こんなものは、見慣れているはずなのに
ところどころに水脹れができており、安静にしている状態にも関わらず小刻みに震えている。リバーシュのように怪我慣れしている人間でさえ、思わず顔をしかめずにはいられないほどに、デルマの足は壊死しかかっていた。
このまま放っておけばおそらく、さらに酷い感染症を起こすか敗血症に進行し命の危険すら伴うだろうと、容易に想像がつく。
治療する金も手段もないスラム街に暮らす子どもならまだ理解できるが、デルマはそれに当てはまらない。いくら元敵国から来た者であろうが、家令や使用人たちがさすがにこの惨状を放置するとは思えない。怪我に気が付いていれば、の話だが。
「着替えは」
「途中まではひとりで」
「湯は」
「それは最初からひとりで」
「なぜだ」
「そうしたいから」
本物のプシュケならばただの小傷でも悲鳴を上げただろうが、デルマは違う。なんの躊躇いもなしに腹にナイフを突き立ててくる兄の前では、叫び声や泣き顔は逆効果なのだ。
物心というものが芽生えるよりも先に、彼女は感情を消すという防衛法を覚えていた。
「この俺に嘘は許さない」
「吐くはずがありません。だって私は、あなたに好かれたいのですから!」
デルマは本心から、そう言った。おおよそ常人には考えられないことだが、どうやらこの女は見栄の為に去勢を張っているわけではなさそうだと、リバーシュは結論づけた。
そうするとますます、理解ができない。壊死しかけているこの足を放置し、誰を責めるわけでもなく平然と暮らしていたということになるのだから。
「なぜ言わなかった」
ところどころ黒く変色し始めている細い足を睨みつけながら、リバーシュが責めるように呟く。デルマが落馬した時、彼はひと言もかけなかった。怪我をしたのならば従者に言いつけるはず、そうでなくとも誰かが気付くはずと、軽く考えていた。
以前部屋を訪ねてきた際も足を軽く引きずっていたが、まさかここまで悪化しているとは想像していなかった。そしてそれを、大したことではないと笑っている姿も信じられない。
「リバーシュ様に会える時間はとても少ないです。貴重な時間を、こんな些細なことに使いたくなくて」
「些細、だと?」
自身の非道を棚に上げ、リバーシュは額に青筋を立てる。些細な傷から菌が入り込み、全身から血を吹き出しながら死んでいった兵士たちを、何人も見てきた。手でも足でも、失ってしまえばそこで終わる。もちろんそれは、彼の【邪神】であろうと同じだった。
「この俺の前で、よくもそんな物言いを」
「だって私は、戦場を知りませんもの。そこでの常識を問われたって、正直困ってしまいます」
眉をふにゃりと下げ、片手を頬に当てる。まるで、今日履く靴を悩んでいるような軽い仕草。
「誰だって、死ぬ時は呆気なく死にますわ」
デルマは醜い色をした足を、愛おしげにさする。
「だったら私は、今自分がしたいと思うことを一番に優先します」
自分を見上げるアルビノの瞳が、リバーシュにとってやけに妖しく恐ろしいものに見えた。
デルマ・マリーウェルシュ。この令嬢に、恐怖という感情は存在しないのかもしれないと。
(それにしてもどうして今日は、こんなに気にかけてくれるのかしら)
リバーシュは以前、結婚の事実さえあればその後の生死などどうでもいいと言っていた。であれば彼にとっては、このまま足が悪化して死んでくれた方が都合がいいような気がするが。
それともまだ、正式な結婚の儀式が執り行われていないことを、懸念しているのだろうか。死亡時期など、いくらでも適当に誤魔化せるだろうに。
プシュケの真似事はできても、人の感情には疎い。デルマはただ首を傾げながら、足を隠すでもなく夜着をたくし上げたままにしていた。




