第十七話 困惑
結局、イビルキャッスルⅢは攻略できず本部へ帰り時間となった。帰り間際美月が行きたい場所があると言い出したので付いて行くと、近くにある臨海公園に辿り着いた。そこにあるベンチに座り夕日に染まる橙色の海を眺める。見渡す限り海、というわけではなく、むしろ進出したビル群やボートが視界の三、四割を占めていたが、それでも壮大さを感じさせるこの光景からは感激と驚嘆、二つの所懐が押し寄せてくる。遠くには水平線が見え、雑多な音や潮の流れる音、心臓の音、あらゆる音がやけに大きく聞こえる。水面が陽光を放散し宝石にも劣らない輝きを放っている。普段気にも留めない物事に最近目を向けるようになり、こうした身近に潜む宝物が如何に貴いのか、十六歳なりに考え、感じ、大切にしたいと考えるようになった。若造が何を偉そうな事を言っているんだ、社会を、人生を語るにはまだまだ経験が足らないと嘲笑されるかもしれない。その通りだと思う。彼らにしてみれば、俺達が過ごした日々はほんの一瞬の出来事でしかないのかもしれない。そんな短い間で経験したものだけで人生を語るなんて愚の骨頂だろう。でも、今だからこそ感じられる事や思う事を蔑ろにしたくはないのだ。尊重したいとさえ思う。大人になるにつれて育っていく精神、思考。代わりに廃れていく純真、無知。子供と大人の板挟みの状態である思春期の今、何を考え、何を感じ、何をしたのか。いつまでも熱意、希望を忘れないよう胸に刻み歩んで行きたいから、俺は今でしか出来ない事を実行していくんだ。
「今日は、ありがとう。とても楽しかったよ」
ぼんやりと考え事をしていると不意に美月が言った。
「俺も楽しかった。でもごめん。気づいたらもう六時過ぎだ」
「なんでごめんって言うの? 美味しいもの食べられたり、新しいことを経験できたり、いい思い出を作れて、私、嬉しかった」
「そう言ってくれると俺も安心というか、嬉しいよ」
美月は海の方へ目を向け、そして静かに目を閉じた。陽が彼女の顔を紅く照らし、整った顔立ちと真珠のような肌がより強調される。それは言葉で表しきれない程美しく、燦然と輝いており、あの星月で彩られた夏野での邂逅を想起させた。
思わず見惚れ、呆然としていたためか、美月が「どうしたの?」と顔を近づけ、じっと見つめていた事に気付かなかった。なんとか驚いて無様に転げたり痙攣したりせずに済んだが、それでも赤面だけは回避できなかった。俺の様子に疑問を抱いたのか首をこくんと傾け、不思議そうにしている。何でもないと告げると、美月は頷き再度黄昏時の海に視線をやり、言葉を紡いだ。
「今日ね。何度か話そうかなって思ってた事、言うね」
「話そうと思ってた事?」
「そう。悠太君には話してなかった吸血鬼のこと。もし良かったら聞いて欲しい」
豈図らんや(あにはからんや)、それは俺が訊きかねていた事だった。無言でいると肯定と受け取ったのかポツポツとその概要を洩らした。
「まだグループに入って間もない頃。メンバーが所長、ロンさん、美里さんと私、そして至さんの五人だけだったの」
「至さん?」
「そう、昔居たメンバーで、私にとって父のような存在だった人。とても優しくしてくれて、魔術や勉強を丁寧に教えてくれた師匠でもあったなぁ」
その人物を話している三月の表情は安らかで、懐旧の情がありありと伝わってくる。それと同時に痛悔の色も。
「小学六年生のある日、私は至さんと一緒に夜道を歩いていたの。ここ最近騒がせている謎の人物が近くを徘徊しているから襲撃に会わないように送り届けるからって。私は至さんが付いてくれるなら安心だ、そう思った。でも」
「もしかしてその謎の人物に会った?」
「うん。正確には会ったじゃなくて見たって感じかな。なるべく明るい道を歩いてたんだけど、必ず通らなくちゃいけない道があって、そこを歩いていたら見たの。その謎の人物は地面に突っ伏してた。辺りには夜でも分かるくらい赤い血で濡れてた」
つまり、その人物は、事切れていたのか? そこから導き出せる事実は一つ、その人を殺した人の存在だ。そしてある予感がしていた。
「死体の傍には黒いマントを羽織った如何にも不吉な大男がいた。私達が迂闊だった。人払いの結界が張られていたのに気付かなかったのだもの。巧妙に魔力を隠されていて一切気付かなかった。今更何を言っても仕方がないけど。それから大男が至さんに襲い掛かって、逃げろって言われて、必死に走って、交番に駆け込んで。そして翌日知ったのは謎の人物の死亡と、新たな指名手配犯、そして至さんの死。気付いたら手元には青玉のペンダントだけが残ってた」
そう言ってポシェットから縦長のケースを取り出した。
藍青色のコットンが外装となっており、美月は上蓋を外し中の物を見せる。鮮やかな色彩と光芒を放つそれは美しさだけでなく、魔術的な施し、持ち主を外敵から護る強力な術式が練り込まれている歴とした高級礼装であった。雫を象った青い宝石の鋭角部分からは焦げ茶色の紐が伸び、また石の中央には稲妻を変形させたような紋様が刻まれている。それに見覚えがあったが、いつ何処で見たのかまでは思い出せなかった。美月は蓋を閉じ、大切に、慎重にポシェットへ仕舞い直した。
「本当はこんな考えは駄目なんだ、こんな感情を抱いてはいけない、って事は分かってる。でも思わずにはいられない」
一呼吸置いて、彼女はその胸の内を晒した。
