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「なにか、おしごとください!」
寒い季節が終わりを迎え、過ごしやすい気温になってきたと感じるこの頃。
突然、ネネットがそんなことを言い始めた。
「仕事?まさか、外に出る仕事か?」
意図せず普段より低い声になってしまったのは、決してネネットを叱るためではなかったが、ネネットはウォルフが怒っていると感じたようで首を竦めてわずかに後ずさりした。
「あ、あぁ、違うぞ。これは怒ったんじゃなくて。」
ネネットに怯えられていると感じた瞬間から、ウォルフはおたおたと弁明し始めた。
小さいネネットが外で出来る仕事は何も思いつかない。そしてなにより、様々な危険が伴う。
まずは拉致・監禁、そしてそのままどこかへ売り飛ばされる危険。そして、ネネットよりも大きな人々の波にもまれて押しつぶされる危険。馬車などに引かれて大怪我をするかもしれない。
ネネットにとって外は危険極まりない世界なのだ、とウォルフは言いたかったわけである。
「そと、ちがう。ここでできるおしごと、ください。」
先程よりは随分とトーンが下がったが、何か仕事がしたいという意志に変わりはないらしく、ネネットは上目遣いでウォルフに懇願してきた。
ウォルフとしては、今のように可愛らしい仕草で自分に甘えてくれることこそが、ネネットの重要な仕事である。だが、きっとネネットはそういった仕事を望んではいないのだろう。
精神的に大人びて自立してしまう寂しさ半分、うちの子やっぱり賢い可愛いという喜び半分。正直、微妙な心境のウォルフだったが、ネネットが何かお願いをしてくること事態が珍しいことなので、ここはひとつその望みを叶えてやるべきだろうと腹をくくった。
「そうだな...家の中で出来る仕事といえば...掃除、洗濯くらいか?」
料理は無理だろう。ただでさえ小さな手であの大きく重いフライパンを持ち上げるのは苦労するだろうし、包丁など持たせたら細い指を切断してしまいそうで怖い。
「そうじ...せんたく!」
やる気マンマンな様子のネネットにウォルフは思わず笑みを浮かべてしまう。
いつだったか、ウォルフの衣服に躓いて転んでいたネネットが5ヶ月でここまで成長するとは。
ウォルフはまず乾いた洗濯物を畳む作業をネネットに任せることにした。
小さな手をせっせと動かして洗濯物を綺麗に端をそろえて丁寧にたたんで行くネネットを見て、思ったより器用だと感心し、言わずとも畳み終えた洗濯物を所定の場所に片付けるのを見たときはやはりネネットは頭が良いとまた感心した。
次に掃除を任せてみると、雑巾を必死な顔で絞りせっせとテーブルや台所の床の隅々まで拭く。ウォルフが掃除するよりもずっと細かい部分まで掃除してくれたおかげで、心なしか部屋の中がいつもより輝いて見えるほどだった。
「買い物にも行ってみるか?」
もちろん、ネネット1人で行かせるわけはない。
ネネットが今まで外に出たのは数えるほどだ。しかもその範囲はウォルフの家から半径10メートル以内だ。見知らぬ人が通るたびにピャーと戻ってきてはウォルフに抱きつくので、それ以上遠くへは行ったことがないのだ。
普段の買い物は仕事帰りに済ませていたが、もしネネットが望むなら休日に少し遠くにある市場まで連れていくのもいいかもしれない。
ネネットはウォルフの提案にしばらく考えこんでいたが、決意したような瞳でこくりと頷いた。
休日になり、約束どおりウォルフはネネットを市場へと連れ出した。
頭からすっぽりとフードを被り出来るだけ顔が見えないようにウォルフの腕の中で顔を伏せていたネネットだったが、怯える様子を見せたのは最初のほうだけで、途中からは食い入るように市場に並ぶ品物を見ている。
特に美味しそうな果物に視線が釘付けで、ウォルフはそれらを手当たり次第購入した。
もちろん、購入する際に通貨の説明をするのも怠らない。
ネネットは頭が良いから、これもすぐに覚えるだろう。覚えたところで1人で市場へなど行かせることはないのだが、ネネットが外の世界に興味を抱くことは歓迎だ。
気候が暖かくなり始めた最近のウォルフの密かな望みは、ネネットを連れて外を散歩することだ。
少し遠出をして、あまり人のいない野原でネネットを思う存分運動させてやるのもいいだろう。
そんなウォルフの考えなど知らないネネットは、目をキラキラと輝かせて屋台の食べ物を見つめている。
たまに買って帰ってやるのだが、ネネットは特に鳥の肉を串に刺し、甘辛いタレを絡めて焼いたものが好物だ。
「後で買って家で食おう。」
こくこくと何度も頷くネネットはとても嬉しそうで、ウォルフの機嫌も上限知らずに昇り続ける。
そんなウォルフの機嫌ががくんと下がったのは、偶然出会ったガゼルの所為だった。
「あれー?ウォルフと、ネネットちゃん?!」
驚きを隠せないガゼルの気持ちはよくわかる。あの怖がりで出不精のネネットが、ウォルフに抱きかかえられながらではあるが人の多い市場へ出向いているのだ。
「ガゼルさん。こんにちわ。」
市場の熱気で感情が昂ぶっているのか、普段よりも大きな声で挨拶するネネットにガゼルは目じりを下げた。
「いや~ネネットちゃん、今日も可愛いねぇ。」
「触るなガゼル。」
伸ばしてきた手を蝿を追い払うがごとく叩くウォルフに、ガゼルは気分を害することなく再びネネットに話しかけた。
「珍しいねぇ。外に出るなんて。」
「おかいもの!ウォルフさんといっしょ。」
「そっか~偉いねぇ。」
ガゼルはネネットのことを気にいっている。恐らくネネットも自分の次くらいにはガゼルに懐いている。
実に癪に障るが、事実である。そのおかげで仕事で数日家を空けなければならない時は遠慮なくガゼルにネネットのことを頼めるのだが、ウォルフとしてはどこか釈然としないものがある。
その後は成り行きで合流してしまったガゼルと市場を冷やかして歩き、昼過ぎには鳥の串焼きを購入して家路についた。
「ネネット、楽しかったか?」
「はい!たのしかった!」
「そうか。」
途中から邪魔者がくっついて回ったが、ネネットが楽しかったのならばそれはそれで良かったと、ウォルフは無理やり納得した。
「ウォルフさんいっしょ。たのしかった。」
「...っ、そうか。」
ウォルフはネネットの柔らかい頬に思い切りスリスリと鼻先を擦り付けたい衝動に駆られたが、被っているフードが邪魔でそれは叶わない。
家に帰ったら、膝の上にネネットを抱っこして一緒に串焼きを食べよう。そう心に決めて歩く速度を速めた。