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残り三十通の文通が終わったら、私はこの世界から消えますので――どうか、最後まで私を知らないでいてください

作者: uta
掲載日:2026/03/20

【お知らせ】

この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています

あらかじめご了承の上、お楽しみください

「君には心がない」


エドワード・レイヴンクロフト侯爵嫡男の声が、薔薇園に冷たく響き渡った。


私は微動だにしなかった。できなかった、というのが正確かもしれない。五年間の婚約期間で培った「完璧な令嬢」の仮面は、こんな時にこそ私を守ってくれる。


(心がない、ですって?)


内心で嗤う。誰のために感情を殺してきたと思っているの。貴方の前で泣けば「はしたない」と眉をひそめられ、笑えば「軽薄だ」と窘められた。だから私は、何も表に出さないことを選んだのに。


「エドワード様、私が何かご不興を買うようなことを——」


「とぼけないでくれ」


彼の紫紺の瞳が、氷のように私を射抜く。かつてこの瞳に見つめられると胸が高鳴ったものだ。今はただ、その冷たさが可笑しくて仕方がない。


「アメリアが全て話してくれた。君が彼女にどんな仕打ちをしてきたか」


視線の先で、義妹が可憐な顔を涙で濡らしていた。蜂蜜色の巻き毛を震わせ、まるで怯える小動物のように。


(その涙、何滴目かしら。さっきからずいぶん器用に流しているわね)


「お姉様……私、本当は言いたくなかったの。でも、エドワード様があまりにも可哀想で……」


すすり泣きながら、アメリアがエドワードの腕にすがりつく。その仕草の、なんと手慣れていることか。


「リゼット。この婚約は本日をもって破棄する」


エドワードが宣言した。その声には一片の迷いもない。


「私はアメリアと婚約する。君は実家に戻るがいい」


周囲でざわめきが起こった。社交界の華と謳われた侯爵嫡男と、「氷の令嬢」と揶揄される伯爵令嬢の婚約破棄。これは格好の噂話になるだろう。


私は深く息を吸い、そして——微笑んだ。


「承知いたしました、エドワード様」


その瞬間、彼の眉がわずかに動いた。驚き? それとも苛立ち? どちらでもいい。


「……それだけか」


「他に何か?」


「謝罪の一つもないのか。アメリアにしたことへの」


私は義妹を見た。涙に濡れた翡翠の瞳と、目が合う。その奥で、冷たい勝利の光が一瞬だけ瞬いた。


(ああ、そう。貴女はずっとこれが欲しかったのね)


私が持つもの全てを。父の愛情も、社交界での評判も、そしてこの婚約者までも。


「アメリア様」


私は義妹に向き直った。


「どうか末永くお幸せに」


それだけ言って、私は踵を返した。背後で誰かが「なんて冷たい」と囁くのが聞こえる。


(ええ、そうよ。私は冷たいの。心がないの)


だって、そうでなければ——今この瞬間、私は崩れ落ちてしまうから。


薔薇園を抜け、人目につかない回廊に辿り着いた時、ようやく私の足は止まった。


壁に手をついて、息を整える。指先が震えていた。


五年間。


五年間、私は完璧な婚約者であろうとした。彼の望む令嬢であろうとした。感情を殺し、笑顔を作り、一度だって彼を困らせまいと——


「……馬鹿みたい」


声が掠れた。泣いてなどいない。泣くものか。


私には、泣く資格すらないのだから。



◇◇◇



実家に戻った私を待っていたのは、予想通りの冷遇だった。


「婚約破棄ですって? まあ、なんて恥知らずな」


継母マルグリットの声が、応接間に響く。優雅な物腰の奥で、琥珀色の瞳が値踏みするように私を見ていた。


「侯爵家との縁談を壊すなんて。この家の名誉をなんだと思っているの」


「申し訳ございません、お義母様」


頭を下げながら、私は内心で数を数えていた。これで今日何度目の謝罪だろう。十二回? 十三回?


