第二十三話 束縛
寒い。
廃工場内に足を踏み込んで初めに感じたのは、熱が奪われていくような奇妙な感覚だった。夏特有の蒸し暑さを伴った空気は鳴りを潜め、代わりに見も凍りつくような冷たい空気がまるで誇張するかのように漂っている。精神的なものから来る錯覚なのか、実際に大気がそのような状態であるかは分からない。どちらにせよ、寒いという事実には変わりないのだ。
無駄な思考。逃避思考。駄目だ。今は目先の事だけに集中しろ。ここから先、余計な思考は単なる妨げにしかならないのだ。
「この辺りにはヤツはいなさそうだな」
「うん。所長で言うところの『吐き気のする魔力』が貯蓄されているみたいだけど」
「どれくらい?」
「一生研究で使えそうなくらいだね。よく隠し通せたものよ。隠蔽に苦労したでしょうに」
美月は嘲笑と憎悪が入り混じった複雑な声でそう言葉を返してきた。確かに、グループ本部から遠方にあるとはいえ管理範囲内には入っているのだ。生半可な隠蔽ではないと分かる。
「それにここまでやるくらいだから、でかい事起こす気でいると思う。あいつの解析魔術が絡んでくるかもね。何かの魔術の研究でもしているんだと思う」
「アイツが何をしようとしているのか解明しないとな」
「でもそれは後回しだよ。今は違う事を考えなきゃ」
「倒す事だけを考えろ?」
「そうだね。あいつを倒す。絶対にヤってみせる。だから目の前に立ち塞がる物は片っ端から壊していかないと。人だったら生きている事を後悔させなきゃ。・・・・・・そう思いませんか? こそこそ陰に隠れている方」
前方にヤツとは違う魔力を持つ者がおり、幻影魔術で身を潜めている事を、侵入する前に美月が察知し、アイコンタクトで教えてくれた。
風が吹く。砂が舞い上げ、冷たさはそのままに、新たに異常性を孕んだ風が目の前にある広場の中心に集まる。見えない何者かが動くのを感じる。
「・・・・・・」
霧が晴れるように全貌が顕になる。二メートルを越える巨体を持つ黒コートの男。その風貌、見間違う事などない。しかし。
「吸血鬼・・・・・・?」
隣で呟く美月の声には戸惑いの色が濃く出ていた。俺自身も男に言いようのない違和感を覚えていた。
果たして眼前にいる男は本当に吸血鬼なのだろうか。外見は確かにヤツそのものだが、あの身に纏う不穏、不吉さは一切ない。目は不気味な赤色をしておらず、身を雁字搦めにさせるような殺気も発していなかった。
男は一歩近づく。
「吸血鬼、か。お前らがそう認知しているのなら、そうなのだろうな」
「訊ねます。あなたは吸血鬼ですか?」
「つまらない質問はするな。あの野郎に怪しい術を掛けられてから、ずっと気分が悪いんだ。血を採れ、血を採れと喧しい。これ以上気分を害させないでくれ」
男は認識阻害の術を掛けているのか、俺は男の素顔を全く見る事が出来ないでいた。恐らく声も変化しているのだろう。その手の魔術を解く術は知らないため、男の発言や挙動でしか情報を得るしかない。
「しかし」
「しつこい。誰だろうと関係ないだろ。俺はお前たちを阻むためにここにいる。お前たちは先に進むためにここにいる。ただそれだけだ。互いに役目の邪魔になるというなら、俺たちは戦うしかないわけだ」
「なら、仕方がないですね。私は『星の隠れ家』のメンバー、風流美月。あなたを捕らえます」
何かまだ引っかかるところがあるみたいだが、美月はそう宣告し、右足を半歩踏み出した。
「俺は桜井悠太だ」
美月が名乗ったのなら俺も言わなければならないと思い、一応相手に聞こえる声量で伝えた。
「風流美月・・・・・・桜井悠太・・・・・・」
息を呑む音。男はしばらく黙り込み、そして。
「は、ははは。あははははははははははははははは」
大笑いし出した。愉快だと言わんばかりに、狂った笑い声が廃工場内に響き渡る。
「あぁ、なるほど。さすがはアイツだ。全てを奪うに飽き足らず、奪われた希望をも自らの手で破壊しろと言うのか! 何て屈辱だ。俺があの術式を破壊するのを前もって予想していたのか? ははっ、そいつは凄い。心の底から感心するよ。もう駄目だ。狂え。死んでしまう。あの野郎を殺してやる。何もかも、アイツの何もかもをぶっ壊してやろう。ぐちゃぐちゃに壊してやる! 叩きのめしてやる!」
