表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

彼女はただ、ずっと見ていた ~悪役令嬢テレシア・ユースティティアの最期~

作者: 月見鴉
掲載日:2026/07/03

 きっと、テレシア・ユースティティアの最期は、「自業自得」の一言がふさわしいのだろう。


 家柄と闇魔法の力で輝きの聖女に嫌がらせを繰り返し、毒を盛り、果てには自身を慕う取り巻きたちに実行犯を押し付けた。

 聡明な第一王子が彼女の謀略に気づかない道理はなく、厳格な第二王子が彼女に厳しい刑罰を科さない理由もない。聖女がテレシアの減刑を求めることも、それを彼女のプライドが受け付けないことも、自明だ。

 すべてが自明な結末。当然のように彼女は自死を選び、最後には悪役令嬢の不名誉な二つ名だけが残った。


 アトリはただ、それを見ていた。テレシアの取り巻きの一人である彼女が騒動に巻き込まれなかったのは、単純に彼女の序列が低いせい。平民出身の彼女はテレシアにとって「取り巻きその五」程度の存在に過ぎず、嫌がらせの駒はすでに足りていた。だからアトリはほかの側近たちと違い罰を受けず、ただ死んだように学院に通い続けていた。


 形だけ見ると、現状は彼女にとって望ましいのだろう。気まぐれに起きていたテレシアのいびりはなくなり、負の感情という瘴気の温床が消えたことで、精霊たちも活気を取り戻した。精霊術師(エレメンタラー)の才のみで学院に籍を置くアトリにとって、それは悪いことではない。学院を出れば魔術職の道がひらけるし、そうなれば故郷の家族たちに十分な仕送りができる。そうすべきで、だから彼女は何もしなかった。


 けれど、水面に映る己の顔が曇らない日はない。友もないアトリは気づけば一人、誰もいない湖に時間を溺れさせることが増えていた。


「悪いけど、罪も罰もそこにはないよ」


 水面の月が歪む。誰かが石を投げたのだと気づき、振り返る。うずくまるアトリの背中を見下ろすのは、第三王子コルヴィス・クロウハートの意地悪な顔だった。


「あと、迷惑だから俺の特等席で何日もめそめそしないでくれるか」

「……ごめんなさい」


 罪悪感。けれども返事は座ったまま、顔も湖の方へと戻す。いくら学院内とはいえ、親しくもない王族への態度としては最悪だ。不敬だと罵られ、そのまま鞭打ちにでもなればいい。そう思った。なのにコルヴィスは何もせず、ただもう一度川面に石を投げる。


「そんなに罰が欲しいなら、兄貴たちのところに行けばいい」

「もう、行きました」


 正確には、テレシアの死後即座に第二王子がアトリのもとを訪れ、事実確認を済ませている。無実たるアトリが罰せられることは当然なく、第一王子からも被害者の免罪符が明け渡され、つまり王子二人はアトリに笑いかけることしかしてくれない。輝きの聖女ですら、「あの人はもういないから自分の人生を生きろ」と、アトリを優しく諭すだけだった。

 とうに事実は知っているのだろう。コルヴィスはつまらなさそうに声を上げて笑う。


「なら、俺から一つ提案だ」

「何です――きゃ」


 アトリの肩をつかんで引き上げるコルヴィス。そのまま手を彼女の首筋に沿わせ、軽く力を込める。


「アトリ・リアリーゼ。俺の願いを叶えてくれたら、罰でも何でも、望みを聞いてやるよ」

「ねが、い?」


 意識が遠のく。黒い光。何かの魔術か霊術を受けたのかもしれないと感づいたが、抵抗する気にはならなかった。けれど、危害が加わることはないように思えた。普段なら断っても身を守る精霊たちが、なぜかコルヴィスの近くに寄り添っていたからだ。




「……朝だ」


 刺すような光が目蓋を打ち、目が覚める。思えばずいぶん久しぶりに眠った気がする。体が置かれていたのは湖の固い地面ではなく、寄宿舎の自身のベッド。コルヴィスが運んだのだろうか。


