第十四話 再来
街灯に照らされたコンクリートで固められた地面を蹴り、獅子の如く疾駆する。心臓は殴りつけられたかのように痛み、全身からは急激な運動から生じる以外の原因によって汗が噴き出していた。徐々に現場に近づくにつれて感じる、理性ではなく本能に直接働きかける警鐘。間違いなくアレがそこにいる――。
「・・・・・・」
月明かり、街灯の光も差し込まない暗い路地裏。あまりよく見えないが、恐らく辛うじて見えるあの細く白い棒状のものは、先端が少し広がっていて五本の突起が出ている独特の形状をもつものは。
「遅かった、のね」
きっと、人間のものだ。
目が慣れて曖昧な像が結ばれ、次第にはっきりとしてくる。白いTシャツに青いミニスカート、少し長めの髪は地面に広がり、それのほとんどが異質な香りを放つペンキによって濡れていた。急に胃から消化物がせり上がるのを感じ、懸命に押し止めようとする。口と喉を押しつぶす勢いで押さえ、吐き気が消え去るのを待つ。
「・・・・・・はっ、はぁ、はぁ、ぐっ、かはっ」
何とか嘔吐することを避けたが不快感が多少なりとも残る。柳田も俺もこんな状態にされる直前まで行ったのか?
「悠太君、構えて。来るよ」
美月は右腕に魔力を集め始める。何が来るのかは言うまでもなかった。
コツコツと音を鳴らしながらゆっくりとした歩調で何かが歩み寄ってくる。そして一つの影が姿を現した。
「吸血鬼――!」
最初に遭った時と微塵も変わらぬ出で立ちで、自らの存在を知らしめるかのように殺気を放ち吸血鬼が現れた。一瞬気に呑まれかけたが必死に自我を保ち、持ちこたえた。これは慣れるものではないな。
「どうも、こんばんは。若い男女がこんな薄汚い場所で何様か? 逢引ならもっと場所を選んだらどうかね」
クツクツと神経を逆撫でする声で嗤う。不気味なことこの上ない。
「あなたこそ何用ですか。まぁ、足元に女性の死体がある時点で、どう疑われても仕方がないですよね?」
「おいおい。もしかしたら私はただここを通りかかっただけかも知れんぞ? あらぬ疑いをしない方がいいのではないか」
「全身に血を浴びている人が何を言うのですか。ふざけていると蜂の巣にしますよ」
「はっ、はっはっは。気の強いお嬢さんだ。気品の欠片もない。だがそれくらい威勢がよくないといけない。下に転がっている人形みたいにあっさり死んでしまうからねぇ」
吸血鬼は足で、人形と比喩した女性の死体を小石のように蹴り飛ばす。鈍い音と共に二、三回転がり、俺たちの足元で止まった。
「お前、何と言うことを!」
「少年、何故そこまで驚くのだ。息をしない人間、活きていない人間なぞ人形と大して差はなかろう。まさか、屍ごときに同情をしてはおるまいな?」
いちいち癪に障ることを言うやつだ。死者を冒涜することがどれ程愚かなことか、きっとヤツは解っていない。
「お喋りは此処までです。ここで今までの罪を償っていただきます」
集束弾を瞬時に形成し、打ち放つ。それは吸血鬼の頬を掠り、後方へ消えていった。
「ほう。どうやらふざけが過ぎたようだな。確かに、雑談はここまでにしておこう」
腕を真上に上げ、その動作と共に吸血鬼の周りに黒い弾丸が幾つも現れる。一つ一つに凄まじい魔力を孕んだそれは、今か今かと開放の時を待ちわびている様に見える。まずい。アレを食らったら無事では済まない。
「君たちはこの先の計画に支障を来たしそうだ。念のため、ご退場願おうか」
「っ、<Load [Protect] stand by, ready>」
来るであろう大きな衝撃に備え自身が持っている中で最強の盾を引き出す。何かに対しての絶対防御はないが、様々な系統の魔術を防ぐ万能型の円盾。中世暗黒時代に西欧諸国で多用されていたとされる盾の形状を模し、鉄ではなく魔力と言う材質に形作られ此処に現れる。
吸血鬼は上に掲げた腕を振り下ろした。その合図を皮切りに始まる黒き弾の襲撃。引っ切り無しに降り注ぐ弾を蒼き円盾で防いでいく。凄まじい衝撃に腕が持っていかれそうになるが、何とか耐え必死に盾を展開し続けた。
