第六話 襲撃
吸血鬼。
ルーマニアのワラキア地方に実在したヴラド大公をモデルにして生まれたという邪鬼。黒いマントを羽織、闇を疾駆する男性。さらさらとした金髪をなびかせる、自由奔放な猫のように、明るくしなやかな女性。現在では様々な姿形で伝えられているが、そのどれもがある共通の特徴を持っている。
それは『血を吸う』ということだ。吸血鬼の最も知られている特徴としてまず最初に挙げられるだろう。
相手の血を糧として生き、奪われた者は多くの場合同族と化す。陽を嫌い、闇に生きる。これはそういう類だ。
今日噂になっている吸血鬼と呼ばれるモノもそれに属する。被害者が夜道に一人二人でいるところを襲い、死ぬか死なないかのギリギリの線まで血を奪い去る。いや、実際死者が出ていることを見ると、その線を優に越えている違いない。目的は依然不明。そもそも目的があるかどうかも分からずにいる。
そんな怪奇が街を闊歩している。女子供だけでなく男性でさえ街に出るのを拒んでおり、外へ出るのは最低限必要なときのみだ。(それでも街を出歩く阿呆はいるのは事実だが。)
ここのところ街は眠りにつくのが早い。それも至極当然のことだろう。
「つまりは、この藤咲高校に在籍しているけど通ってはいないってことだ」
「はい? それはどういう事ですか?」
「どういう事も何もそういう事だ。桜井」
我がクラスの国語担当教師、藤岡照光は机の上にある資料を片付けながらそう答えた。
美月と出会ってから二日後、俺は藤岡におる質問をするべく職員室に足を運んでいた。美月についてだ。美月の口からここに通っていると聞き、休み時間、放課後を使って捜してみた。ところが二日経っても全く見かけることがなく、どうにもおかしいな、入れ違うにも程があるだろうと思い直接先生に訊くことにしたわけだけれど。なんかよく分からない答えが返ってきた。
「わかりやすく言えば、ゴールデンウィーク明けから学校には一回も来てないって事だ。何でも家の事情でしばらく来られないらしい。それくらい察しろ」
出来るかよ。あと最初からそう言え。心の中で密かに悪態をつく。
苛立ち始めた俺だったが、理性で何とか殴りたい衝動を抑え込むと、平常心を保ちながら再び藤岡に向き直した。
「ふふんふふー♪」
机の上にあった資料を片付け終え藤岡は、椅子にもたれ掛かり一仕事を終えた感じの清々しい表情を見せていた。鼻歌まで歌ってやがる。そして何故そこに仕舞ったのかは分からないが、引き出しから缶コーヒーを取り出しプルタブを開けた。カシッといういい音が藤岡の手元から鳴る。おい見てみろよ。ごくごくと幸せそうな顔で飲んでやがるぜ。はっはっは、コンチクショウ。
俺は手首を回し準備運動をしながら今得た情報を整理し始める。
それにしてもゴールデンウィーク明けから、か。となると一ヶ月しかこの学校に来ていないし、中間試験、学期末試験も受けていないという事になるな。なら今日来ているってことはまず無さそうだし、会うこと自体偶然が重ならない限り無理だってことか。……それってまずくないか? 出席日数も足りなくなるだろうし。出席したとしても授業についていけるのか?