笑いはいつしか怒りに変わり、男は喉が裂けんばかりに糾弾する。彼の怒号は果たして相手に届いたのだろうか。それを知る由もない。そもそもどういう意味、想いを籠めたのかさえ把握していないのだから。
だが、一つ、分かりきった事なのだが、分かった事がある。それは、この男がルイス・クラインではない事だ。
「お前の、筋書き通りになんか、させない。全てを、壊して、やる。お前の、計画を、この手で、潰して、やる」
息切れ切れに、男は怨嗟の声を漏らし続ける。そして
「そうだ。風流美月、桜井悠太。俺と共にルイス・クラインを殺さないか?」
そんな予想だにしなかった提案に俺は呆然とする。
「お前らはアイツを殺しに来たんだろ? 目的は一緒だ。利害も一致しているはずだが、どうだ?」
息を呑む音。手を組まないか、共にアイツを始末しよう。俺はその声掛けに戸惑いを隠せないでいた。見聞きした限り嘘をついている様子はない。何があったかは知らないが、アイツに対する憎悪が心の底から沸き上がったものだという事は確かだ。
「断るわ」
ぴしりと美月が言い放つ。場の空気が凍る。
「だって信用できるわけないでしょう? いきなり現れたと思ったら叫びだして。その次には協力しろだなんて、怪しいどころか、むしろ恐怖ね」
遠慮なしの美月の発言に、俺は血の気がサッと引くのを感じた。メントールのような涼しさ、ねとっとした嫌な汗が共存するこの感覚はよくない事の前触れだ。冷や汗が止まらない。疑うのは無理もないが、相手をわざわざ刺激しなくてもいいではないか。まさか、相手の頭に血を上らせて、判断を狂わせる目的なのか? 何にしろ得策ではない。
「こちらに共闘の意思はありません。あなたを捕らえて全て吐いて貰います」
美月は右手を前に突き出し、左手を右肘より少し前に添える。何度も見た魔術行使の姿勢、右手に集まっていく魔力は今後の事も考えてか普段よりは少ない。しかし相手の機動力を奪う魔術に使用する魔力量だった。恐らく行使する魔術は束縛、しかも上位に位置する「罪人の足枷」だろう。元は魔術師としての規則を破った法外者に対しての拷問に使用された魔術らしく、あまり経歴はよくないが、束縛までの早さ、継続時間共に優秀であるため、使い勝手がよく、愛用者は多数いると聞く。男は美月の体内に魔力の流れを察知したのか、やれやれといった様子で。
「出来るだけ平和的に解決したかったが、どうやら無理のようだ」
何かを取り出した。
一切の装飾を取り払った一振りの短剣が男の手に握られていた。それは俺が見てきた中で最も質素で、無機質で、それ故不気味であった。直感的にあれが良くない物だと、暴力的且つ効率的に解決させるための物だと理解する。
「美月。あの男と吸血鬼を立て続けに相手するだけの魔力はあるか?」
「パートナーを見くびっちゃいけないよ。夜通し使い続けられる量はあるよ。悠太君は?」
「前もって組んである術式をありったけ持ってきた。盾の強度は二倍近く、身体強化系統も準備しておいたから、そう簡単にはくたばらないさ」
現在の俺の装備は魔力の詰まった石『魔力石』が五つ、身体に書いた皮膚及び内臓、骨の強度増加の術式、魔術の既成術式、そして幸音の作った御守りだ。
魔力石は美月と同様に美里の計らいで腕輪に埋め込んで貰った。必ず役に立つからと授けてくれたのだ。
術式は一週間準備して作り上げた自信のあるもの。
御守りはもしものためにと以前幸音から譲り受けた、ダンプカーに撥ねられても骨折程度に軽減してくれるという治癒及び痛覚制限、簡易結界の術式が組み込まれている。
これらを上手く運用し、勝利、いや生き延びるのだ。
目の前に立ち塞がる男からは未だ殺気が見られない。本当に戦うべきなのかやはり戸惑う。けれど、やらねばならぬのだろう。
「二人とも行くぞ。どれ程の実力なのか、この目で見届けてやる」
「っ、<集束弾 待機解除、第三軌道、発射>」