「あんまり変なもの、見られてないといいけど」

「悪いな。もう見てる」

「えっ⁉」


 独り言に返事があったことを驚くまでもなく、ベッドのわきに第三王子が腰を落とす。


「約束通り、俺の願いを叶えてくれ」

「約束、してません、けど」

「そりゃそうだ。したのは俺だからな」


 あまりにも身勝手な理屈。困惑のまま身支度をさせられ、コルヴィスはアトリを外へと連れ出す。


 その日から二人の歪な関係は始まった。恋仲ではなく、友情でもなく、ただコルヴィスがアトリを連れまわすだけという表現が適切な、感情のやり取りに乏しいつながり。アトリは気乗りしないまでも、けれど断るほどの気力もなく、唯々諾々と後ろを付き従う。彼の言葉にあった「願い」という言葉が、後ろ髪を引っ張った。


「おい、謝肉祭に行くぞ」


 などと言ったように、突然コルヴィスはアトリの宿舎に顔を出し、問答無用で手を引く。それは遊びの誘いであり、魔術の訓練であり、稀に舞踏会の暇つぶし相手でもあった。


「おすすめはここのミートパイだ。金のことは気にしなくていいぞ。何せモーリスは若い女に甘い」

「あ、あの、殿下」

「なんだよ」


 コルヴィスはたいてい上機嫌に振る舞ったが、アトリが疑問を挟むと、いつも顔を歪めた。


「殿下の目的は何なんですか?」


 正直なところ、理由の分からない王子の行動にアトリは疲弊していた。コルヴィスは気晴らしをしているようにも見えない。何かこの放蕩に政治的な意味でもあるのだろうか。王位継承権とは無縁に過ごしていそうなこの第三王子に?


「俺は気まぐれ第三王子。目的なんてあるわけないだろう」


 にらみを利かせても、コルヴィスの口から出てくるのはからかいの言葉だけ。望む答えは得られない。


 理解不能な王子の奇行。真意は分からないまでも、分かったこともある。

 コルヴィスは意外なことに、平民と相性がよかった。相性がいいという表現は少し違うのかもしれない。彼はその素行の悪さと悪評ゆえにしょっちゅう街の人々たちとケンカになった。そう、ケンカだ。彼らは王族相手に恐れ多く忌避するでも、恭しく頭を下げるでもなく、ケンカをしていた。


「やーいワルヴィスのへなちょこ王子!」

「言ったなロイド。クソガキに本物の貴族の暴力ってやつを教えてやるよ!」


 子供相手に本気で殴り合いをし、駆けつけてきたその子の親に子供みたいな言い訳をする第三王子。整った顔に赤痣を作るその様子を見て、久しぶりにアトリは自分が笑っていると気づく。

 流れるひと時の陽だまり。すれ違うコルヴィスは短く、吐き捨てる。


「テレシア・ユースティティアを覚えているか」


 ぞっとするような声だった。研ぎ澄ました刃のような音だった。ようやくアトリは理解する。これが彼による、自分への罰なのだと。罰しないこと、それ自体がアトリの心を最も傷つけるのだと。


「忘れてなど、いません」

「……ならいい」


 二人の間に感情のやり取りはない。ただ、アトリは、軋んでいく自分の心を見ていた。




「コルヴィス、何を考えている。下級生、それも異性を無理やりに連れまわすなど、王族の所作ではない」

「何か事情があるのは分かる。だが、話してくれないと私たちにも伝わらないんだ」


 関係が続くうち、コルヴィスと王子たちの諍いを目にすることも増えてきた。アトリとの歪な逢瀬は秘匿されてはいない。自然の摂理のように、二人の王子は弟に諫めの言葉を惜しまない。


「視察だよ視察。下々の民の考えを知るのは大事だって、兄貴たちも言ってたじゃねえか」

「王族たる振る舞いを高めるための教義だ。今のお前はいたずらに権力を振りかざし、他者に迷惑をかけているに過ぎない!」


 正しき倫理、誇りと慈悲に満ちた言葉だ。彼らはアトリをコルヴィスのもとから引きはがそうとしてくれている。でも、それは彼女にとって罰にならない。衝突を重ねるうち、アトリの中に見えないわだかまりが絡まっていく。


