風変わりな令嬢には、通用しない
「まぁ、大変!絨毯が燃えてしまうわ!」
微動だにしない彼とは違い、デルマは床に転がっている蝋燭の前にパッとしゃがみ込む。そして躊躇いなく両掌を火に押し付けた。じゅうという微かな音と、皮膚が焦げる臭い。リバーシュの脳裏に、戦場での凄惨な光景が唐突に浮かんだ。
「……それはなんの真似だ」
「はい?それ、とは」
「素手で火を消す令嬢など、存在しない」
「あ……。それは、確かにその通りですね」
マリーウェルシュの屋敷では、見た目や仕草など完璧にプシュケの真似をした。けれどリバーシュに相対すると、どうしてもデルマ本来の好奇心が表に出てしまう。
(まぁ、見た目が愛らしくてほどほどに莫迦ならいいわよね)
抑えられない欲望に、適当な言い訳を付けておいた。
「つい、体が動いてしまいました」
「滑稽なのは見目だけではないということか」
「ご心配をおかけして申し訳ありません、リバーシュ様」
誰も心配などしていないと、この話の通じない令嬢に主張する意味はあるのだろうか。ドレスの下で引き摺る足を扉に挟み込んだり、火を直接握り潰したり。挙げ句の果てには、この醜い傷を「素敵」だなどと――。
「ああですが、さすがに早く手を冷やないと火傷が広がってしまうかもしれませんから」
デルマは手を胸に抱えて、視線をリバーシュの背後に向けた。
「部屋に、入れろと?」
「もちろん、すぐにお暇いたしますわ」
「貴様、ふざけた冗談もほどほどに……」
ぐわ、と瞳孔を開きながら威嚇するリバーシュだが、その時突然の眩暈に襲われ足元がふらつく。プシュケがそれを見逃すはずがなく、実に俊敏な動作で彼の巨躯を支えようと懐に潜り込む。
「止めろ、触るな」
「遠慮などいりませんから、ほら早く中へ」
「貴様」
「さぁさぁ、お早く!」
デルマが声を張り上げるせいで、いつか使用人がこの場にやってくるのではと危惧したリバーシュは、仕方なく向きを変え部屋へと足を進める。
命乞いをする敵の何倍も図々しいデルマに苛立ち、肩に回された彼女の手を叩き落としてみたが、逆ににこりと微笑まれるだけ。
爛々と輝くアルビノの瞳をこれ以上視界に入れるのが不快で、リバーシュは無言で目を伏せた。
こうしてまんまと部屋に入り込むことに成功したデルマは、ほくほくと満足げに周囲を見渡す。書斎机の上に乱雑に積まれた書物の他には、大きな天蓋つきのベッドと一人掛けのソファが何脚かと、ガラス製のローテーブルがひとつ。
そこに置かれている蝋台は、広い部屋を照らすには随分と心許なく、奥の方は暗くてよく見えない。
リバーシュがどさりとソファに腰掛けるのを確認してから、デルマもその向かいに浅く腰を下ろした。
「もう平気なのですか?お辛いのなら、ベッドで体を休めてください」
「辛いといえば、今すぐに出ていくのか?」
「とんでもない、全力で看病させていただきますわ!」
嬉々として立ちあがろうとする彼女を、リバーシュは鋭い視線で制した。
(あの【邪神】でも、体調を崩すことがあるのね)
失礼な感想とともに、彼も生身の人間なのだと改めて実感する。アレクサンダーにどんな酷い仕打ちを受けようが、時間が経てばけろりと元に戻る自分の方が邪悪な何者かのような気がした。
「そのお顔の傷は、戦場でのものですか?」
彼女の問いかけは、空中で弾けて消える。リバーシュに、答える気などさらさらない。あえて触れないよう気遣うのが人情なのだろうが、デルマは人の感情を学んだことがなかったので、分からない。
得意とするのはあくまで【真似事】だけなのだ。