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第一章 その1


 この日、俺は「平穏というものは打ち砕かれるためにあるのだ」ということを骨身に染みて理解することになった。


 放課後、職員室に呼び出された俺。

 目の前には眉間にリミットオーバーな深く険しい皺を寄せた担任・山田Tがいる。ピリピリ電流みたく張りつめた空気がとてつもなく痛ぇ。まさにマジギレ一歩手前って感じだな……。


「……ええっと、俺、何か先生のお気に障ることとかしましたっけ?」


 この高校に入学してからの二カ月、俺は至って普通の高校生であったはずだ。

全力全開、一瞬たりとも気を抜かず平凡道を駆け抜けてきた。


 平凡の中の平凡。凡の王。凡王ぼんのうと書いてボーンキング。いや、凡神ぼんじんの境地にすら至る完璧なまでの凡人を極め……


「おまえ、中学のとき、白昼堂々女装して幼気な小学生男子を逆ナンしまくったそうだな?」


 凍った。


 思考も感情も表情も時間も、その一言ですべてが凍りついた。


「……せ、先生、ど、ど、ど、どうしてそのことを、を、を、を……?」


「あと、自分の脱ぎたてブリーフを果たし状代わりにして教師に叩きつけたとかいう話も聞いてるぞ。体育担当の市原先生。覚えてるな?」


 ぶっちゃけ忘れたいです。だって……


「剣道、柔道、柔術、空手、ボクシング、ムエタイ、カポエラ、サンボ。あらゆる武術に精通した中学教員界最強の武闘派と言われた市原先生に決闘を申し込んだその心意気は認めてやろう」


 あのときはマジでアラスカの人喰いクマに素でケンカを売った気分だったなぁ……(遠い目線)。


「だがな、おまえが市原先生のファーストキスを奪ってKOした変態行為は断じて認められない。市原先生が試合後長期欠勤になってどれだけの地獄を味わったかおまえに想像できるか?」


 ちなみに俺のウブなハートと合わせてばっちりダブルKOでした。


「……まあ、その件は良い。学校は生徒個人の趣味嗜好にまで立ち入れないからな。おまえのそういう変態性を咎める気もない」


「ちょ、ちょっと待ってください! 弁解の余地一片もなしですか!? それって全部誤解なんですよっ!」


「誤解? これを見てもそんなことが言えるのか?」


 山田Tは今や世界標準の携帯端末となっている《マギナス》を指先で操作する。すると教科書くらいのサイズの写真が数枚、何もない空間に出現する。


 それらは今の話を裏付ける決定的な証拠だった。


 ゴスロリ女装をした俺がやんちゃそうな小学生たちと肩を組んでピースサイン、あるいは巫女服武装をした俺が筋骨たくましいゴリラ体育教師と絡み合い熱い接吻を交わ……ぐぇぇぇっ……あっ、あぶねぇ……昼食ったモノが喉元まで戻ってきた。


「ど、どうして、先生がこんな凶器をっ……!?」


 もはや『伝説』と化したそれら武勇伝のせいで、俺は地元高校への進学を早々に諦めた。そして、俺のことを誰も知らない、噂が絶対に伝わらない遠いまちのこの私立高校へとわざわざ入学したのだ。


 俺はここで『凡神』として生まれ変われるはずだった。それまでの悪夢を全て忘れて、ごく普通の高校生として三年間を平穏無事に過ごすつもりだった。


 それがこんなことになるなんて、一体俺の身に何が……


「ふふ、相変わらず往生際が悪いのね、カズ君は」


 その声が聞こえた瞬間、背中に強烈な悪寒が走った。


 いや、「悪寒」というにはあまりにも生ぬるい。


 それは捕食者が被食者に与える圧倒的なまでの「恐怖感」だ。俺のこれまでの十五年間の人生を食い物にしてきた「悪魔」がいつの間にかそこに立っていた。


「紫帆……、なんでおまえがここにいるんだよ?」


 錆びついた機械人形のように振り返ると、そこにはクール&ビューティーなスレンダーガールが立っていた。


 どこか遠い世界を見ているかのような神秘的な眼差し。


 無表情というよりは、すべてを悟りきったかのようなしらっとした表情。


そのまま壁をすり抜けてしまいそうな極細の体のライン。


 その御姿はどこまでも儚く可憐な美しさ。

 思わずそっとその身を支えてあげたくなるような薄幸の美少女タイプ。


 ……と、まあ、きっとこいつのことを何も知らないやつなら、初見でそんな妄想をはじめるんだろうな。


 だが、幼馴染みとしてずっと見てきた俺は、そんな美少女様の仮面の裏側に蠢く「本性」を知っているのだ。


 だから、あえて最初に言っておこう。

 