男は短剣を腰の右に構え、一気にこちらへ詰め寄ってきた。咄嗟に美月は集束弾を放ち、その進行を阻もうと打ち据える。十六の弾が相手を撹乱させようと不規則に動き回る。元々術式に、あるパターンを予め記しておきその通りに動かしているため、ある意味規則的と言える。軌道が決定しているので途中変更はこの術式の場合不可なので、見破られればそこまでだが、初見の相手にとっては回避が困難であることに変わりはない。見る前に見破ることは出来ない。予測不可能な弾幕に対し男が取りうる選択肢は一つ、回避のみだ。
「くっ!」
時々をたたらを踏んでいる事から、男が予想以上に苦戦しているという主観的とも客観的とも言えない情報を得られた。弾丸の内七つが急に動きを停止し、主を守らんと美月の近くを周遊しだした。真横から見ると直線に、真上から見ると円状に動いている。相手の魔術を打ち消すよりも牽制の意味合いが強い七つの弾丸、依然複雑に動き回る九つの弾丸は時折地面を穿ちつつ相手を攻め続ける。
「<Load [Trap] five set, stand by, ready>」
このまま見ているわけにはいかず、俺は幾らか用意した術式の中から罠の魔術を選択する。五箇所にそれらを設置し、過剰供給しないよう細かく調節する。優姫が以前使用していたのを見て、自分なりに組み上げた魔術だ。最初は構成できるか不安だったが、案外すんなり基礎構成が上手くいった。そこからの付加に手間取ったが、なんとか一つだけ成功した。
「<周遊速度 加速、第三軌道 加速>」
呪文を唱え、相手を更に窮地に追い込もうと美月は魔力を注ぐ。これは俺みたいな普通のヤツには出来ない。美月の異常な魔力量と精密な行使があってこそ成せる技だ。短期決戦に持ち込む気なのだろう。縛り付けてアイツの居場所を吐かせる手段を採るのか。そして。
「<待機解除、『罪人の戒め』、彼の者を捕らえよ>」
縛りを解き放った。不気味に白銀に輝く魔の鎖は蛇のようにうねうねと動きながら、その矛先を男に合わせている。男はいずれ捕らえられると考えたのか、短剣に魔力を籠めると再びこちらに向かって駆け出した。恐らく鎖を断ち切る気でいるのだろう。弾丸を短剣で退け、幾らか食らいつつも男は走り、距離は着実に縮まっていく。五メートル弱。あともう少しだ。
もう少しで終わる。
男の体が傾く。急激に体勢を崩し、そのまま地面に倒れこむ。そして四肢に鉄の鎖が巻きつき彼の動きを妨げた。
俺が仕掛けた罠、名称は『縛鎖』。何の捻りもない名だが、効果はなかなか恐ろしい。見ての通り、設置した範囲内に相手が踏み込んだ瞬間に発動するスイッチ式で、鉄の色合いをした魔術で編み上げた鎖で確実に捕らえる。
別に色は関係ないのではと言われれば確かにその通りなのだが、魔術を行使する上ではイメージというのは結構重要だ。特に脳内の想像を元に魔術を行使する方法にとっては、前もって構成しておく方法とは意味そのものすら違う。
鎖は行使者が魔力を注ぎ込んだ分だけ強度が増し、やろうと思えば超合金並みにまで上げられる。つまりレベルを調節できると言う事だ。
今回俺が設定した強度は相手を十秒くらい足止めできるくらい。実際は五秒しか足止め出来なかったが、それでいい。
美月の『罪人の戒め』が男を束縛する。ジャラジャラと音を立て、まるで質量を持っているかのように男に重く圧し掛かる。
「<全弾、一個体 追撃>」
そう、五秒あれば十分だ。
男が大きく目を見張る。認識阻害を掛けているためはっきりとした表情は窺えない。しかし、人の動揺は例え魔術による隠蔽が施されていたとしても隠し切れるものではない。
十六の弾丸が男に目掛けて飛び込んでいく。全て受けたのであれば失神くらいでは済まされないと思うが、美月のことだ、死に至らせはしまい。
弾は一点に集まり、おぞましいほどの閃光が辺りを照らし、
「そこで寝てなさい」
鼓膜を突き破るような爆裂音が空間を裂いた。
目の前に立ち塞がる物は片っ端から壊し、人だったら生きている事を後悔させる。ではどちらでもない何かは? 言うまでもない。
両方だ。
今日発売のSAO8。
近くの書店に売っていなかった。
代わりに『緋弾のアリア8』と『レイヤード・サマー』を買った。
レイヤード・サマーを現在読み進めている。
凄く期待して読んでます。
近況報告はここまでにして、
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では(・ω・)ノシ