Sorcery
今宵みなさまにお話しいたしますのは、一国の王子 と魔法使いの身分違いの恋物語でございます。夏の 夜のようにあつく情熱的な……
…え?その話は前に聞いた?…それは失礼いたしました。 …いつもの恋物語ではなく、なにかゾッとするもの …でございますか?
ほぉ、宮廷や街の女性たちの間で怪談話が流行っていると。 …承知いたしました。わたくし、不肖の吟遊詩人ではありますが、みなさまに夏の夜にふさわしいゾッ とするお話を披露いたしましょう。
『魔法お売りします。代価は時価で承っております。返品は受け付けません。有効期限は一週間です。その間に必ずお使いください。』
今より遠い昔、どこから広まったかもわからないような噂がありました。昼にはささやかれず、夜、人が寝静まった後にこそこそと小声でささやかれるような噂です。いつ頃出始めた噂なのか、どこから出始めた噂なのかは定かではありませんし、ましてや実証もございません。それなのにこの噂はいつまでも消えることなくひっそりと存在しているのです。
「ヒソカの森の最奥に魔法を売ってくれる ところがあるそうだ。」と。
その店が実在するなど、実際に目にするまでセシリア婦人は半信半疑でした。
「ヒソカの森の最奥に魔法を売ってくれるところがある」そんな宮廷の他愛のない噂話だったのですが、セシリア婦人にはもうその噂話しか頼るものがなかったのです。なんとしてでもその「魔法を売ってくれるところ」 にたどり着こうと必死に森の最奥を目指して歩きました。
暑い暑い夏の昼下がり、汗を拭きながら歩くこと1時間。
不意に視界が開け、小屋があらわれました。簡単なログハウスでしたが、清潔感があり、小屋の周りにはリスや小鳥も戯れていました。あまりにも牧歌的なその様子に、セシリア婦人は間違ったところにきたのだと思ったほどでした。 しかし、慎重に小屋に近づいてみるとその扉には簡素な札がかかっていたのです。
『魔法お売りします』
整った書体で刻まれた札が揺れて音を立てて揺れていました。
なんだ、思っていたよりも普通のところだわ、とセシリア婦人は胸をなで下ろしました。そして、扉をノックしたのです。
「はーい。あいてますよー。」
中から小さな返事が聞こえました。セシリア婦人は、老婆のようなしわがれた声を想像していましたが、聞こえてきた声はまだ若々しく、 むしろ幼い声でした。
恐る恐る中に入ってみれば、明かり取りの窓から日がさんさんと降り注ぐ明るい店でした。窓からは涼しい風が入り、薬草の清冽な香りに暑さが和らいで感じられます。
「珍しい!昼間のお客さんだ。」
そういって何かの壺を抱えたまま振り返ったのは黒い髪を地に着くほどに伸ばした人でした。
「こんにちわ。ヒソカの森の魔法店によう こそ。」
そういってぱたぱたとカウンター越しに歩いていく様はどこかあどけなく、少女とも少年とも判然としません。 また声も顔も中性的で、セシリア婦人はとまどいました。
「…えっと、どんな魔法でも売ってくれると聞いてきたのですが… 」
「はい!当店は雨乞いの魔法から恋心の魔法まで一通り取りそろえております!」
店主は、くるくるとよく動く瞳が愛らしく、魔法の店にいるよりも雑貨店の小姓といった方が似合いそうな風貌です。セシリア婦人はごくりとつばを飲みこみ、額の汗を拭い、自身の願いを言いました。
「……命を。命を延ばす魔法はありますで しょうか?」
「ありますよ。」
すぐに店主は笑顔でうなずきました。 セシリア婦人がほっとするまもなく、さらに説明を続けます。
「ただしそれはとても危険な魔法です。ま た、思ったとおりにいかなくても返品は受け付けません。お代は魔法の効果が切れてからいただきます。」
「お代はいくらでも払います!ですから… 命を延ばす魔法を売ってください!!」
カウンター越しにセシリア婦人は身を乗り出してすがりつきました。最初から、お金ならいくらでも払うつもりだったのです。
「そうですね。…少し事情を聞かせてください。お売りするかはその話を聞いてから決めたいと思います。」
にっこりと笑う店主は少しも動じません。