 以上の俺の『黒歴史』は、一つの例外もなくすべてこの狡猾な悪魔が仕組んだものなのだ、と。


 つまり、この「魔物・流紫帆」の幼馴染みなったときから、俺の呪われた人生ははじまったというわけだ。


 そして、何を隠そう、そんな彼女こそが中学の卒業式のとき、俺に「次世代ヴァーチャルゲームを作ろう」と誘ってきた天才ハッカーその人だった。


「おまえ、地元の公立校に進学したんじゃ……」


「そう、カズ君と同じ高校に通えるはずだったのに……。『なんで?』というのなら、私こそ理由が聞きたいわね。どうして私を裏切ったのかしら?」


 俺たちは山田Tに聞こえないように小声で囁き合う。


 俺は地元の公立校の入学試験をパスし、紫帆にはそこに通うとウソをついていた。

すべてはこの「呪い」というべき幼馴染みとの腐れ縁をぶった斬るためだったんだが、どうやらツメが甘かったらしい。


「流、ちょうど良いところに来たな。もう学校には慣れたか?」


「はい、先生。転入の際は本当にお世話になりました」


「いや、理事長もいまどき君のように真面目で熱心な生徒は珍しいと感心していたよ。どうかこのままこの学園の生徒たちの模範になって欲しい」


「当然です。私はそのためにこの学園に転入してきたのですから」


 紫帆はそこで完璧なまでの女神の微笑みを見せる。それはどんな男でも百パーセント仕留められるという「魔性の宝具」だ。


「実のところ俺も君に期待している。くれぐれも問題のある生徒たちに毒されんでくれよ」


「もちろんです、先生」


 ちょっと待て。


 何だよこの気持ち悪い流れ?


 何でこの魔物が特待生みたいな扱いになってんだよ?


 てか、転入だと? 入学二カ月でそういうのってアリなのかよ?


「先生もご存知のことですが、私、この南方君とは幼少の頃から懇意にしてきたのです。ですが、彼は極めて劣悪な生活環境で育ったためにひどく性格が歪んでしまっていまして、とても言いにくいことですが地元では知らぬ人のいない悪童だったのです」


 いや、そうじゃないだろ! ここは訂正が必要だ。


 ×懇意にしてきた

 ○一方的に取り憑いてきた


 ×極めて劣悪な生活環境で育った

 ○極めて劣悪な幼馴染みと育った


 ×ひどく性格が歪んでしまって

 ○歪みなき平凡さだけしか愛せなくなって


 ○地元では知らぬ人のいない悪童だった

 ×その幼馴染みの狡猾な策略によって地元では知らぬ人のいない悪童に仕立て上げられた

 

 だが、これでわかった。


 俺の血塗られた過去を山田Tに証拠写真つきでリークしたのは紫帆だ。恐らくは、一緒の高校に通うと見せかけて裏切った俺への仕返しのつもりなのだろう。


 学校や街中の監視カメラをハッキングしてその映像を手に入れ、それを他人の《マギナス》に送信するなど紫帆の手にかかれば朝飯前なのだ。どこで何をしようとも俺は紫帆の「神の眼」からは逃れられない。


「でも、先生、ご安心下さい。南方君みたいなどうしようもない生徒をしっかり更生させるのも特例転入生としての私の使命ですから」


「そうか。君のような優秀な生徒がいると教師は本当に大助かりだな。……おまえもちょっとは見習えよ、南方」


 そうして山田Tの視線が俺に移った瞬間、視界の端に紫帆の顔が見えた。


「ニタァ……」とおぞましく口元を緩める悪魔じみた顔を。


 くそっ! このままだと中学暗黒時代の再現になる。もうこいつの玩具にされるのはうんざりだっ!


