鬼退治
毎日毎日毎日うざったい蝿ばかり付きまとう。
弱いくせに煩くて。
馬鹿なくせに欲張りで。
不細工なくせに短気で。
何も無い、腕っぷしだけしか取り柄が無い俺に飽きもせず気付けば後ろを付いてくる。
嬉しそうに名前を呼びながら何の反応も示さない俺に喋り掛けて、命令されれば犬みたいに一目散に駆け出して買い出しに行く。
家来や奴隷みたいな奴等。
しかし、最近その騒々しさも嫌じゃなくなっていたりする。
学校の屋上はまるで世界から切り離されたみたいに静かで好きだ。
漫画の不良が此処を好む気持ちがよくわかる。
段ボールに隠しておいたクッションを枕に横たわり、気持ちの良い日差しを浴びながらうとうとする。
この学校に俺のように強い奴も歯向かうような奴もいないので危険はない。
前の学校よりは安心して眠ることができる。
「百々さん、お昼寝するなら帰りますか?」
「いい」
枕元に座っていた三匹の内の一匹、鬼嶋が読んでいた雑誌を閉じて顔を覗き込む。
黒い髪が頬に当たって擽ったいのを身を捩って避け、反対側に寝転ぶと隣で犬塚が既に爆睡していた。
大の字になりアホ面を晒し涎を垂らしながら気持ち良さそうに寝息をたてている。
その頭上でゲームに没頭する猿間は眼鏡越しにメラメラと炎を燃やし、ガチャガチャ煩くボタンを連打している。
コイツら三匹が俺の家来。
同学年と後輩も交じっているが、まるで兄弟みたいな距離感。
初めはウザくてウザくて堪らなかったのに、コイツらに慣らされた感じだ。
どんだけ暴言を吐いてもどんだけ避けてもどんだけ恐がらせてもどんだけ嫌悪を表しても、服に張り付いたガムみたいに離れていかなかった。
馬鹿みたいに名前を呼んで、付きまとって、笑って、喧嘩して。
近頃じゃ誰か一人でも傍にいないと気持ち悪いと思うくらい洗脳されている。
それを変だと思わないくらいには重症なことは自覚している。
それでも…前の学校よりはマシだ。
裏切りが無い分気楽につるめる。
もう疑いながら一緒にいるのは、疲れた。
一人暮らしの家に最近当たり前のように三匹が居着いていて、私物も持ち込むようになったから部屋が狭くなってきた。
私服に着替えてからダラダラとテレビを眺め、芸人同士のコントに一々爆笑する犬塚を突き放しながら欠伸を漏らした。
それを構ってもらえたと判断したのか八重歯が見えるくらい笑顔になりながらじゃれついてきた。
暑苦しいことこの上無い。
無邪気さは嫌いではないが、夏も間近なこの時期にはあまり近付いてくるな。
エアコンの温度をまた一度下げたくなるから。
「百々兄ー百々兄ー…あれ?また痩せた?」
「夏も近いからな」
「それはいけませんね。夏バテ防止の為にも食事はきちんと摂って下さいね」
「百々は暑いの弱そうだしね。家から出て来なさそう」
「猿こそ家でゲーム三昧してそうだがな」
腹に抱き着く犬塚が不安そうな表情で見上げるのを強く頭を撫で回して誤魔化す。
漫画を片手に何てことない風に会話に参加する猿間は顔を上げずにページを捲る。
台所から晩飯を運びながら鬼嶋が心配そうに肩に手を置いた。
気に掛けて貰えるのは有難いが、正直猿間くらいの軽いやり取りの方が気楽だ。
俺も男だし自分のことは自分でできるし理解している。
だから、と言うことでもないが…この二人の気持ちは苦手だ。
あまりそういう風に扱われたことが無い分、どうしていいのかわからない。
優しい人間に長いこと触れ合っていなかった反動なのだろう。
弟達の前では格好付けた態度しかとれない。
真夜中、布団から起き上がりフラりとベランダの椅子に腰掛ける。
後ろではリビングに適当に敷いた敷き布団に三匹が雑魚寝でスヤスヤと寝息をたてている。
一匹煩い鼾をかいているが、まあ男だし仕方ないだろう。
ついでに持ってきた煙草を咥え、安物のライターで火を付け煙をたゆらせる。
白い一本の細長い煙が風の軌道で揺らめくのを眺めながら、溜め息混じりに肺に入れた二酸化炭素を吐き出した。
「眠れませんか?」
ソッと俺の肩にブランケットを掛けながら鬼嶋が吐き出し窓に腰掛ける。
見守るように優しく微笑みながら見詰める眼差しに居心地が悪くなり咄嗟に反らした。
それでも気にすること無く話を続ける。
