予期せぬ来訪、リバーシュの自室にて
その後淡々と夕食を食べ、寝る支度を済ませた頃。大男の足音などまったくしなかったが、突然無遠慮に扉が開いた。
「リ、リバーシュ様!」
終始身の置き場のない空気を感じていたレイが、まるで悲鳴に近い声を上げた。もう何年も仕えている主人だが、生涯慣れることはないだろうと彼女は常に感じている。
一瞬で部屋に死臭が漂い、空気が澱む。目を合わせたら最後、首元に死神の鎌を当てられているような錯覚に陥り、魂を取られまいとする防衛本能が脳に警鐘を鳴らした。
「時間だ、来い」
「今夜は、遠慮しようかと」
デルマは驚く素振りもなく、適当に手櫛で髪を整えていた。なぜ彼がこの場にやってきたのか、考えても分からないことは先から考えない。
「お前の意見など聞いていない」
全身を黒衣で覆ったリバーシュは、当然のように口元も隠している。その下を間近に見た女は必ず怯えていたが、デルマだけは例外だった。
化け物だと罵られるよりも、よほど気味が悪い。その理由を知らぬまま、放っておけない自分自身も。
リバーシュは軽々と彼女の体を担ぎ上げると、そのまますたしたと歩き出す。荷物のような扱いは以前と変わらなかったが、足にぶつからないよう無意識に配慮していた。
「あの、リバーシュ様。なにをなさっているのですか?」
「俺の部屋へ連れていく」
「なぜ、わざわざ?」
(私があの話を暴露してしまうと思って、監視に来たのかしら)
だったらそんな心配は無用だと伝えようにも、彼の足は止まらない。
「黙っていろ、舌を噛む」
言う割に、ほとんど揺れない。最近頭を使い過ぎて疲れていたデルマは、不可解な行動を取るリバーシュの真意を測るのを止める、体から力を抜いた。
羨望の対象がそうではなかったと知り、勝手に失望した。そんな自分のことも、よく理解できていないまま。
「い、いってらっしゃいませデルマ様!」
いまだ小刻みに震える手を後ろに隠しながら、去っていく二人の後ろ姿にそう声をかけるのがせいいっぱいだった。
最低限のものしかない殺風景な部屋は、もう見慣れた。けれどそこにいるリバーシュの黒い外套姿に、なんとなく違和感を覚える。
本来ならば、人前で素顔を晒すなどあり得ない。デルマにも同様にするつもりだったのに、まさか自ら部屋を訪ねてくるとは思わず、不本意ながら見られ今に至る。
「そこへ座れ」
「はい」
プシュケの真似をしきれないデルマは、淡々とした受け答えで彼の正面へ腰掛ける。貼り付けた胡散臭い笑みもなければ、天使の輝きも失われている。
目の前にいるのは、ただのデルマ・マリーウェルシュというひとりの令嬢。
「わざわざ釘を刺さずとも、昨晩のことは他言いたしません」
彼女は初めて、リバーシュに対し冷めた態度をとった。
「俺がそんなくだらぬ理由で呼んだと?」
「それ以外に、思い当たらなくて」
言いながら、デルマは無意識に髪を指に巻きつけ遊ぶ。プシュケが興味のない相手に対しよくしていた仕草だ。
「リバーシュ様は、私を嫌っておいでです。わざわざ迎えに来てくださるなんて、理由がなければありえない」
彼女はふと手を止め、初めて顔を合わせた時のことを思い出す。そういえばあの日も、彼は私をマリーウェルシュの屋敷まで迎えにきたのだった、と。
確かに、そうさせるような内容の手紙を認めたのは事実。けれど、確証などなかった。敵味方容赦なく斬り殺す無慈悲な【邪神】を呼び寄せる確たる術など、あるはずがない。
(だったら私は、彼のなにに期待をしたんだろう)
良心、同情心、好奇心、猜疑心、恐怖心。人間を駆り立てる理由となる感情は、いくらでも存在する。デルマは、リバーシュがどんな思いをもって目の前に現れるのか、どんな意図で手紙を送ったのか、改めて考えた。
――私は、戦場にしか生き甲斐のないあなた様の、新しい【天使】になりたいの。
この不可解な文章が、偶然にでも彼の心の隙間に刺さったというのならば。その意味をもっと、深く探るべきではないのだろうかと。