「謝って済む問題ではありませんよ」


継母の扇が、苛立たしげに揺れる。


「アメリアがエドワード様と婚約したそうですね。ええ、聞いていますとも。あの子は本当に出来た娘ですこと。姉の尻拭いまでさせて、貴女は恥ずかしくないの?」


(尻拭い、ですか)


私の婚約者を奪っておいて、よくそんな言葉が出てくるものだ。


「……」


「ヴィクトル、貴方からも何か言ってやってください」


継母が、窓辺に立つ父を振り返る。


父——ヴィクトル・クレールフォン伯爵は、私と同じ青灰色の瞳で虚空を見つめていた。その瞳に、私は映っていない。いつものことだ。


「……好きにしろ」


それだけ言って、父は部屋を出て行った。


(お父様)


呼び止める言葉は、喉の奥で消えた。幼い頃から何度も飲み込んできた言葉。今さら声にしたところで、届くはずもない。


「まったく、役立たずが」


継母の吐き捨てるような声。


「今日から離れの塔で暮らしなさい。来客がある時に、貴女のような疫病神が目に入っては困りますから」



◇◇◇



離れの塔。


屋敷の最も奥、庭園の外れにぽつんと立つ古い石造りの塔。かつては物置として使われていたそこが、私の新しい住処になった。


「お嬢様……」


セシリアが、私の荷物を運び入れながら唇を噛んでいる。赤みがかった茶色の三つ編みが、肩で揺れていた。


「大丈夫よ、セシリア」


私は窓辺に立ち、外を見下ろした。庭園が一望できる。美しい眺めだ。牢獄としては上等な部類だろう。


「でも、こんな場所……暖炉も満足にないし、お食事だって——」


「私がいると、お義母様の機嫌が悪くなるでしょう? ここなら顔を合わせずに済むわ」


皮肉を言ったつもりだったのに、セシリアの丸い茶色の瞳がますます潤んでしまった。


「お嬢様は悪くないのに……」


「セシリア」


私は振り返り、彼女の頬に触れた。


「泣かないで。貴女が泣くと、私まで泣きたくなるから」


嘘だ。私はもう、泣き方を忘れてしまった。


「……お嬢様のそういうところが」


「ん?」


「なんでもありません」


セシリアは目元を拭い、いつもの芯の強い表情に戻った。


「私、絶対にお嬢様をお守りしますから。何があっても、お傍を離れません」


「ありがとう」


この屋敷で、私の味方はこの子だけだ。幼い頃に孤児院から引き取った、たった一人の。


その夜、私は窓辺に座り、月を眺めていた。


(これから、どうしよう)


婚約破棄された令嬢の末路など、たかが知れている。修道院に入るか、どこか遠い領地に追いやられるか。いずれにせよ、社交界に居場所はもうない。


(……まあ、いいか)


元から欲しかったものなど、何も手に入らなかったのだ。今さら失うものを惜しんでも仕方がない。


ふと、窓枠に何かが挟まっているのに気づいた。


「手紙……?」


封蝋もない、簡素な封筒。差出人の名前はどこにも記されていない。


怪訝に思いながら開くと、そこには美しい筆跡でこう綴られていた。


『貴女の孤独を知っています。

 もしよければ、返事をください。

 この窓辺に置いておいてくだされば、届きます。

                   ——L』


私はしばらく、その短い文面を見つめていた。


悪戯だろうか。それとも、何かの罠?


(孤独を知っている、ですって)


誰が。どうして。


けれど——不思議と、その文字を見ていると胸の奥が温かくなった。


ペンを取り、便箋に向かう。


『貴方は誰ですか?

 どうして私の孤独を知っているの?

                ——R』


窓辺に置いて、眠りについた。


翌朝、目覚めた時——そこには、新しい手紙が届いていた。



◇◇◇



『R様


 貴女が誰かは存じています。けれど、私が誰かは申し上げられません。

 ただ一つだけ、お約束しましょう。

 この文通は三十通で終わりにします。

 三十通の間だけ、貴女の話し相手になることをお許しください。

 それ以上は望みません。

                        ——L』


奇妙な申し出だった。


三十通。なぜその数なのかは分からない。けれど、期限があるというのは不思議と安心できた。永遠を約束されるより、終わりが見えている方が信じられる。


私は返事を書いた。


『L様


 貴方のことを知らないまま、文通を続けるのですか?