「私は吸血鬼を殺したい」
「至さんの命を奪った手を、最期を見た眼を、奪おうと考えた脳味噌を、吸血鬼の全てを撃ち抜く。そのために腕を磨いて、身体を鍛えてきたんだから」
自らの手で仇を討つ。この誓いは四年の歳月が経った今でも変わらない。ずっと続いていく筈だった幸せな日々を壊されたのだから。勿論現在送っている日常は幸せだ。本心から思っている。けれど、こうして元気に幸せに暮らしている姿を、小六の頃とは比べ物にならないほど成長した姿を見て貰いたかった。この願いが叶うことはない。
「絶対に会って、この手で必ず」
「駄目だ。やってはいけない」
もう一度、誓いが揺るがないものだと確かめるように呟いた私の言葉は、直後、否定された。よりによって自分のパートナーに。
「恨んだり、憎んだり、悔しかったりするのは分かるけど。美月の魔術を、そんな事に使って欲しくない。君の魔術はとても美しくて、神々しくて。そんな事で汚しちゃいけない。それに殺したところで至さんという人は帰ってこない」
何を言っているのだろう。何を分かると言っているのか、何を汚してならないのか。じゃあ何? 吸血鬼を質量兵器でも持ってきて殺せと言うの? ふざけないで。綺麗ごと言わないで。帰ってこない? そんな事とっくの昔に理解している。私に出来る事は平穏無事に過ごして行く事だけ。ただ私がそうするのを拒んで、他の方法が見付からなくて、そうして敵討ちという手段に縋り付いた。私はこの選択を是とし、貫き通し、今の私が形作られた。形になったものを崩して一から創造するのは至難の技、そうそう出来るものではない。無論崩す気なんて更々無いけれど。
「それでも私はこれを成し遂げる。誰から何て言われようと、絶対に、必ず」
悠太君は私の言葉をどう受け取ったのか。私のことをどう見ているのか。語るまでも無い。
「意思を枉げる気は?」
「ないよ」
枉げる? 何故さっきから馬鹿げたことしか言わないのだろう。ここまで不愉快な気持ちになったのは初めてだ。私の存在そのものを否定された気分だ。復讐に走ってはいけません。そんな綺麗事がこの世に通じると思っているのか。もしそれで全部片付けられるのなら私はこんなに苦しんでいない。憮然としたまま私は彼の目を見た。
「意思を枉げる気は?」
「ないよ」
俺の質問にそう即答する彼女の眼は強固で、梃子でも折れないくらい強靭だった。その眼を見て考えてしまった。果たして彼女には今と過去以外、つまり未来が見えているのだろうか。過去や現在に目を向けすぎて、未来がそれらに摩り替わってしまったのではなかろうか。もしそうだとしたら、彼女はどう道を歩んでいくのか。このままでは駄目だ。彼女は道化になってしまう。ただ吸血鬼に操られて無様に舞台で舞い踊る人形になってしまう。いけない。ちゃんと先を見てくれ。「過去を見捨てろ」なんて言わないから、未来を見てくれ。至さんはとんでもない呪いを残した。その呪いは掃っても、掃ってもすぐに再生し、美月自身を蝕む。お願いだ。過去に囚われたままでいないでくれ。将来を見てくれ。それだけがこの呪いから逃れる唯一の方法なのだから。
「なぁ、お前の言う通り復讐心でこれまで来たのだとして、四年間をその想いだけで来たのなら」
私の目をしっかりと見て話し掛ける。彼の瞳はどうしようもない程、はっきりと困惑の色が窺えた。そして。
「その後どうするんだよ。その願いが叶ったら、美月は」
「どうもしない。いつも通り、やって行くだけ」
本当に出来るのかと、彼の沈黙からはそんな意を受け取れる。当然だ。私の心、その奥底で燃えている復讐の炎が消えても、多くのものが残……る?
そこで私は気付いた。沢山残るけれどもそれはグループや友人、魔術といったものだけで、これから未来へ歩む力となる『夢』がない事に、今更ながら気付いたのだった。
美月とは別れる時まで言葉を一切交わさなかった。本部を出る時とは正反対の面持ちに嘲笑する。この馬鹿野郎。好きな相手を悲しませてどうする。
俺は叶った後の事を訊いた。彼女の答えは不安定で頼りなく、先が見えない。殺すまでの道筋が鮮明で、外部から針すら通せないくらい余地がない。が、その先なら何とか出来る。もし言葉通りにやっていけるのであれば、俺もまた普段と同じように過ごしていく。もし迷ったり立ち止まったりするのであれば、俺は迷わず手を差し伸べる。努力しなければいけない。彼女を輝きある未来へと導けるように。
さて、まずは自分の身くらい護れるくらいにはならないとな。
道のりは長そうだった。
今回は過去話と美月が魔術を必死に習得した理由について書きました。
なんだか美月のキャラがぐにゃぐにゃになってしまった気がします(汗)
努力家で真面目、戦場では冷静、そして執念深い。それが美月です(キリッ
当初はのほほんほんわか、戦場ではクールビューティーな少女だったんですけどね。
のほほんほんわかは美里さんに献上してしまいました(笑)
ここから遂に大詰めを迎えていきます。
果たして吸血鬼の狙いは何か。
死闘の結果はどうなるのか。
最近ほったらかしにしていたロンさんや美里さんなどのメンバーがどのような役回りをするのか。
今後もよろしくお願いします。
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では(・ω・)ノシ