2人の自分探し
最初は、そう、この言葉。
『大丈夫?』
ふいに響く誰かの声。
私の心の中に誰かがいる。
その日から、私は彼を意識するようになった。
君は誰?俺は何?
最初は、背後霊なのかと思った。幽霊話で良く出てくるし・・・けれど、それなら霊感があるという人に彼が見えるはずである。
しばらくして、私も彼もその考えを捨てた。
どう考えても後ろじゃなく、自分の中にいるようだから。
これは、なんなのだろう?
ひょっとしたら、“良心”というモノなのかも。
よくドラマで、たとえば犯人に「こんなことをして、良心が痛まないのか?!」って言ってたり。
彼は私がサボったり手を抜いたりすると、よく皮肉言ったり注意したりする。
・・・そうか、これが良心なんだ。
良心というからには当然、他の人たちの中にも普通にいるはずである。当たり前だから、取り立てて誰も自分自身の「相方」について話したりしないのだ。正体が分かればどうということはない。
しかし、高校に入った辺りから「どうも違うらしい」と感じるしかなかった。
それに彼は“良心”というほど品性公正でもない。
私は段々怖くなってきた。
・・・自分はどこかおかしいのではないか?
ひょっとしたら、病院に入れられるレベル?
それとも、次第に彼に身体を乗っ取られてしまうのか?
こんなことは誰にも相談できない!!
それは彼も同じだった。
自分はいつか消える存在なのか?自分はただの私の幻覚でしかないのか?
だとしたら今の俺の意識は何?
お互いに不信感。
不安からか喧嘩が絶えぬ。距離を置こうにも置きようがない。
2人いるのに身体は一つ。
なんだこれは?どうして私が?
私は私ではなく、アイツが本当の私なのか?
…私たちは、もうあまり深刻に考えないことにした。
いるものはいるし、気にしてたって何も始まらない。
それに、長年私と共にいて相容れない部分もあるけれど、一番の味方というのはいろんな意味で事実だから。
それでも、本屋に行くと、精神学や心理学の棚に足が向かうのだ。
“自分の中に別の自分を感じることがあっても、異常ではない”という様な内容の文を読むたびに、2人揃って安堵のため息をつく。
私は正常の範囲だと。俺はいてもいいのだと。
あなたは私、私はあなた。2人の一人でこれからゆっくり自分探し。
若いうちは、普通の人にはない変わったモノや事に憧れたりするけれど
実際、我が身に起こったら、たまったもんじゃないですね。