 奇妙な方ですね。

 けれど……少しだけ、話し相手が欲しかったのは事実です。

 三十通だけ。それを守ってくださるなら、お付き合いしましょう。

                        ——R』



◇◇◇



文通は週に二度のペースで続いた。


火曜日と金曜日の朝、窓辺には必ず手紙が届いている。どうやって届けているのか分からない。塔は三階建てで、窓には格子がある。普通なら入り込める隙間などないはずなのに。


(まるで魔法みたい)


そう思いながら、私は六通目の手紙を開いた。


『R様


 先日の手紙で、貴女は「自分には何も取り柄がない」と書いておられましたね。

 失礼を承知で申し上げます。それは嘘です。

 貴女は聡明で、観察眼が鋭く、誰よりも周囲に気を配れる人だ。

 ただ、それを表に出さないだけ。

 いえ——出せないのでしょう。

 貴女は冷たいのではない。優しすぎるから、自分を守っているだけなのだと、私は思います。

                        ——L』


便箋を持つ手が、震えた。


(どうして)


どうしてこの人は、会ったこともないのに私のことを分かるの?


誰にも見せたことのない私の本質を、どうして言い当てられるの?


目頭が熱くなる。泣くものか、と思った。けれど、文字が滲んで見えた。


その日、私は長い返事を書いた。


継母に「はしたない」と言われ続けたこと。父に無視され続けたこと。完璧であろうとすればするほど、「心がない」と言われ続けたこと。


誰にも話したことのない、心の奥底にしまっていた痛み。


『——だから私は、感情を見せることが怖いのです。

 見せた瞬間、また傷つけられるのではないかと。

 こんなことを書いて、貴方を困らせてしまったかもしれません。

 忘れてください。

                        ——R』


次の手紙は、いつもより早く届いた。


『R様


 忘れません。忘れられるはずがない。

 貴女の痛みを、私に預けてください。

 せめてこの三十通の間だけでも、貴女が本音を吐き出せる場所でありたい。

 私は貴女を傷つけない。

 これだけは、誓います。

                        ——L』


私は——生まれて初めて、声を上げて泣いた。



◇◇◇



十二通目の手紙を受け取った頃、屋敷に珍しい来客があった。


「リゼット様、エドワード様がお見えです」


セシリアの報告に、私は眉を上げた。


「……エドワード様が?」


「はい。すぐに会いたいと」


塔から屋敷の応接間まで、私はゆっくりと歩いた。急ぐ理由などない。婚約を破棄した相手に、何を言うことがあるというのか。


応接間の扉を開けると、エドワードが立っていた。漆黒の髪、紫紺の瞳。相変わらず端正な顔立ちだが、どこか憔悴しているように見えた。


「リゼット」


名前を呼ばれて、心臓が跳ねる。いけない。もう、この人に心を乱される筋合いはないのに。


「エドワード様。本日はどのようなご用件で」


「……君に、頼みがある」


頼み。かつての婚約者に、今さら何の頼みがあるというの。


ソファに腰を下ろしながら、私は内心で身構えた。


「アメリアのことだ」


案の定、義妹の名前が出た。


「彼女が……実は詐欺組織と繋がっているという噂がある」


「……」


「社交界で密かに囁かれている。アメリアの背後には、貴族を食い物にする一味がいると。私は——」


彼の声が、わずかに震えた。


「私は騙されていたのかもしれない。君を傷つけてまで選んだ相手に」


皮肉な話だ、と思った。あれほど私を「心がない」と断じた人が、今さら疑念を抱いている。


「それで、私に何をお望みですか」


「君の協力が欲しい。君は聡明だ。アメリアの真意を見抜く力がある」


「買いかぶりですわ」


私は静かに首を振った。


「エドワード様。私はもう、貴方の道具ではありません」


彼の顔が強張った。


「道具だと? 私は君をそんな——」


「ええ、そうでしょうとも」


立ち上がる。もう、この場にいる意味はない。


「貴方は私を必要な時だけ呼び出し、必要でなくなれば捨てた。五年間、ずっとそうだった」


「リゼット——」


「アメリアの件は、ご自分でお調べになってください。私は関わりたくありません」


