表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/21

偽善とは、この世でいちばんの悪である

 けれど、そんな彼女の夢も長くは続かず。目敏いアレクサンダーはデルマの雰囲気が変わったとすぐに気付き、ダイヤモンドは奪われた。


「お前はとんだ泥棒だったんだな」


 彼女をいたぶる理由ができたと、アレクサンダーは嬉々として首輪を引く。デルマはただ沈黙のまま、いつも通り冷えた床に身を沈めた。


 気の済むまで嬲られる流れだと思っていたのだが、しばらく経っても拳も飛んでこなければ足蹴にもされない。そしてその代わりに、やけに熱い指先が彼女の頬に触れた。


「首輪よりも、ネックレスが欲しかったのか?」


 その問いに、デルマは答えない。


「俺がお前に、それを贈ってやろう」


 ぞわりと背筋が粟立ち、高熱にうなされているかのように不快でたまらなくなる。痛めつけられるよりも、優しくされる方がずっと嫌だった。


 そうされた経験のないデルマにとって、たとえそれが偽りであっても『善』は『敵』なのだ。心臓が萎縮し、視線が泳ぎ、頭が真っ白になる。穏やかな眼差しや、優しい言葉、爪を立てない触れ方、そのすべてが恐怖を与えるものでしかない。


 アレクサンダーは、それをとてもよく理解していた。


「なぁ、デルマ?たまには、可愛らしい声で強請ってみせろ」

「……や」

「なんだかんだと言っても、俺はお前がかわいいんだ。そうでなけれは、わざわざ鎖で繋いでおこうとは思わない」


 年に数回、こうして慈愛に満ちた眼差しを向けられる。デルマは腹の底から湧き上がる嫌悪感に耐えられなくなり、アルビノの瞳をくしゃりと細め懇願した。


「やめて、ください」

「……くはっ!やはりお前は化け物だな!」


 美顔を歪め、薄く色付いた彼女の頬に鋭い爪を立てる。鮮血の滲む様を、アレクサンダーは満足げに眺めた。散々プシュケのご機嫌取りをさせられむしゃくしゃしていたが、これでいくらか溜飲を下げられた。


 嗜虐性と好奇心の強い彼は、もうずっと昔からこうしてデルマを心身ともに弄ぶ。


 どんな拷問にもたいして感情を露わにしないデルマが、最も強く拒絶する瞬間。それが、慈悲を与えるという行為なのだ。

 

「普通の人間は、優しくされれば嬉しいものだ。プシュケを見ていたら、それがよく分かるだろう」

「……」

「あれはもうすぐ死ぬ運命にあるが、お前は違う。俺に腹を捌かれても、しばらく飯や水を与えられずとも、そうして立派に生きている」


 眼前の男の言いたいことが、デルマには理解できない。ただ『腹を捌く』という単語を耳にした瞬間、無意識に自身の腹部に手をやった。着せられたぼろ布の下には、ぐちゃぐちゃに縫われた傷痕が我が物顔で広がっている。


 かつてアレクサンダーが、興味本位でした『手術の真似事』の代償を、彼女が払った証だった。


(プシュケとわたしは、ちがう)


 最近なぜか、そんな考えが頭を巣食う。きっとプシュケの死期が迫っていることを、本能的に感じ取っているのだろう。


 可愛いプシュケ、天使のように愛らしく、誰からも愛され大切にされる。今の自分のように違和感など感じる暇もなく、優しく扱われるのが当たり前の柔らかな世界。


 アルビノの瞳に反射するきらきらと輝くダイヤモンドの煌めきが、眼球の内側にこびりついて離れなかった。


(わたしが、プシュケみたいだったらいいのかな)


「……おい」


 デルマは、自分が今血を流していることを忘れていた。まるで恋でもしているかのような顔をする彼女に、アレクサンダーは容赦なく蹴りを入れる。


 小汚いくせに、一丁前に蠱惑的な表情をする。彼は見下しているデルマに心を乱される瞬間が、世界で一番嫌いだった。


「ぐ……っ、ぅあ……」

()()は大人しく、俺に従っていればいい」

「う、ん、わかった」

「間違っても、なにかを変えようなんて思わないことだ」


 アレクサンダーは汚れた靴の爪先を一瞥すると、彼女の服の裾で拭う。


「泥棒には罰を与える。今夜から最低七日は、第四庭園の隅で過ごせ」


 マリーウェルシュ家の第四庭園は、彼がデルマを痛ぶる為だけに作らせた場所。広大な辺境伯の敷地内の端に、ひっそりと佇むただの野原。周囲は塀で囲まれ、外からはなにも見えず、中からは逃げ出すこともできない。


 アレクサンダーはそこで、デルマにあらゆる罰を与えてきた。もちろん、死なない程度に。


 彼女がこくりと頷いたのを合図に、もう用はないとばかりに瀟洒な後姿が遠ざかっていく。デルマはふうと息を吐き、唇に付いた血を赤い舌で舐めとった。


(なにかをかえるって、どういうこと?)


 大人しく庭園への道のりを歩みながら、ふと思い出す。釘を刺したはずのアレクサンダーの言葉は、却って彼女に考えるきっかけを与えることとなったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