「違うのですクローヴ殿下、レイヴン殿下。これはわたしが望んだことなのです」


 気づけば、諍いの中に割って入っていた。感情が魔力を爆ぜさせ、周囲に緊張が満ちる。


 失態。平時の彼女ならありえない魔力の暴走。戦慄するよりも早く控えていた護衛騎士がアトリの守護精霊と衝突し、けれどすぐさま第一王子の令で退いていく。アトリの体を後悔が襲ったのは、その場にへたり込まされた後だった。

 白昼の場、王族相手の霊術行使。無意識とはいえ、学籍どころか首が吹き飛びかねない罪状だ。けれどもそれを受けてなお、二人の王子は顔を逸らすだけだ。


「これは王族の在り方の問題なのだ。君は下がりたまえ」第二王子は毅然とはねのけ、

「被害者の君には悪いが、この件には誰の意志も介在すべきではない。すまないね」第一王子も優しく拒む。


 血筋と誇りが彼らの行動を作り、それは疑いようのないほどに正しい。だからこそアトリは言い返せず、無為な静寂だけが残される。


「はっははは」


 破ったのは、コルヴィスの笑い声。肺の中の空気を吐き出すような乾いた音で周囲を立ち退かせ、アトリを自らのもとへと引き寄せる。


「なあレイヴン兄、誰が迷惑をこうむってるって言うんだ?」

「その子だ」「誰だよ」「自覚がないのか? その子だと言っている!」


「……そうかよ」


 声を荒げるレイヴンにあざけるような視線を送り、アトリを引っ張ってコルヴィスはその場を離れる。誰にでもなくつぶやいた、「自覚がないのはどっちだよ」という言葉の真意は、当然アトリには伝わらない。

 けれどこの日は、つかむ手に交じる赤が、彼女に一つの意味を与えていた。 




 無言のまま歩き、たどり着いたのはあの日の湖。月が出るにはまだ早く、けれども湖面は薄暗い。

 引く手を止めるアトリに気づいたのか、コルヴィスも足を止める。


「なんだよ」

「……殿下、精霊の暴走は、殿下の意志ですよね」


 アトリは精霊術師(エレメンタラー)だ。精霊とは意志と願いの代行者、望まれないなら決して生まれぬ尊き光、精霊術師はその定義を違えない。


「俺は精霊術師じゃねえ。ただの王子だ」

「でも、殿下は望んでいた」


 アトリをつかむ手には新しい痣ができていた。間違いなく今朝はなかった。先の騒動で体を流れた魔力、その結果できた痣。それはつまり、あの黒い光(せいれい)に破滅を願った者の正体をこれ以上ないほど明確に指し示す。


「どうして、こんなことを?」

「……俺が知るかよ」


 腫れた手で石をつかみ、湖に投げる。アトリが何も言わずにいると、波紋が消えるほどの時間を待って、ようやく口を開く。


「テレシア・ユースティティアを覚えているか」


 静かに手渡されるのは、いつかと同じ言葉。その意味を、ようやく少し理解する。


「……お二人は、ご友人だったのですね」


 人をあげつらう態度、自由気ままで、平民に平気で近づく貴族。思えば両者の気質はとても近い。この湖だって、テレシアに連れられて知った場所の一つだ。今さら、思い出す、思い知る。


「なわけないだろ」


 そこには、虚ろの言葉に隠された、確かな想いの欠片があった。


「テレシアは友達じゃないし、俺は王子だ。だから俺は、あいつの死を悲しんじゃいけないんだ」


 テレシア・ユースティティアは自業自得の魔女。

 その大罪は揺るぎなく、その重罰に余地はない。


 テレシア・ユースティティアは腹黒魔性の咎人。

 その指先に善は宿らず、その足跡は徳を裏切る。


 テレシア・ユースティティアは孤城落日の亡骸。

 その絢爛に価値はなく、その宝冠に意味はない。


 それでも――


 テレシア・ユースティティアは、アトリにとって、それでも一人の友人だった。

 入学したてのあのころ、声をかけてもらえて安堵した。たとえ打算であったとしても、次の日も「ごきげんよう」が続いたことが嬉しかった。

 何度か「平民なら平民らしく遊びなさい」と言われた。「義務を果たすのなら権利も正しく享受しなさい」とも。闇の瘴気の奥底に眠らされた、本来の彼女。高圧的で自己中心の揺らがない、でも、確かに誇り高き貴族の彼女。