踵を返す。背後から名前を呼ばれたが、振り返らなかった。



◇◇◇



その夜、私は震える手で手紙を書いた。


『L様


 今日、かつての婚約者に会いました。

 彼は私に協力を求めてきました。自分が選んだ相手に裏切られたかもしれない、と。

 可笑しいでしょう? 私を捨てておいて、今さら助けを求めるなんて。

 断りました。当然です。

 ……でも、少しだけ胸が痛みました。

 彼を憎めたら、どんなに楽だろうと思います。

                        ——R』


翌朝届いた返事は、いつもより長かった。


『R様


 貴女が彼を憎めないのは、貴女が優しいからです。

 五年間、どれほど辛くても、貴女は彼のために尽くした。その記憶は簡単には消えない。

 憎むことも、許すことも、貴女が決めればいい。

 ただ、一つだけ聞かせてください。

 もし彼に……本当の事情があったとしたら、貴女はどうしますか?

 たとえば——貴女を守るために、貴女を傷つけるしかなかったのだとしたら。

 愚かで、不器用で、最低の選択だと分かっていても、そうするしかなかったのだとしたら。

 貴女は、許せますか?

 ……いえ、忘れてください。

 これは私の勝手な仮定です。

                        ——L』


私は何度もその手紙を読み返した。


(本当の事情?)


(貴女を守るために、貴女を傷つける?)


不思議な言葉だった。まるで——Lが、何かを知っているかのような。


窓の外で、夕暮れの鳥が鳴いた。



◇◇◇



二十通目の手紙を書き終えた時、私は自分の変化に気づいていた。


Lからの手紙を待つ時間が、一日で最も楽しみになっていた。彼の言葉を読む時、胸が温かくなった。返事を書く時、自然と口元が緩んでいた。


(私は……Lに惹かれている)


認めたくなかった。顔も名前も知らない相手に、心を奪われるなんて。


けれど、事実だった。


『L様


 残り十通になりましたね。

 この文通が終わったら、貴方はどうするのですか?

 私は……正直に言えば、終わってほしくないと思っています。

 貴方との手紙の時間が、今の私の支えです。

                        ——R』


返事は、いつもより長く時間がかかった。三日後にようやく届いた手紙は、インクの跡が何度も書き直されたように滲んでいた。


『R様


 終わってほしくない、と言ってくださったこと。

 それがどれほど嬉しいか、貴女には分からないでしょう。

 けれど——私の正体を知れば、貴女は私を憎むかもしれない。

 いえ、きっと憎む。当然の報いです。

 それでも私は、この三十通を後悔していません。

 貴女の本当の姿を知ることができた。貴女の言葉に触れることができた。

 それだけで、私は十分です。

                        ——L』


私の手が、震えた。


(Lの正体を知れば、憎む?)


なぜ。どうして。


これまでの手紙を読み返す。Lは何度も、私しか知らないはずのことに言及していた。


幼い頃に庭で転んだ時のこと。初めての舞踏会で緊張していた時のこと。そして——


『三十日あれば、人は本当の自分を見せられる』


私が昔、誰かに言った言葉。


誰に言ったのだったか。もう忘れてしまったけれど、確かに言った記憶がある。


(Lは……私の過去を知っている人?)


心臓が早鳴りする。


(まさか)


その可能性が頭をよぎり、私は首を振った。ありえない。ありえるはずがない。


けれど、二十五通目の手紙が届いた時——私の不安は、確信に変わりつつあった。


『R様


 覚えていますか。貴女が十五歳の冬、私に言った言葉を。

 「三十日あれば、人は本当の自分を見せられる」

 私はずっと、その言葉を覚えていました。

 だから三十通なのです。

 三十の手紙で、私は貴女に本当の私を見せたかった。

                        ——L』


便箋が、手から滑り落ちた。


十五歳の冬。


私がその言葉を言った相手は、一人しかいない。


婚約したばかりの、あの人——



◇◇◇



『L様——いえ、エドワード。


 貴方なのですか?