「前の学校でのことを思い出されていたのでしょう?」
「………」
「僕の兄貴は相当外道なことを百々さんにしてきたみたいなので、一生恨まれても仕方ないのでしょう。それが百々さんの眠りを妨げる原因だとしても、僕にはどうすることも出来ません」
まるで他人事のように言い放ちながらも困ったように眉を下げる。
原因が原因なだけに自分が何をしても無意味だと理解っているから達観しているようにも見えた。
俺は何一つ返事をすることが出来なかった。
こいつの兄貴は前の学校の時に仲が良かった仲間の一人だった。
丁寧な弟に比べて口も悪いし態度も悪いし喧嘩と女と酒が大好きな屑みたいな奴だった。
それでも仲間に対して兄貴分としての寛大さを持っていたし、困っていたらなんだかんだ世話を焼くから根は悪い奴ではなかった。
そう、思っていた。
誰よりも気を許していたし、一番気が合う親友だと信じていた。
あいつの犬歯が見えるくらい大きな口を開けて笑う顔が好きだった。
だけど……もう、その笑顔は見れない。
指先の震えを夏の寒さのせいにして、大きなブランケットで上半身を覆った。
短くなった煙草を灰皿に落として煙草臭くなった手で腕を擦る。
あの時、何を間違えたんだろうな。
俺にはまだその答えが見えていない。
「…青丹は、元気か?」
「体は健康ですが、気分はやや落ち気味ではありますね」
「そうか…」
「気になりますか?」
「……もう寝る」
「冷えてきましたしね」
椅子から立ち上がり鬼嶋の横をすり抜け部屋の中に入る。
特に引き留めることもなく窓を閉めて後ろに続く鬼嶋は、穏やかな表情のまま何も言わない。
それが何もかも見透かされたような気分になり振り返ることが出来なかった。
煩い猿間から離れて温かい犬塚の隣に横たわりぼんやりと空を見詰める。
記憶の中の綺麗な思い出と、ところどころ黒く塗り潰された汚い過去。
交互に見るとその差が大きくて、広大で、それがとても悲しくて…辛くて。
楽しかったはずのまま続くはずだったのに、どうしてなんだ?
俺はどうしてアイツを失ってしまったんだろう?
「……」
寝息をたて始めた俺の頬に流れる涙を、誰かの指が拭っていた。
その手はとても温かくて、気持ちが良かった。
学校の帰り道、偶々一人になりたい気分だったから三匹を置いて先に帰っていた。
何時もの道を早足で歩くと足が遅い猿間のことを思い出して、街中の騒音の中にいると耳が痛いくらい喋りかけてくる犬塚をつい探した。
後ろでそっと語りかけるように二匹をまとめる鬼嶋の視線が無いことに違和感を覚え、本当に俺はあいつらに相当毒されてきたんだと小さく笑った。
ほんのすこし前までは周りに何も無いことに安心していたのにな。
もう何も喪失しないことに喜んでいたのは自分なのに。
変わったな、うん。
ふと視線を下げてみると見覚えのある柄の靴が視界に入る。
それを何処で見たのかなんて思い出すのはそう遅くなく、急激に青ざめていく顔色と耳を塞ぎたくなるような衝撃に歯がカチカチと鳴った。
嗚呼…これが恐怖か。
「百々」
上げたくないのに顔を上げずにいられない。
まるで支配者のような威圧的な重圧。
声だけでも重みと冷たさを感じ、見据えられる瞳だけでも体が情けない程震えた。
弟とは違う派手な見た目。
仲間とつるんでばかりいるくせに今日は一人。
その意味を考えたくなくて顔が更に強張る。
「百々、待て」
一歩近付くたびに一歩後退る。
考えて動かしていない。
体が勝手に動いている。
防衛本能とでも言うかのように目の前の奴に怯えている。
指輪だらけの手が伸びる。
俺を幾度と無く殴った手だ。
刺青が彫られた腕が伸びる。
その模様が全身に有るのを知っている。
ピアスだらけの耳が光を反射する。
その片割れの幾つかが俺の耳にも有る。
怒ったような泣きそうな辛そうな色をしたカラコンの眼が真っ直ぐ俺だけを映す。
その綺麗な色を好きだと言えずにいた。
その真っ直ぐさを好きだと言えずにいた。
「百々」
遂に距離が無くなり、痛いくらい腕を掴む右手に必死さを感じた。
緊張しているのか乾いた唇がやけに印象的で、振り解くことを一瞬躊躇させる。
声が怖がっていたことにどうしてか泣きそうな気持ちにさせられた。
