表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/13

第5話:『レンズ越しの虚像と、一粒の真実』


嵐の到来:自称・美食家YouTuber

ある日の夕暮れ、静寂を破って派手なシャツを着た男が入ってきました。

手には自撮り棒と高性能なカメラ。彼は登録者数万人のグルメ系YouTuber、ゼンジでした。

「ここが噂の『魔法のおにぎり屋』? 雰囲気あるねぇ、映えるわ。ねえ店主さん、一番高いやつと、握ってるシーン撮らせてよ。宣伝してあげるからさ」

彼はカウンターに座るなり、まだ注文もしていないのにカメラを回し始めます。一輪挿しの紫陽花も、土鍋の重厚な佇まいも、彼にとっては単なる「コンテンツ」でしかありませんでした。


徳さんの「一喝」と、八恵の沈黙

隅で静かにお茶を飲んでいた徳さんが、鋭い視線を向けます。

「おい、小僧。ここは見せ物小屋じゃねぇ。レンズ越しじゃあ、この店の米の『ため息』は聞こえねぇぞ」

ゼンジは鼻で笑います。「じいさん、今は情報の時代だよ。食わなくても、画面越しに味が伝わるのがプロの仕事なの」

八恵は、カメラを向けられても眉一つ動かしません。ただ、静かに言いました。

「申し訳ありません。うちは撮影禁止ではありませんが、『心がない方』には、お出しできるおにぎりがないんです」


八恵の「教え」:空っぽのレンズへ

ゼンジが「金なら払う」と憤慨する中、八恵は自分だけのノートを開きます。そこに書き加えたばかりの、新しい教えを反芻しました。

『記録する者に、記憶は宿らない。

画面を閉じ、掌の重みを感じよ。

魂を空っぽにして初めて、お米の命があなたに宿る』

八恵は、あえて「おにぎり」を握りませんでした。

彼女が差し出したのは、土鍋から茶碗に直接よそっただけの、湯気が立つ**「白いごはん」**でした。


儀式:カメラを置かせる魔法

「……なんだよこれ、おにぎり屋なのに握ってないのか?」

「はい。今のあなたには、何かに包まれたものは届かない。まずはこの熱を、素手で受け止めてみてください」

茶碗から立ち昇る、圧倒的な炊きたてのご飯の香り。レンズが曇り、画面が白く染まります。

「あ……」

ゼンジは思わずカメラを置き、布巾でレンズを拭こうとして、その手を止めました。

そこには、ただ純粋に「熱い」という、情報の介在しない現実があったからです。

八恵は、彼がカメラから手を離した瞬間を見逃さず、今度は迷いなく、三度の所作で小さなおにぎりを握りました。


.結末:本当の「いいね」

ゼンジが、カメラを止めたままそのおにぎりを口にします。

情報の海で泳ぎ、常に「誰かの評価」を気にしていた彼の脳に、土鍋ごはんの力強い甘みが直接突き刺さりました。

「……編集、できないな。この味は」

彼はポツリと呟きました。

後日、彼のチャンネルに動画は上がりませんでした。代わりに、SNSにはたった一行だけ、彼のアカウントから投稿がありました。

『今日、本当の意味で「ごちそうさま」を覚えた』


八恵のノート・追記

『レンズ越しの客へ』

――光の粒を集めても、お腹は膨れない。

美味しさを「伝える」ことに必死な者は、美味しさを「味わう」ことを忘れている。

記録を捨てて記憶を刻む。それがおにぎりを食べる唯一の作法である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