 貴方が、Lなのですか?

 返事をください。今すぐに。

                        ——R』


翌朝、窓辺に届いていたのは——三十通目の手紙だった。


震える手で、封を開く。


『R——いえ、リゼット。


 そう、私がLです。

 全てを話す時が来ました。

 今日の夕暮れ、塔の下で待っています。

 会いに来てください。

 私の罪を、貴女自身の目で裁いてください。

                        ——L』



◇◇◇



太陽が西の空に沈みかける頃、私は塔の階段を降りていた。


一段一段、足が重い。会いたいような、会いたくないような。怒りと、期待と、そして——恐れが入り混じった複雑な感情が、胸を締め付ける。


塔の扉を開けると、夕焼けの光が差し込んできた。


その光の中に、彼が立っていた。


漆黒の髪。紫紺の瞳。あの日、私を「心がない」と切り捨てた男。


「……来てくれたんだな」


エドワードの声は、かすれていた。


「貴方だったのね」


私の声は、自分でも驚くほど冷たかった。


「最低ね。私を捨てておいて、文通で私の本音を引き出すなんて。何が目的だったの? 私を笑いものにするため?」


「違う」


彼が一歩、近づく。


「話を聞いてくれ、リゼット。全部説明する」


「説明? 今さら何を——」


「婚約破棄は、君を守るためだった」


足が止まった。


「……何ですって?」


「アメリアの背後にいる組織は、最初から君を狙っていた」


エドワードが、苦しげに目を伏せる。


「クレールフォン家の財産と、君という『弱点』を使って、私の家を乗っ取ろうとしていた。君が私の婚約者である限り、君は危険だった」


「だから……切り捨てた?」


「君を組織の射程から外すには、完全に私から引き離す必要があった。婚約破棄し、『心がない令嬢』だと公に断じることで——君を『利用価値のない女』に見せかけた」


頭が真っ白になった。


「嘘……」


「嘘じゃない。全部——全部、君を守るためだった」


エドワードが、私の前に跪いた。


あの傲慢な侯爵嫡男が。「鉄面皮の貴公子」と呼ばれた男が。膝をつき、私を見上げている。


「最低のやり方だと分かっている。君を傷つけずに守る方法を、私は思いつけなかった」


「だったら——だったらどうして説明してくれなかったの!」


気づけば、叫んでいた。


「私を信じて、打ち明けてくれれば——」


「打ち明けていたら、君は必ず私を助けようとしただろう」


彼の瞳が、まっすぐに私を見つめる。


「君がどれほど優しいか、私は知っている。だから——君を危険に晒すわけにはいかなかった」


涙が頬を伝った。いつの間にか、泣いていた。


「文通を……文通を始めたのは……」


「君の本心を知りたかった」


彼の声が、震える。


「離れてしまった君が、どんな想いでいるのか。私を憎んでいるのか。もう二度と、許してはくれないのか……」


「ずるいわ」


私は、しゃくり上げながら言った。


「こんなやり方……最低よ、エドワード……」


「知っている」


彼が立ち上がり、私の頬に手を伸ばす。涙を拭う指先が、優しく温かかった。


「だから——一生をかけて償わせてくれ」


夕焼けの光の中で、彼は私を抱きしめた。


五年間、一度もしてくれなかった抱擁。求めても与えられなかった温もり。


「愛している、リゼット」


彼の声が、耳元で震えた。


「最初から——出会った日から、ずっと」


私は、その胸に顔を埋めた。


許せない。まだ許せない。でも——


「……貴方のやり方は、本当に最低よ」


「ああ」


「勝手に決めて、勝手に傷つけて、勝手に守ったつもりになって」


「ああ」


「もう二度と——私に黙って、何かを決めないで」


「約束する」


彼の腕が、強く私を抱きしめる。


「もう二度と、君を手放さない」


塔の窓から、最後の夕陽が差し込んでいた。三十通の文通が終わり——新しい物語が、始まろうとしていた。



◇◇◇



アメリア一派の失墜は、思ったより早く訪れた。


エドワードが集めていた証拠が公開され、詐欺組織の全容が明らかになったのだ。アメリアと継母マルグリットは社交界から追放され、関係者は次々と逮捕された。


「お嬢様! 大変です!」


セシリアが息を切らせて駆け込んできたのは、それから一週間後のことだった。


「旦那様が——伯爵様が、お嬢様に会いたいと……」


父が、私に?