美月は集束弾を作り出すと、それを黒い弾に向け、撃ち落とそうとする。しかし狙いは外れ、悉く吸血鬼の集束弾に打ち消されてしまった。
十五秒が経過し、盾にヒビが生じたのを見ると、予め準備しておいた魔力石を併用し注ぎ込む。途端にヒビは修復され、展開した瞬間と変わらない、いやむしろ以前よりも強度が増した状態になった。これで、あと三十秒は保てる。それまで応援に誰か駆けつけて欲しいと切に願う。
作り出しては撃ち出し、数が少なくなると作り出す。吸血鬼は作業するように、且つ殺意を籠めて行使する。撃ち始めたときよりもその速度も破壊力も上がっている。三十秒という予測は大きく外れ、十秒余りでヒビが入った。さらに盾に魔力を注ぎ込もうと神経を研ぎ澄まし、右手に必死に魔力を流そうとする。が、その前に「<聖なる盾よ。我らを襲う災厄から身を護り給え>」という呪文が聞こえてきた。
「悠太君。少し休んでいいよ」
そういうと美月は純白に輝く聖盾を現した。中央に聖母マリアの絵が施され、そこから発せられる輝きは全ての闇を振り払うかのようだ。聖盾プリトウェン、かの有名なアーサー王が所持していた盾あるいは船をイメージして構成された、悪に対する絶対防御と美月は後に説明した。かなり高位、または強力な魔術を使われれば消え去るが、ある程度の悪属性の術になら対抗できる。実に四年もの歳月を掛け完成させた美月の対吸血鬼用の護りだった。
「は、お嬢さんもなかなかやる。しかし、この執着心。何処かで似たようなものを感じたな」
はて、いつだったかなと吸血鬼は思案する。その間も忘れず、絶え間なく暴力の雨を降らせながら。三秒を数えた辺りに、驚きの表情を浮かべ「そうか。思い出したぞ」と、愉快だと言わんばかりに顔をニヤリと歪ませる。
「逃げるだけしかできなかったというのに、たった数年でここまで成長したのか、小娘よ。これは賞賛に値する! だがこれでは私を殺すどころか、傷一つ負わせることもできないだろう」
幾つもの弾丸を吸血鬼は俺たちに撃ち放ち続ける。聖母の加護を圧倒的な悪意、邪悪なもので打ち砕かんとその勢いを加速させていく。激しい金属音のような高い音が聴覚を強く刺激する。これほどまでの猛撃を美月は防ぎきっており、恐らく俺の円盾のように砕かれることはないだろう。しかし俺はある一つの可能性を危惧していた。それは、魔力切れ。幾ら高い魔力量を誇っているとしても、ヤツと美月とでは明らかに軍配は吸血鬼に上がる。どうする? このままではこちらの魔力が尽きて殺られてしまうだろう。ならばどうすべきか。なるべく時間を稼いで、応援に誰かが駆けつけてくれるしかない。馬鹿でかい魔力が流れてるんだ。グループのメンバー一人は来てくれるだろう。
「早く、誰か」
助けてくれ。そう願ったそのとき。
「え?」
耳が裂けそうな程鳴り続けていた爆裂音が急に止んだ。前方を見ると吸血鬼は遺憾した様子で俺たち、いやその背後を睨んでいた。
「ふむ。どうやら要らぬ来客が来たようだ。ここに招いた記憶はないのだが、神楽月姫」
「君にとっては招かざる客であったかルイス」
俺と美月は驚き振り向く。そこには『星の隠れ家』の所長、神楽月が身体から魔力を迸らせ悠然と構えていた。周囲に図鑑程の大きさの本が五つ浮かんでおり、それらからも膨大な魔力を感じる。何かの礼装だろうか。形状から判断すると詠唱補強、短縮といった効果か。
神楽月はその内の一冊を掴み取り、いつでも始められるとでも言うように目を睨みつかせる。
「この美しい月夜を眺めて緩やかな一時を送っていたのだがな。何やら不愉快な魔力が流れてきたもので、思わず潰したいと思ってね。見た限り、随分私の同僚を可愛がってくれたようじゃないか。正直吐き気がする」
「君のその敵に対する容赦無い罵詈雑言は、しっかりと同僚に伝わっているみたいだ。ちゃんと新人教育を行っているみたいで安心したよ」
「無駄口を叩いてる暇があるなら辞世の句でも詠んだらどうですか。それくらいの時間なら差し上げましょう」