 そう思った俺は自衛行動に打って出る。


「先生。聞いて下さい。確かに俺、中学のときはちょっと荒れてたかも知れません。けど、この高校に入ってすっげぇ反省したんです。で、決めたんです。これからは普通の高校生になって、誰にも迷惑をかけない自分になろうって」


 それがどんなものであれ、『本気の想い』は通じるものだ。山田Tは少し考えるような仕草を見せると……


「ふむ、まあ、そうだな。人を過去の行いだけで判断するのは良くないな。特に教師という人間は生徒の本当の気持ちを知らねばならん」


 ほら見ろ。


 俺は勝ち誇った笑みを紫帆に投げ返してやった。


「だがな、南方、そう言うなら今のおまえはどうだ? 胸を張って『俺は流と同じような模範的な高校生です』と言えるのか?」


「もちろんです!」


 決まった。


 俺は真っ直ぐに山田Tの目を直視して自信満々にそう返事をする。


 すると、山田Tは「ふう……」と重苦しい溜息をこぼして、再び《マギナス》を操作し、別の映像を出してきた。


 それは『生徒の生活および進路に関する調査シート』というものだったのだが……


「なっ……!?」


 俺はそこに描き出された映像内容を見て絶句する。


『生活および進路に関する調査シート』


●氏名:南方一樹


●クラス:二組


●自己紹介および自己PR:

 お初にお目にかかる! 平凡な日常に堕する愚鈍なる教師および生徒諸君!

 私の名は南方一樹。巷では畏敬を込めて『伝説を作る男』と呼ばれる、凡庸な君たちにはいささか理解の及ばない『特別な存在』である。

 ところで愚民の諸君。君たちは今のこの腐りきった世の中をどう考えているのだろうか?

 多数派なる君たち愚民が少数派なる私のような特別な存在を抑圧し、虐げ、気持ち悪い変態だと嫌悪するこの世の中を、だ。

 だが、時代はまさに今このときをもって新しい局面を迎えるべきなのである。

 ゆえに、私はここに君たち愚民への宣戦を布告する。

 私は君たちが安穏たる学園生活を送ることを許さない。

 そんな平凡は私がこの手で学園もろとも徹底的に粉砕する。そして、私がこの高校に在籍した三年間そのものが『伝説』と語り継がれることになるであろう。

 そう、これはまさに『聖戦』なのである!


●交友関係:

 ゆえに愚民の諸君!

 君たちが愚民たる自分から脱却したいのであれば、わが革命の戦列に加わるしか道はないのである。

 わが友となり新たな時代の礎となろうではないか。

 その道を選べぬ愚民はただの愚民である。いずれわが粛清の露と消えることになるだろう。


●進路希望:

 私の大いなる野望はこのようなちっぽけな学園などに留まらない。

 やがてはこの国、そして全世界へと革命のかがり火を灯していく運命にある。

 これは大いなる神託、正義は常にわれとともにあるのである!


●趣味や主な休日の過ごし方:

 休日は二十四時間営業の革命集会を開催している。参加希望の者は下記アドレスに連絡されたし。

 densetu-no-otoko@kakumeigun.com


●その他、担任に伝えておきたいこと:

 このシートを全校生徒に向けて配布することを要求する。



「悪いが南方。こんなものを他の生徒に見せるわけにはいかんのだよ」


「いらないです! むしろ、絶対にやめてください!!」


「入学してまだ間もないのにこんなものを書いて寄越すなんてな。担任として怒れば良いのやら、悲しめば良いのやら……」 


こんなことを書くような馬鹿野郎はリアルにも小説の中にもいないっつーの。

 とりあえずそこに気づいてください。


「誤解です! 第一、俺こんなデータをもらった覚えもないですから!」


「もらってない? これはこの前一年生全員に一括送信した調査シートデータだぞ?」


 教師と生徒との連絡事項等々はすべて《マギナス》を通してやりとりされる。

 ゆえに俺だけデータが届いていないということはありえ……


……るな。


 俺のすぐ隣にはそういうことを呼吸と同じレベルでできてしまう魔物がいる。


 俺はギロリと紫帆をにらんだ。

 すると紫帆は俺に向けて「ぺろっ」と舌を出して微笑んだ。


 クソ! 確信犯かよ! 後で覚えてろよ!