応接間に向かうと、父は窓辺に立っていた。相変わらず虚ろな——いや、違う。今日の父の瞳には、何か別のものが宿っていた。


「リゼット」


父が振り返る。その顔には、深い皺が刻まれていた。


「私は……」


言葉が詰まる。父が言葉に詰まるところを、初めて見た。


「私は、取り返しのつかないことをした」


「お父様……」


「お前は——お前の母に、よく似ていた」


父の声が、かすかに震える。


「見るたびに、あの人を思い出した。それが……辛くて、お前から逃げた。お前を守るべき父親が、お前から逃げ続けた」


私は黙って聞いていた。


「マルグリットたちの仕打ちも……見て見ぬふりをした。愚かだった。許してくれとは言わない。ただ——」


父が、私を見た。青灰色の瞳——私と同じ色の瞳が、涙に濡れていた。


「お前の幸せを、願っている。それだけは……信じてほしい」


私は長い間、何も言えなかった。


許せるかどうか、まだ分からない。十数年の孤独は、簡単には消えない。


けれど——


「……ありがとうございます、お父様」


一歩だけ、近づいた。


「いつか——いつか、ゆっくりお話しましょう。お母様のことも」


父の顔が、歪んだ。泣いているのか、笑っているのか分からない表情で、父は何度も頷いた。



◇◇◇



再婚約の発表は、翌月の舞踏会で行われた。


「リゼット・クレールフォン嬢と、エドワード・レイヴンクロフトの婚約を発表いたします」


会場がざわめく。当然だろう。一度破棄された婚約が復活するなど、前代未聞だ。


けれど私は、堂々と彼の隣に立った。


「氷の令嬢が、戻ってきたわ」


「でも何か——雰囲気が違わない?」


ひそひそ声が聞こえる。私は内心で笑った。


(ええ、変わったわよ。貴方たちの陰口なんて、もう気にならないもの)


エドワードが、私の手を取る。


「緊張しているか?」


「少しだけ」


「……私はずっと緊張している」


「え?」


「君が隣にいると、まともに話せなくなる。五年間ずっとそうだった」


(それで、あんなに無愛想だったの……?)


私は思わず笑ってしまった。声を上げて、周囲の目も気にせずに。


「……笑うな」


「ごめんなさい。でも——貴方って本当に不器用なのね」


「自覚はある」


エドワードの頬が、わずかに赤くなる。こんな表情、見たことがなかった。


「これからは、ちゃんと言葉にする」


「何を?」


「……全部だ」


彼が、私の額に口づけた。会場がさらにざわめいたが、もう気にならなかった。



◇◇◇



屋敷に戻ると、窓辺に手紙が置かれていた。


見覚えのある封筒。Lの——いえ、エドワードの筆跡。


開くと、短い文章が綴られていた。


『リゼット


 三十一通目の手紙です。

 これからは、顔を見て話しましょう。

 けれど時々は——こうして手紙を書いてもいいですか?

 貴女に伝えたいことが、まだたくさんあるのです。

                    愛を込めて——E』


私は微笑んで、ペンを取った。


『エドワード


 三十一通目への返事です。

 ええ、構いませんよ。

 ただし条件があります。

 今度は——顔を見ながら読んでください。

 私の表情を見れば、言葉以上のものが伝わるでしょう?

 ……少しは、感情を表に出せるようになりましたから。

                    貴方の——R』


窓の外では、朝陽が昇り始めていた。


三十通の文通が終わり、新しい物語が始まる。


今度は——顔を見て、言葉を交わしながら。



【完】

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