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怪談

カニ

作者: 猫野沙子
掲載日:2026/06/21

カニを食べた父の様子がおかしい―――。


※カニが食べづらくなるかもしれません。

 母はカニが苦手だ。けれど、父はカニ好きだ。数年前に同窓会で再会した旧友が魚屋を営んでいて、ネット通販もやっていると知って、そこからたまにカニを買っては食べている。

 父がカニ好きだと知った旧友は、父から注文が入ると、おまけのカニを入れて送ってくれる。


「あ。美味しそう」

ぽつりと呟いたのを、隣で飲んでいた莉子が聞きつけて、

「何が?」

と聞いてきた。私はスマホの画面を見せた。

「カニの味噌汁?あ、カニの刺し身もある!いいなぁ」

「父がまたカニを買ったの。今日が飲み会じゃなかったら、一緒に食べられたんだけど」

と笑うと、

「鈴子のお父さん、本当にカニ好きだよね。この前も食べてなかった?」

「この前は競馬で勝ったからって言ってたわ」

「今日は?」

「ボーナス日」

アハハと莉子が笑い、そのまま楽しく飲んだ。


「ただいま」

 家に帰ると母だけがリビングでくつろいでいた。

「おかえり。飲み会どうだった?」

「楽しかったよ。会社の飲みって、何で行くまであんなに億劫なのか分かんないけど」

私がそう言って笑うと、母は苦笑した。

「そうそう。お父さん、食べ過ぎたせいかちょっと気持ち悪いって寝ちゃったから、あんまりうるさくしないでね?」

「分かった」


 翌朝、父は普段通り起きてきたらしく、リビングで新聞を読んでいた。

「おはよう。気分は良くなったの?」

「ああ」

ちらりとこちらを見て、また新聞に目を通し始めた。なんだか、いつもよりそっけない気がしたけど、気にせず私は朝食を食べて出勤した。


 鈴子の父は、娘が出でいった後も新聞をめくることなく、ある記事をじっと見つめていた。


 夕方、家に帰ると両親がどことなくギスギスしたような雰囲気だった。

(ケンカしたな)

 私は触らぬ神に祟りなし、とばかりにささっと夕食をとって、2階の自室に入った。しばらくして、お風呂に入ろうと1階に降りると、父だけがリビングにいた。テレビの画面ではニュースが流れていた。たいていこの時間帯はお気に入りの女優さんが出てるドラマを見ているはずなのに。

「珍しいね?ドラマ見ないの?」

「ああ」

 朝と同じ返事なのを思い出し、違和感を感じた。父は明るくて話好きだ。何時もならうるさいくらいなのに。リビングに母の姿はない。

(まだケンカ中か)

 ケンカのせいかと思って、そのままリビングを出ると、キッチンから洗い物の音がした。いつもより音が大きい。

「お父さんとケンカしたの?」

と言いつつキッチンに入ると、母は大きく頷いて、

「お父さんったら、酷いのよ!何を言っても『ああ』ってしか言わないし、せっかく作った夕飯は箸もつけなかったのよ?!」

 今夜は母が得意なシチューだった。うちは季節関係なくシチューがよく出る。私も好きだし、父も、母のシチューが好きなのに。

「そうなの。まだ調子が悪いのかしら?」

「知らないわよ」

 母はプリプリと怒りながら、片付けを再開した。私はそのままお風呂に入って、部屋に戻った。


 翌朝、父がまたリビングで新聞を見ていた。テーブルには、今朝の朝刊が乗っている。

「お父さん、その新聞、昨日のじゃない?」

「ああ」

 何となく、ゾッとした。私は父の後ろに回り込むと、父がどのページを見ているか確かめた。

 全国ニュースが載っているページだ。父の視線は下の方の小さな記事に向けられているようだ。

「鈴子。ご飯食べちゃって」

「はあい」

 母が声をかけてきた。私はちらりと父を見た。能面のように強張った顔は、知らない人のようだった。ざわりと粟立った。

 私は逃げるように朝食を食べて、そのまま会社に出勤した。


「え、どうしたの?お母さん」

 母が私の会社にやって来た。こんな事は初めてだった。

「お父さんが、おかしいの」

少し青ざめて、目を潤ませる母に、私は動揺しつつ、借りた会議室に連れていった。

「何があったの?」

と聞いた。

「今日、お父さん会社を休んだの。それでね、お父さんのお友達からカニが届いて……。この前からお父さんちょっと変だったでしょ?喋らないし。だから、カニを見せたらもとに戻るんじゃないかって思って―――」

 母が震える。私は母の肩を抱いて、安心させようとした。けれど、私もいつの間にか震えていた。怖かった。この先は聞きたくなかった。

「く、狂ったみたいに暴れて―――」

堪えきれなかった母の涙がとうとう落ちた。しばらく、母は泣いていた。

「お父さん、カニに向かって『俺を食べないでくれ』って……」

 私は絶句した。ただ、母と抱き合ってしばらくの間震えていた。


 父は、入院した。

 最初は意味不明なことを口走ったり、暴れたりしたけど、半年を過ぎた頃から徐々に以前の父に戻り、すっかり元の父に戻ったのは1年を過ぎた頃だった。


 母も私も最初は怖かったけど、すっかりもとに戻った父に安堵した。けれど、変貌した父の話は暗黙の了解でタブーとなっている。そして、父はあれほど好きだったカニを食べなくなった。


 私は母が会社に来た日、父が見ていた記事を確認した。海に転落して、亡くなった人の遺体が見つかった記事だった―――。



読んでくださり、ありがとうございます。


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