エピローグ:『めぐる季節と、変わらぬ一膳』
物語の最後の一頁をめくるように、数年後の『ひとすくい』の風景を。
そこには、新しい「当たり前」が静かに根付いています。
賑わう路地裏の「朝の声」
数年後の『ひとすくい』。路地の入り口には、いつの間にか小さな木の看板が増えていました。
そこには八恵の柔らかな文字で**「結び手:八恵・蓮」**と連名で記されています。
厨房では、すっかり板につき、精悍な顔つきになった蓮が土鍋の蓋を開けていました。
「八恵さん、今日の『ため息』、少し長めでしたね。外の空気が乾燥してるからかな」
「正解。よく気づいたわね、蓮くん」
八恵はカウンターの端で、より深く、慈しみに満ちた手つきで一輪挿しの「山椒の枝」を整えています。彼女の纏う空気は、以前よりもずっと穏やかで、まるで土鍋そのもののような包容力を湛えていました。
変わらぬ毒舌と、新しい賑わい
「おいおい、師匠が隠居するにはまだ早いぜ。蓮の握りじゃ、俺の胃袋の『ひび』はまだ埋まりきらねぇんだからな」
いつもの席で、少しだけ背中が丸くなった徳さんが、金継ぎされた湯呑みを置いて毒を吐きます。しかし、その手には蓮が握った「おかかむすび」がしっかりと握られていました。
そこへ、スーツ姿の誠一さんや、大学生になった心音が「ただいま!」と暖簾をくぐってきます。かつて「無味乾燥」な世界にいた人々が、今ではここを自分の「心の港」としていました。
琥珀色のノート、最後の行
カウンターの下。あの琥珀色のノートは、八恵と蓮、二人の書き込みでもうすぐ最後のページを迎えようとしています。
八恵が今朝、こっそり書き加えた一節はこうでした。
『結びの真意』
――おにぎりは、一人で握るものではなかった。
食べる人の声、火を焚く人の手、そして見守る人の眼差し。
そのすべてが混ざり合って、一つの「命」になる。
私たちの旅は、一膳ごとに新しく始まる。
継承される「ひとすくい」
深夜、客が引いた店内で、蓮が不意に八恵に尋ねます。
「八恵さん。……俺、いつかこの店を継げるようになりますかね」
八恵は、窓の外の月を見上げて微笑みました。
「もう継いでいるわよ、蓮くん。あなたが誰かの空腹に涙を流せるようになった、あの日から」
二人は顔を見合わせ、また明日のお米を研ぎ始めます。
ザッ、ザッ……というリズムが、深夜の路地裏に心地よく響きます。
それは、誰かの明日を「結ぶ」ための、希望の鼓動でした。
「to be continued」
あとがきにかえて
八恵さんの物語、最後まで完走いたしました。
天才シェフから、路地裏のおにぎり屋へ。そして、傷ついた若者・蓮への継承。
お米一粒一粒に物語が宿るように、あなたの人生もまた、温かく「結ばれて」いくことを願っています。




