胸が躍って、しかたがない
「明日、医者を呼ぶ」
「別に、このままでも」
「黙れ、逆らうな」
「……はぁい!」
低い唸り声も、彼女にとっては褒美にしかならない。憧れの人に怒られたと、だらしなく緩める。
「今夜は部屋に戻れ。患部を冷やし、適切な処置をするよう使用人に命じておく」
「えっ、嫌です!せっかくリバーシュ様とお話しできる貴重な時間なのに!」
だから、怪我などどうでもよかったのだとデルマは不貞腐れた。呆れるリバーシュをじとりと見上げながら、その見事な頬の傷に視線を注いだ。
「従わなければこの話は取り消し、二度と貴様を部屋に入れない」
「ご、ごめんなさい。分かりましたから、そんな悲しいことは言わないでください……」
しゅんと項垂れる彼女を見ていると、リバーシュは妙に落ち着かない気分にさせられる。世にも醜い外見を持った自分と対面する機会を、こんなにも待ち望むデルマの心情が本当に理解できなかったからだ。
《やめろ、来るな、この化け物め――‼︎》
耳にこびりついて離れない、幾千もの似たような叫び声。そこにたった一度、投げかけられたただけの言葉がそれらすべてをかき消す。たかが政略結婚をするだけの、元敵国の少女。顔を合わせたところで、なにかが変わるはずもないと思っていたのに。
「ですが、私が怪我をしていると気付いてくださって嬉しいです」
「それだけ悪化していて、気付かない方が難しい」
「いいえ、面と向かって言葉にしてくれたのはリバーシュ様だけですもの!私はそれが、嬉しくてたまりません!」
屈託のない笑みとともに、アルビノの瞳がきらきらと輝く。年相応のように見えて、なぜだか随分と歳が上のようにも感じる。普通に考えてみれば、一切顔を隠していないリバーシュとこうして会話をしていること自体が、異様な光景として映る。
それを感じさせず、まるで御伽話の主人公も感じる愛らしさと純真さを損なわないデルマは、やはり異常なのだと彼は再認識していた。
もしくは、これらすべてが演技でありマリーウェルシュ家からの指示で動いているのかもしれない。その方が、よほど納得のいく理由であると。
「あの、リバーシュ様」
「まだなにか用が?」
「部屋まで送っていただけません?足が痛くて、歩けそうにありません」
いけしゃあしゃと口にするデルマを視界に入れることなく、リバーシュは一度舌を打った。
「だめですか、残念」
「さっさと出ていけ」
無論要求が通るとは思っていなかった彼女は、いたずらが失敗した子どものように軽く唇を尖らせただけ。たくし上げていた夜着をようやく正すと、立ち上がり可愛らしく肩をすくめた。
「ではリバーシュ様、また明日」
「当分来なくていい」
最後まで苛辣な態度を崩さないリバーシュだったが、デルマは内心ほくほくとした気持ちでその場を後にする。
(まさか本当に、彼から気付いてもらえるなんて思わなかった!)
わざと誰にも言わず黙っていた彼女は、将来の夫に構ってもらえたことが嬉しくてスキップする勢いで部屋への道のりを歩いたのだった。
そして、翌日。リバーシュの側近であるコリンが、医者とともにデルマの足を確認したのだが、彼はあまりの酷さにしばらく言葉を失った。
彼女が落馬した際、リバーシュとともにコリンもその場にいた為、もちろん事実は知っていたが、助ける気はなかったしどうせその内自ら騒ぎ出すだろうとしか思っていなかった。
リバーシュと違い、彼はプシュケ・マリーウェルシュについて綿密に調べ上げている。裕福な令嬢の典型で、その容姿や振る舞いから【天使】と誉めそやされていること。
重い持病と闘いながらも笑顔を絶やさず、常に他人を気遣う心優しく美しい少女。批判的な噂がただのひとつもないことが、逆にきな臭く、コリンは猜疑心しか持っていなかった。
おそらく、リバーシュへの恐怖心と周囲からの敵視に耐えられず適当な言いがかりをつけてすぐに出ていくか、それが許されなかった場合自死を選ぶか。どちらにせよ、さして長い付き合いにはならないだろうと。
しかし実際にやってきたのは、突然現れた腹違いの妹。彼女に関してはなんの前情報も得られなかったせいで、余計に警戒心が強く働いた。ましてや、雰囲気が姉と瓜二つ。目や髪色が違うようだが、目の前で微笑むデルマは正に【天使】の名に相応しい美少女だった。
姉が死んだから、妹に変わった。ただそれだけで、想定した結果が覆ることはない。
そう判断したコリンだったが、たった今デルマの怪我の状態を目の当たりにして、なぜか裏切られたような気分を味合わされていた。
これは誰がどう考えても、立派な理由になるはずなのに、と。