同じような背丈から顔を覗き込んで、情けないくらい眉を下げてまた名前を呼ぶ。
その表情は昨日の鬼嶋によく似ていた。
ボロッ…
体に残る痛みが、こいつに受けた暴力が思い出したかのように再発した。
特に心臓が張り裂けそうなくらいジクジクと鈍痛を訴え始める。
大粒の涙が溢れて溢れて、それが熱くて熱くて堪らない。
ボタボタと落ちてアスファルトを濡らして、下唇を噛み締めて嗚咽を殺した。
「百々…」
喧嘩ばかりしてる硬い指が不器用に涙を拭う。
そんなこと慣れてないくせに。
痛いわ馬鹿野郎。
「百々、泣くな」
「…ひぐ……ずっ…」
「お前が泣くと扱いに困る」
俯いても更に腰を落として、腕で隠そうとしても無理矢理下ろされて、しつこいくらい名前を呼ぶ。
嫌だ嫌だと頭を振っても離れてくれない。
先にお前が裏切った癖に図々しい。
頭を抱かれて肩に顔を押し付けられて、街中なんて気にせずに声を上げて泣いた。
まるで今まで堪えていた分を吐き出すみたいに大きな声で。
子供みたいに後先考えず、目の前の人間に縋り付く。
迎えに来るのが遅いんだよ。
馬鹿野郎。
「悪かったな」
呟くように放たれた謝罪の言葉。
「待たせてごめんな」
手を繋いだ際に伝わる真剣さに、いつの間にか頷いていた。
「青丹…ってまた、呼んでも良いか?」
目一杯涙を溜めて見詰めると瞬きで落ちて、青丹が滲んで消えないように指先に力を込める。
綺麗な名前だと思った第一印象。
この名前を呼ぶのが凄く嬉しかった四ヶ月前。
こいつの傍で呼んだら後で唇がムズムズして、変な感じになるのが何だか可笑しくて、自分の気持ちを自覚するのが怖かった。
こんなイレギュラー初めてで混乱したのに、お前が笑ってると悩み事がちっぽけに思えてしまう。
お前しかいないんだと、お前しか好きになれないんだと悟った次の日にお前に潰された。
だから、だから…責任取れよ。
汚い顔を隠したくて抱き着いたら呆れたような笑い声が耳の後ろで響いて、その声は安心したのか先程よりも力が抜けていた。
近付きたくて真似た髪型をぐしゃぐしゃ撫で回しながら背中を叩く手は温かい。
「泣かないようになったらな。好きなだけ呼ばせてやるよ」
「……ならまだ時間がかかりそうだ」
青丹、青丹。
好きだ。
まだ、お前が好きだ。
今度は突き放さないでくれ。
泣き虫が崩れ落ちないよう支える腕は、未来の結末にカタカタと震えていた。
結局二人して臆病者で、顔を見合わせてすこしだけ笑い合った。
そんな些細なことで未来を何とか出来そうな気がしてくるから不思議だ。
家に帰ると三匹が座ってテレビを見ていた。
そして何故か全員ボロボロの傷だらけで、喧嘩が苦手な鬼嶋が手酷くやられていたのに一番驚いた。
手は汚したくない、とか言っていた猿間なんかは利き手を怪我したのかゲームに触れてすらいない。
犬塚は相変わらず怪我が少ないけれど、疲れたのか机に突っ伏してうとうとしている。
小柄な分体力が持たないらしい。
目元を赤く腫らしながら常に冷静な鬼嶋に訳を聞くと三匹揃って顔を見合わせて唇を尖らせる。
言うか否か視線のやり取りを主に二人で交わしながら、抱き付いてきた犬塚の相手をしつつ無言に耐える。
重たい目蓋を懸命に持ち上げながら見上げる犬の固めの髪をわしわしと撫で回すと気持ち良さそうに鼻を鳴らす。
ピンと絆創膏が貼られた人差し指を天井に突き付けた猿間が漸く一言切り出した。
まるで昔話のような台詞。
「隣の島に鬼退治してきた」
「……は?」
「たまには百々さん抜きで島荒らしでもしないと男としての面子が立ちませんしね」
「百々兄褒めてー鬼に噛み付いてきたんだよー褒めてー……ぐぅ…」
遂に脱力して熟睡し始めた一匹を横目に二匹で会話は盛り上がる。
茅の外の俺には体験談しか耳に入らないが、ふと先程見付けた青丹の腕にクッキリ有った何者かの歯形が妙に気になりだした。
まさか…な。
此処等一帯で有名な青丹相手にこの雑魚達が挑みに行くわけ、ないよな。
そこまで馬鹿じゃないだろ。
「うにゃむにゅきゅぷ…うむうむにゃ…」
食べ物の夢にでもいるのか服を握りながらむにゃむにゃと口を動かす犬塚の綺麗な歯並びから暫く、目が離せなかった。
…飼い犬には噛まれないようにするか。
あれは痛そうだし。