「冗談を。まだ私にはやらなければいけない用事があるのでね。ここでくたばるわけには」
「見事だルイス。これほど長たらしく此の世への未練を詠ったのは君か愚者くらいだろう」
「お褒めに与りまして光栄だよ神楽月。だが先も言った通り、まだ死ぬわけにはいかない。私は静寂をこよなく愛していてね。死に果てる地も静寂で自然の美しい場所と決めているのだよ。さあ、今日はもう遅い。早急に立ち去るとしよう」
吸血鬼――ルイスは闇に溶け込むように消えていく。しかし。
「――させない」
冷淡な、そして殺気を含んだ声が路地裏にて発せられた。その声の主が誰か理解するよりもずっと早く、速く。
青白い槍が一閃した。
「ギッ!」
槍はルイスの左腕に突き刺さり、消えかけていた影が再び実体を持つ。
「く、やはりなかなかやるのう、お嬢さん。聖なる盾を魔力に還元し、槍に変換、行使の待機を掛けていたか」
「<第一 集束維持停止 暴発>」
苦しげなルイスの言葉にかとも言わず美月は唱える。青白く光る槍はより一層輝きを増し、辺りを包み込む。
「消えて」
瞬間、槍は爆弾へと変貌を遂げた。その内に秘められた魔力が、形という束縛から放たれ、純粋な暴力として相手を襲う。
暴風が吹き荒れる。
道路に規則正しく並べられた街灯からでも感じられた温かみは、美月という人から生まれた光からは何一つ感じられず、ただただ凍えるような、それでいて焼き尽くすような殺意が路地裏に叩きつけられた。
あまりにも眩しく、寂しい光に思わず目が眩む。またこの場所に吸血鬼の愛しそうな静寂と闇が戻った時、ようやく目を開けることができた。まだ視覚が闇に慣れていないためか、すぐには周りの状況が判らなかった。ずっと感じていた重圧が消えている事からヤツがこの場から去ったのは知っていたが、それが果たして逃走なのか、それとも死去なのか、どちらか判断が出来なかった。俺は後ろにいる神楽月に確認する。
「所長。吸血鬼は」
「まんまと逃げられたよ。けれど、美月のお蔭で深手を負わせることが出来た。例えルイスでも一週間は動けないはずだ」
神楽月は微笑み、今日はよくやってくれたと褒めた。それに笑顔で返したけれど、心の内でまたほとんど何も出来ずに終わってしまったことに少なからず後悔する。まだまだ俺は・・・・・・。
「それでは戻ろうか。桜井、美月。いつまでも此処にいては身体に悪いだろう」
「はい」
確かに、ずっと突っ立っていては風邪を引いてしまう。神楽月の言葉に従い本部へ帰ろうとした、が。
「美月?」
そこで初めてヤツが去って以降美月が一言も発していないことに気がついた。美月は隣で俯きじっと動かずに立ち尽くす。
「・・・・・・また」
ぽつりと呟く彼女。その言葉は小雨に打たれたように濡れている。
「また、私は、ヤツを”殺す”ことが出来なかった・・・・・・」
地面にポツポツと滴が落ちる。それは天からの恵みなのか、悲しみの欠片なのか、さっきと同様判断出来なかった。
悠「で、やっぱり続けるのか。この形式」
作「うん。何かはまった」
悠「何かって・・・・・・。別にいいけど。それにしても今回はシリアスな感じで終わったな」
作「だね。元々そういう予定だったし。書きたいと思っていたことは無事書き終えたよ。あと後の伏線とかも二つ三つ張っておいたし、それに魔術登場できたし良かった、良かった」
悠「読んでみると戦闘描写少ないよな。もっと増やせば?」
作「無理。戦闘苦手」
悠「じゃあ何でバトルもの書いてるんだよ」
作「書きたかったから」
悠「・・・・・・そうか。序でになんでこんなに長いんだ、今回」
作「ノリに乗ったから」
悠「またノリか」
作「吸血鬼を書いてるとノリノリになるんだよね。自然とテンション上がる」
吸「これからも精進したまえ」
作「というわけで次回は『美月さん、鬱になる』の巻。乞うご期待!」
悠「今変なの出なかったか?」
作「気のせい。では感想、意見をお待ちしてます!」