「全く、初めて生徒が頼ってくれたっていうのに、その内容が人捜しとはなぁ。というかお前ってそんなキャラだったか?」
思考を巡らしていると藤岡はそんなよく分からないことを言った。
「はい? キャラって何ですか、キャラって」
突然ぶっ飛んだ事をいう教師の顔をまじまじと見る。いつからそこまで阿呆になった。
「いや、桜井は女子に興味あったんだなと」
「え~、まぁ、男子ですからね。興味ぐらいは持ちますよ」
「ほお。ということは何? その子狙ってるの? 結構美人だった記憶があるし。お前って案外ハイエナ?」
「……」
あぁ。なるほど。あんたの言いたいことがよく分かった。要するに……。
「あ、俺に紹介してくれない? 知り合いなのか? だったら是非とも」
ぶん殴ってほしいって事だな。
「いい加減黙れ。このボケ教師」
ニタニタと馬鹿げた発言をする藤岡の顔面に拳をお見舞いし、形だけの礼を済まし職員室を後にした。次同じような事を言ったら、骨ごと砕き散らせてやる。
この後もう一度職員室に行く羽目になったのはまた別の話だ。
「よっ、遅かったな。用事はもう済んだのか?」
校門を通り過ぎた辺りに柳田が壁にもたれかかるようにして立っていた。俺は普段一人で帰宅することが多く(一人の方が気楽だからな)、誰かと一緒に帰るのは稀である。今日は特にこれといった用事もなく、約束もしていないはずだから、てっきり先に行ったと思っていた。
「あぁ、面倒なことがあって。ていうか帰らないで待っててくれたのか? なんていうかごめん」
「別に気にしなくていいよ。それよりさっさと済まそうぜ」
「? 何を」
用事ならさっき済ませてきたと言ったはずだけれど。なんか他にあったか?
俺の発言に柳田は、『ただいまあなたの言った言葉に耳を疑っています。あなたは何と仰いましたか?』とでも言いたげな顔をしていた。凄い顔だ。
「お前絶対忘れてるだろ」
「だから何を」
「ブレイブソードⅣ」
「……あぁ!」
やっと思い出したかとやれやれと柳田は肩をすくめた。そうだ。すっかり忘れていた。そういえばそんな約束をしたな。
ブレイブソードⅣ。PS2専用ソフトで、無印版から絶大な人気を誇り、どの作品も発売から四ヶ月はランキングトップを飾るRPGゲームの第四弾だ。このゲームの特徴はなめらかなグラフィック、多種多様な技と魔法(技は武器での攻撃方法のことで、魔法は含まれない)、膨大なまでのステージとシナリオ、そしてよく練り込まれた詳細でしっかりとした軸を持つ設定。その完成度に初めてプレイしたものは涙を流さずにはいられないだろう。実際俺は泣いた。
そして今回発売されるブレイブソードⅣは従来のシステムに加え、新たなシステムが導入されるのだ。この作品のファンの一人として絶対に逃すわけにはいかない。同じくこのゲームに魅せられた柳田とともに買いに行く予定だったのを思い出す。
「悪い、すっかり忘れてた」
「別にいいからさっさと行こうぜ。俺たちはちゃんと予約してるんだから買えないってことはないしよ」
「そうだったな。それじゃあ早いところ行くか」
今思えば学生服着ているから何か言われそうだけど、この御時世そんなことで補導されることはないか。
鞄を背負い直し、まだ見ぬ世界へと思考を飛翔させ、目的の店へと向かった。
夜八時。お目当ての品を手に入れ意気揚々としながら俺たちは夜の街道を歩いていた。街灯に照らされながら辺りを何となく見渡す。
人がいない。
あの噂の効果は意外にも大きいらしく普段見かける不良らしき人々は一切見あたらない。それも仕方が無いのだろうけど。
「それにしても妙に静かだな、桜井さんや。俺は今とてつもなく不安なんですけど。手、繋いでくれね?」
「そのまま捻りきってやるよ」
「やだやだやだやだ。ごめんなさいごめんなさい」
何故男同士で手を繋がなきゃいけないのだ。気持ち悪い。
けれど、確かに不安ではある。
この道にある店の多くはすでに仕舞われていて、営業しているのは精々四、五件くらいだ。すっかり錆び付いていて、聞こえてくるのは俺たちの足音と風が吹く音だけだ。
