第五章 修行終了
ミユキの修行生活は続きます。それでも少しづつ目標に向かって動き始めます。
大学院に行ってもあまり変化はない。教授の研究の一部を指示されたようにこなして結果を返す。それをレポートや論文にしてチェックを受ける。これの繰り返しである。なかなか史郎さんの研究に着手できない。
とはいうものの、学部在学中から始めた史郎さんの資料の解読はなかなか進んでいない。史郎さんの資料は、事故現場から回収したものと、その何十倍もあり、研究室に残っていたもので、レポート用紙やら、チラシの裏やら、様々なものになぐり書きのドイツ語で書いてあるもので、段ボールに三箱くらいあり全く手を付けられない。
ドイツ語を履修しながら、辞書を片手に一枚ずつ翻訳しているが、片手間では進んでいかない。しかも、通し番号もページも書いてないから、どうすればよいのか。記載してある日付で前後関係がわかるもの以外は手の施しようがない。
それでも、全体の半分以上は翻訳も進んだ。手元には史郎が報告用にまとめた資料と薬品のサンプルが1セットある。サンプルが分析できればさらに関連する資料との紐づけもできるだろう。早く同じものを作りたい。しかしまだ学生に身ではわがままも言えない。今できることは資料の翻訳だけ。
研究室でも私はいつも孤立していた。ほかのメンバーとは事務的な会話しかしない。合宿も参加はするが、片隅で持参した資料の翻訳に没頭していた。いろいろ言われたが、時間がもったいない。学部時代から、私のことを裏では「オバサン」と呼んでいることも知っている。馴染むことはできない。
結局何も進まないまま博士課程を修了することになった。あとは博士論文を提出するだけだが、これだって教授の研究の一部にしか過ぎない。
史郎さんの研究資料の翻訳は終わった。前後関係のつながりがわからないものも多く、内容の理解は乏しい。しかし、史郎さんが発表しようとした資料から推定すると、同じ試薬を作ることができるだけの資料は何とか確認できた。
博士課程終了間際に私は教授に呼ばれた。
「博士論文ご苦労様だったね。先ほどの教授会で博士号の承認が出たよ。おめでとう。」
「ありがとうございます。」
「研究室に残る件も承認されたよ。異例だが助手の採用に決まったよ。その代わり厳しくなるよ。来年には自分の研究を国際生科学会で発表しなければならない。来年の3月の最初だな、どこだったか・・・確かミラノで行われる。」
ミユキはそれを聞いて、なによりうれしかったのはミラノで史郎の研究を発表できることだった。ようやくスタート台につけた感じがした。
ようやく、史郎のの研究を引き継ぐことができそうです。今後どうなっていくのでしょうか?




