第3話:『琥珀色のノートと、迷い子の帰還』
舞台:雨上がりの『ひとすくい』
路地裏の湿った空気の中、藍染めの暖簾が夜風に揺れています。
カウンターの隅には、いつもは徳さんが座り、ぬるめのほうじ茶をすすっていますが…今日はまだ来てませんね。
今日の一輪挿しには、雨粒を纏った「紫陽花」が一つ、備前焼の器に静かに生けられています。
そこへ、一人の青年が徳さんに連れられて入ってきました。
ボロボロのバックパックを背負い、泥跳ねしたスニーカーを履いた、どこか捨てられた仔犬のような目をした若者、**蓮**です。
徳さんの持ち込み物
「八恵ちゃん、今日は珍品を持ってきたよ」
徳さんがカウンターにドン、と置いたのは、何十年も前のものと思われる、革表紙が琥珀色に変色した一冊の古いノートでした。
「うちの店の蔵の奥で、埃をかぶってたんだ。見なよ、表紙の裏に……君のばあさんの名前が書いてある」
八恵が震える手でそのノートを開くと、そこには祖母の懐かしい筆跡で、レシピというにはあまりに抽象的な言葉が並んでいました。
『春の風が吹く日は、塩をひとつまみ多めに』
『独り立ちする者には、握る手に迷いを乗せるな』
それは料理の仕方もさることながら、客の心にどう寄り添うべきかを記した、精神的な「秘伝ノート」でした。
新キャラ:訳ありの若者・蓮
「……おにぎりなんて、腹が膨れれば何でも同じだろ」
蓮が吐き捨てるように言いました。彼は徳さんの遠い親戚で、都会で夢に破れ、行き場を失って徳さんの古本屋に転がり込んできた「人生の迷い子」でした。
徳さんは笑って言います。
「そう思うなら、食ってみな。八恵ちゃんの土鍋は、生意気な口を塞ぐのにはもってこいだ」
八恵の覚悟と土鍋の音
八恵はノートの最後のページに書かれた言葉を目にします。
『絶望している者には、一番熱い芯の飯を握れ』
八恵は無言で、土鍋の火を強めました。
コトコト、パチパチ。
土鍋の中から聞こえるその音は、まるで「準備はできているか」と八恵に問いかけているようです。
八恵は、炊きあがったばかりの、火傷しそうなほど熱いご飯を素手で迎え入れました。
「熱っ……」
思わずこぼれる独り言。しかし、彼女の目はノートから得た確信に満ちていました。
おにぎり:『結びの芯』
差し出されたのは、小ぶりですがずっしりと重みのある、真っ白なおにぎり。
具は何も入っていません。ただ、一粒一粒が自立しているような、圧倒的な存在感。
蓮が、疑いながらも一口齧ります。
「…………っ!!」
熱さが喉を通り、胃に落ちた瞬間、彼の中にあった「空虚な冷たさ」が、強制的に温められていきます。
「なんだこれ……熱いのに、なんでこんなに優しいんだよ」
蓮の目から、溜まっていた涙がポタポタとカウンターの杉板に落ちました。
結末:古本屋の新しい風
「徳さん、このノート……預かってもいいですか?」
八恵の問いに、徳さんは満足げに頷きます。
「ああ。その代わりと言っちゃなんだが、この若造(蓮)に、時々おにぎりを食わせてやってくれ。古本屋の仕事は腹が減るからな」
こうして、古本屋の跡継ぎ見習いとなった蓮は、八恵さんの店の「もう一人の常連」となりました。
八恵さんは、祖母のノートをカウンターの下にそっと忍ばせました。
そこには、まだ書き込まれていない白いページが半分以上残っています。