その様子にセシリア婦人は戸惑います。こんな年端もいかない者に話して良いものか、と。迷ったあげく、セシリア婦人は心決めて話しはじめました。
「わが国が、数ヶ月前から隣の国と大きな戦をしていることはご存じのことと思いま す。 私の夫と息子は当然のように徴兵され戦地へと赴きました。夫は一ヵ月後に戦死しま した。 息子は無事帰ってくるようにと、 私は毎晩、神に祈っていたのです。」
店主は静かな瞳でセシリア婦人を見つめています。
「…そして息子は…昨日、帰ってきたのです。」
店主の黒い瞳がばっと輝き、笑顔を浮かべました。
「それはおめでとうございます。」
そう言ったとたん、セシリア婦人の眼光が キッと引き締まり奥歯をギリリとかみしめた音がしました。
「…息子は敵兵に捕まり拷問にかけられていました!体中に切り傷と火傷を負い、体中の 皮膚がむける一歩手前で! ギリギリの、生の縁にしがみつくような息子がっ!変わり果てた息子がっ! 息子とは識別できないような姿となった息子が帰ってきて何がおめでたいものですか!」
よく動く黒い瞳が軽く見開かれ、すまなそうな顔となり
「ごめんなさい…」
と拍子抜けするほど素直に謝るものだか ら、セシリアも毒気を抜かれ続きを話します。
「もちろん、すぐに医者に診せました。しかし、医者が言うには今日が峠。 超えることはできない峠だと言いました。魔法をください! 私だって夫と息子を戦地に送るときに、いざという時の覚悟はしました! でも…でもっ!実際に帰ってきた息子を見 て…最後に息子と一言も話せず別れるな どっ! 私には耐えられないのです!幸いなことに私にはお金がある!…だから魔法を売ってください!」
涙ながらに話すセシリア婦人を店主は同情的な瞳で見つめています。けれども、セシリア婦人はその瞳に気がついていませんでした。
「わかりました。命の魔法をお売りしましょう。」
店主の言葉にセシリア婦人の顔がぱっと明るくなりました。
「ただし、魔法の有効期限は一週間。それ以上は息子さんは生きることができないと思います。」
「かまいません!それでかまわないので す!!ただし息子を話せるようにしてください!!今のような状態では意味無いので す!!」
「…わかりました。ではそのようにいたします。」
「お願いします!!お代はいくらでも払います!こうしている間にも息子の命は刻一刻と消えようとしているのです!早く魔法をください!」
セシリア婦人がなおも畳み掛けるように言うと、店主はすっと右手をかざしにっこりと、少し不器用に、少し悲しげにほほえみました。
「大丈夫です。すぐにご用意いたします。」
そういって店主は店の奥にいったん引っ込 み、手に赤い珠を持って戻ってきました。
「どうぞ。これを息子さんの額においてください。それで魔法がかかりますよ。」
そういって店主はセシリア婦人に珠を渡しました。受けとった珠をよく見ると、真っ赤な宝石のようでしたが、ルビーともガーネットとも違う、深い深い赤でした。セシリア婦人は、本当にこんなもので効くのかしらと訝しみました。
「お代は魔法の効果が切れてからでかまいません。あなたが出せる限界の額を持ってきてください。」
「あ、ありがとうございます!」
セシリア婦人は慌てて珠を懐にしまいました。店主はにこりと笑って続けます。
「最後にご婦人。うちの魔法は完全手作業で一つ一つ手作りなので、たくさんの人が来ると生産が追い付かないのです。ですから、この店のことは他言しないでくださいね。」
「分かりましたわ!お代は魔法の効果が切れましたらすぐにお持ちいたします!」
支払いの約束をして、セシリア婦人はそそくさと店を出て家路を急ぎました。
「ありがとうございました。」
婦人が見えなくなってから入口に一礼した店主の顔は幼いはずなのにどこか老成したような瞳でした。
魔法の効果は灼かでした。
セシリア婦人がその珠を息子の額においたとたん、ぴくりとも動かず、呻きもしなかった息子が動き出したのです。
脊髄反射で腰から上半身を跳ね上げるようにして起き上がり、人とは思えぬ咆哮をあげました。
「ヴぎぁぁァァぁぁっっ!!!!!」