無言の中、二人で暗い路地を歩く。
ここ周辺を照らしていた街灯は、進むにつれて徐々に暗くなっていくような錯覚を覚える。いつしか全てが闇に包まれたこの世にない世界に来てしまったような、そんな不安が体のそこから湧き出てくる。一歩歩く度に心臓が高鳴っていく。一歩歩くごとに不安が増していく。
ここから先へは行ってはいけない。
ここから戻ってももう遅い。
ここから動かなければヤられてしまう。
頭の中をそんな文が駆け巡る。頭痛がする。頭に、本能に、身体に訴えてくる。たまらず走りだそうとしたその時。
「……っ!」
空気が変わる。暑い身を焦がすような夏の外気はどこか不安定な妖しく冷たい空気に入れ替わった。ぞくりと嫌な寒気が襲ってくる。前方から何かがやってくるのが目に見えた。
「おい、誰かこっちに来てないか?」
隣にいる柳田が震えた声でそう言った。恐らくこのどうしようもない不安で不吉なモノを感じているんだろう。少なくとも俺はそれを感じていた。
やがて暗闇から一つの影が姿を現した。
黒いコートを羽織、赤い目を赫奕とさせこちらを見つめる、二メートルはあろう巨体の男。その目から感じる眼光と身体からにじみ出るように発せられる殺気は、今この場の全てを支配していた。
動けない。
動かせられない。
手足は恐怖で雁字搦めに絡まれ、首から頭部は男を見たまま、目を逸らすことも出来ずにいる。唯一自由なのは思考することだけ。今俺の心と身体は明らかに乖離していた。
男は一歩一歩こちらに向かってくる。残りわずか五メートル弱。あまりに絶望的な状況に俺は思考までをも奪われかねなかった。
嗚呼、間違い無く殺――。
「あ゛、が、あ゛ぁ」
不気味な声が耳に届く。
声の主は柳田だった。
男が柳田の首に何か細い管のようなものを突き刺している。何をしているか分からないけれど、それが命に関わるものだというのは感じられた。
柳田の顔がこちらに向く。顔は蒼白で、良くないものに乗り移られているみたいで。そんな中で唯一変わらない瞳からは『助けて』という懇願のメッセージが伝わってきた。その伝言は俺の瞳を通して脳に伝わり、体全体に広がっていく。
「っ――そいつから手を離せ!」
何かしなければならない。そう思った瞬間、氷のように固まっていた体が氷解した。拳を強く握りその男に向かって殴りかかる。
風を切る音が聞こえた。
拳が空を切る。視界の端で男が呼吸をするように避けるのが見えた。重心が前に行き、このまま体勢を崩して倒れ込むのが安易に予想できた。顔が地面と接触する直前、男と目が合った。
「……?」
何故か、その男の目には悲しみが宿っていて、それがこの常識外れな状況とは不釣り合いで。
それは深く印象的だった。
地面に体が叩き付けられる。衝撃で肺から酸素が一気に外へ流れ出た。酸素の貯蓄が大きく減り息が苦しくなる。地面に手を着いて胸を強く押さえ、呼吸を整えようと努める。それは大きな隙だった。そこを男が見逃すはずもなかった。
上から俺の頭を大きなゴツゴツとした手で押さえつけると、男は俺の首に何かを刺した。
血が徐々に抜き取られていくのが直に伝わってくる。恐怖や焦燥感、そしてこのまま死んでしまうのかという疑問。それらが頭の中をグルグルと駆け巡る。
抵抗が出来なかった。またしても鎖で全身を縛られたように動けずにいた。
意識が遠退いていく。
俺はまだ死にたくない。
そんな言葉を意識が途絶える前に言った。それを男がクツクツと嘲笑した。
「安心しろ、少年。貴様の血は我々の叡智の糧となる。お前は犠牲者という下位な存在ではなく、起源へ導いた者として上位の存在になれたのだ。歓喜せよ少年。貴様は高貴なる弱者だ」
桜井悠太の意識があったのはそこまでだった。
やっと投稿できた……。
長らくお待たせして済みませんでした。とりあえず吸血鬼さんを登場させることに成功。あとは主人公を事件に完全に関わらせるくらいですね。
それではまた会いましょう。