だけを横に傾けさせた。
女、だった。長い髪をカーテンのように前に垂らして、髪の毛と髪の毛の隙間から弥生をじっと睨んでいる。恨んでいるような、怒っているような目つきだった。
ここでやっと弥生は直接、後ろに振り返った。
小春が立っていた。
「何だ小春か」強張った体から力が抜けていく。
背後の人物が小春であったことに安堵するが、弥生の心臓はドキドキし続けていた。
「何よ。お姉ちゃんが二階行こうっていったから、こうして来てやったんじゃない」
小春はムッとした様子で唇を尖らせた。
「そういや、そーだったね」
小春だけでなく一生も一緒になって二階に上がってきていた。二人は洋間の広さに感嘆の声を上げる。
「おおー。これはなかなか開放感があるね」
「凄いね」小春も中に入る。「畳の枚数で数えたら、どれくらいなのかな?」
「ざっと見ても、今まで暮らしていたマンションの倍の広さだから、十四畳以上はあるね」
一生が即答すると、
「十四!」小春は飛び上がるほど喜んだ。
日当たりは最悪だけどね。弥生は口にはしなかったが心で呟いた。
山肌と隣り合わせといった家の場所が悪いのだろう。
窓は二カ所。入り口の真向かいに一つ。入って右手にもう一つ。両者ともに十分な採光が得られていなかった。
弥生は正面の方の窓を全開にさせた。
清々しい自然の冷たい風が弥生の頬を撫でて、部屋に入り込んだ。室内にこもっていた空気の淀みが薄れた気がする。
窓から景色が一望できるのだが、弥生の目を引かせられるような面白いものは特に見当たらない。青臭い緑に囲まれた相変わらずの田舎景色。弥生は溜め息を漏らす。
彼女は悟る。やっぱり、寂れた場所には街灯が、またそれの役割となるものが極端に少ないのだと。
夜に出歩く人間がいないから、かな。
と弥生は考えてみた。
「あ……」この家に向かってくる、一台のトラックを発見。
「パパ、引っ越し屋さんだよ」
大きな声で小春が報告した。妹は姉とは別の、もう片方の窓で外に顔を出していた。
一生が腕時計で確認する。トラックが到着した時刻は話し合って決めた約束の午後三時、ジャストだったそうだ。