起き上がった息子をみてセシリア婦人はとてもとても喜びました。絶命の危機にいた息子が起き上がり喜ぶ母。
どこから見ても異常であるのに当人たちは気がつきません。
セシリア婦人の望み通り、息子は命を延ばされました。
ただし、傷は癒えてはいなかったのです。
「ア゛ァっ!あははハっ!!母さんっ!父 さんっ!!イダいっ!痛いよっ!!」
笑い、泣き、叫ぶ。
人としてギリギリの形を取る息子を見たセシリア婦人。それでも息子が起き上がったことが嬉しいのか、もうすでに彼女の心はどこか遠いものを見ているのか、そんなことはわかりません。
「大丈夫よ、私の可愛いミリー!今手当をしてあげるわ!」
「ア゛ア゛ッ!!痛いよっ!!うヴゥ!! か、痒いっ!!何かが体を這い回るん だ!!あぁぁっ!!出して!出して!!カラダガァ!! 僕は何も知らないっ!何も知らないんだぁっ!!」
息子は泣き叫び続けます。
苦しい、痛い、辛い、痒 い、屈辱。
交じり合った咆哮。
彼の心はもう、拷問にかけられたときに止まってしまっていました。 セシリア婦人の買った魔法はただ、ミリーに泣き叫ぶ時間を与えただけだったのです。
セシリア婦人はどこか虚ろな笑い声を上げながら息子を抱きしめました。
「ミリー!あぁ、私の愛しい息子!!大丈夫よ、落ち着いて!」
「殺してっ!いっそ僕を殺してっ!!死にたい死にたい死にタイ!コロシテ!アァァ ア゛ッ!イヤダ!逃げないと!マタァ、 あいつ等がっ!」
錯乱するミリーには母の声など届きません。
立ち上がった衝撃でずるりと皮がむけ落ちたミリーはもう、『生きている』としか言えない状態です。
「怖い怖い怖いっ!!殺されるっ!殺さな きゃっ!!コロスコロスコロスッ!!」
意識が戦場へと引き戻されたのかミリーが手にした燭台を振り下ろすまでに時間はかかりませんでした。
ミリーは何度も何度も母の頭上に燭台を振り下ろしました。
顔も頭蓋骨も粉々になり、脳漿や眼球が飛び散りました。
「来るなぁっ!!うるさい!ウルサァ イ!!ダメだ!!やられる!死にたくな い!痛い!辛い!!あああああ!!」
ミリーはベビーベッドで泣き 声をあげ る、自分の幼い妹の頭上にも燭台を振り下ろします。何回も何回も振り下ろしました。
ミリーは目に触れるものすべてを殺そうとしました。 しかし、動くたびにずるりずるりと皮がむけ落ち、ついにひざから下がちぎれ落ちてしまいます。ミリーは妹のベビーベッドの近くで動けなくなりうずくまりました。
うずくまり、ふるえながら繰り返し呟きます。
「痛いよ…辛いよ…母さん…父さん… ジェーン…助けて…うちに…うちに…帰りたい…」
魔法の効果で彼は生きました。
体中から膿が吹き出しウジがわき、痛くて、痒くて何度も発狂しました。
気を失ってはまた目覚め狂う。そして気を失いまた狂う。
朽ち果てるその瞬間まで彼は苦しみ抜いたのです。
ちょうどセシリア婦人が彼に魔法をかけてから一週間。
彼は ようやく死ぬことができたのでした。
大好きだった母と妹を殺し、人気が無くなった屋敷の片隅で。
彼らが発見されたのはそれからさらに数日がたってからでした。
ヒソカの森の最奥の小屋では例の店主が店の入り口を開け微笑んでいました。
「お帰りなさい。ご婦人。おや、息子さんと娘さんですか? …そうそう、お代のことですが、今回はあなた方の魂をいただきたいと思います。次 の魔法作りに必要なのですよ。」
そうして壮絶な黒い瞳で微笑むと長い黒髪を翻し、扉をパタンと静かに閉めたのでした。
これでこの物語はおしまいです。…え?ゾッとしなかった?それはそれは…失礼いたしました。今度お目にかかるときにはもっとゾッとする話を探しておきましょう。…本日はわたくしの話を聴いていただきありがとうございました。お話が気に入った方は施しをお願いいたします。
そうして微笑む吟遊詩人は、少女とも少年とも分からない顔立ちで、幼いのにひどく老成した黒い瞳であった。
『魔法お売りします。代価は時価で承っております。返品は受け付けません。有効期限は一週間です。その間に必ずお使いください。』
あなたのご来店、お待ちしております。