 俺は幼馴染み同士だからわかるアイコンタクトでそう言ってやった。


「先生、どう考えてもおかしいですよ。俺、こんなこと書いた覚えなんてないですし、第一俺ってそんな危ない系のキャラじゃないです」


 言うまでもなく、この調査シートは紫帆が偽造したものだ。


 小学生のとき、紫帆からバレンタインチョコをもらってみんなの前で自慢げに包みを開けたら中身が洗剤だったり、中学のときに鞄の中身がいつの間にかサン●オグッズで統一されていたり(隣の女の子がドン引きしていたのは言うまでもない)と昔から事あるごとに陰湿な悪戯を仕掛けてくるやつではあったが、まさか個人データの偽造までやらかすとは……


こいつ、相当きてるな。


『退屈を極めた紫帆のストレス爆発』


 恐れていた事態が今まさに起ころうとしている……


「あら、カズ君は何をボケているのかしら? ちゃんとデータが送信されてきたでしょう? 六月十七日の金曜日午後七時。思い出せないのかしら?」


 六月十七日だと? 俺は紫帆が口にした日の記憶を手繰る。


「ほら、誰かがこっそりあなたの《マギナス》に入れておいた、見るからに怪しげな動画ファイルを再生したときのこと」


「あっ……!」


 そう言われて脳内にとある記憶が走った。


 先週の金曜日の夜、メールを確認しようかと《マギナス》を起動させた俺はそこに見知らぬ動画ファイルが入っていることに気づいた。


 ウイルスかと思い即削除しようとするも、それは一切の操作を受け付けず勝手に再生をはじめた。その内容というのが……


「ああ、あぁん…… 、おっ、お兄ちゃぁぁん。だっ、ダメだよそんなことしたらぁ……」


 山田Tに聞こえないように紫帆が俺の耳元でそう囁いた。あのとき目にした甘ったるいシーンが忠実に脳内で再現される。


 高校生の『兄』と小学生の『弟』が織りなす、甘く激しいあれやこれやのシーン盛りだくさんのエロアニメ。


 あんなヤバいものを俺の《マギナス》に仕込んだのは……やっぱりおまえかっ!


「確かにそこにある南方君の調査シートは何かの間違いかも知れないですよね。もしかすると、本物は南方君の自宅パソコンにあるかも知れませんから、ちょっと確かめてみましょうか?」


 紫帆は自分の《マギナス》を取り出す。

 それは一般人の所有する《マギナス》とは完全に別物の「特注品」だ。


 詳しいことは良くわからないが、本人いわく、普通の《マギナス》を三輪車とすると、彼女の《マギナス》はF1カーに相当するらしい。


「確認のために今から南方君の自宅に電話をしてみましょう。……カズ君、今日はご両親がいらっしゃるのよね? それにこの時間だと小学校も終わっているから、せっかくだし木葉君に探してもらうことにしましょう」


 一見穏やかな紫帆の瞳の奥には、茂みから獲物を狙うギラついた野獣の光が潜んでいる。


それを目にした俺は全身に言いようのない寒気を感じた。


 紫帆のことだ。間違いなく俺のパソコンにも例の動画ファイルが仕組まれている。そして、家族が部屋に入った瞬間にそれが再生されるようにプログラムされているに違いない。そんなものを両親および弟に見られたらどうなるか?


 ハメられたっ!!!


「……? おまえたち、さっきから何を言い合ってるんだ?」


 俺たちの会話が理解できない山田Tが怪訝な顔になる。


「何でもありません、先生。その調査シートが南方君自作のものだという確認をしていただけなんです。そうよね、カズ君?」


 紫帆はそう言いながら《マギナス》をチラつかせる。ここで俺がそれを否定すれば、即、家に電話を入れるつもりだろう。


 紫帆がねつ造したこの調査シートを自分のものと受け入れるか、あるいは家族に例のマニアックな18禁アニメ動画を見られ一生家庭内での居場所を失うか(そうなれば目下小学六年生の多感な弟は一生俺と目も合わせてくれないだろう)。


 今、俺はその究極の選択を迫られている。


「……すいません、先生、今、はっきり思い出しました。その調査シートは間違いなく俺が書きました……」


 これまでの人生で何百回、何千回と味わってきた紫帆への敗北感。


「内容に間違いはないんだな?」


「はい。残念ながら俺という人間はそこに書かれている通りの中二野郎だったりします。今後は活動を自重しますので、今日だけは勘弁してやってください……」


 それを聞いて紫帆が「ふふふ……」と満足げな笑みを浮かべる。


 気が付けば、また俺は幼馴染みの悪計の檻に閉じ込められて「非日常な世界の住人」にされてしまっている。


 俺は至って平凡な人間だったが、ただ一つ、人には言えない「二つ名」があった。


 『伝説を作る男 南方一樹』


 退屈を持て余す紫帆が日夜プロデュースして育て上げた「俺ではない俺」だった。


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