 彼女(アトリ)はただ、ずっと見ていた。それなのに、見えていなかった。

 ようやく自身を苛むそれが悲しさだと気づき、同じ悲しみに苛まれる者がいたことに気づいた。


「なあ、王子って、どうやったらやめられるんだろうな」


 虚ろの言葉で友の死を悼むコルヴィスの言葉は、アトリの心に一つの意志をもたらしていた。




「コルヴィスさま、朝ですよ」

「ア――衛兵、不届き者をひっ捕らえろ」

「いいから起きてください。すぐ出かけるんですから」

 

 一晩悩み、アトリは決意のままに行動を起こした。コルヴィスを連れて学院を練り歩く、その目的はテレシアを知ること。

 生徒に頼み込み、先生に時間を割いてもらい、ときには街の方まで繰り出して聞き込みをした。


 悪役令嬢の名前は未だ轟き、その悪行は濡れ手にまとわる砂粒がごとくついて回る。けれども稀に、ごくごく稀にだが、彼女への感謝を述べる者もいた。

 一番意外だったのは、輝きの聖女ヒカリだ。彼女は散々嫌がらせを受けたテレシアのことを、まるで十年来の友人のように語りに語った。涙を浮かべながらいじめの思い出を話す彼女を見ていると、アトリの目にも悲しみがぶり返した。


「聖女ヒカリ、マゾなのか?」

「コルヴィスさま、変な文章残さないで下さいよ。いい話だったんだから」

「はいはい」


 聞き出した情報はコルヴィスが書物にまとめた。誰に読んでもらうつもりでもなかったが、自然と二人の中で決定事項となっていた。


 書物が厚くなるにつれ、少しずつ、アトリの生活が変わっていく。

 テレシアの亡霊を介して、多くの人と関わった。友達と呼べる者も少しだけ増えた。

 テレシアの母親とも会った。アトリたちの奇行に唇を嚙みちぎるほどの勢いで文句を言われ、テレシアの悪行を嫌になるほど伝えられ、それから少しだけ感謝もされた。

 コルヴィスの印象も、少しだけ柔らかくなった。二人の兄は、何かを察したように彼を諫めるのをやめた。


「テレシア・ユースティティアを覚えているか」


 ほとんどすべての知人への聞き込みを終えたころ、コルヴィスが三度同じ問いを発した。少し申し訳なさそうに響いたのは、アトリの気のせいではないのだろう。


「まだ、覚えていますよ」

「……そうか」


 不思議なことに、テレシアのことを深く知るにつれ、アトリの中から彼女の存在は薄れていった。本にまとめることで心の整理がついたからか、それとも知人が増えたことで心の中を占める彼女の割合が減ったからか。

 きっと自分たちが孤独なせいで時間がかかっただけで、周囲も同じように受け入れて日常に戻っていったのだろう。湖面に映る自分の表情は、「あの人はもういない」と言ったいつかの聖女に少し似ている気がした。


「うぬぼれだろ」

「ですかね?」


 なんとなく湖に石を投げてみて、なんとなく思い出す。湖底の泥に取り残された、罪と罰の約束。


「コルヴィスさま、お願い、聞いてもらってもいいですか?」

「なんだよ」


 二人の約束は果たされていない。今後果たされることはないと、互いに分かり始めていた。

 だから、アトリが口走るのは、ただの彼女自身のささやかな願いだ。


「わたしのこと、ちゃんと名前で呼んでください」

「……恥ずかしいから、やだ」


 夜色の風が湖面を揺らす。照れ隠しの不愛想が水面越しに柔らかく歪む。

 世界はまだ狭いまま。それでも二人は光の先へと歩んでいくのだろう。

 テレシア・ユースティティアはもういない。彼女はただ、ずっと見ている。

後書き宣伝シリーズ④。魂込めて書いた長編小説が優しく見守っても伸びないから波紋を起こしてやろうと一石を投じました。

↓水面の月が気高く見えたら読んでってください。この短編が楽しめたならキャラは肌に合うと保証します。


ジエンドゲーム ~探偵はホワイダニットを明かせない~

https://ncode.syosetu.com/n1034ma/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