愛らしい『天使』がふたり
♢♢♢
計三十日と数時間。馬車や船を乗り継ぎ、デルマはようやくリバーシュの故郷であるトルトスタン帝国の地へ足を踏み入れた。
ともにマリーウェルシュの屋敷を出立したあの夜。強引に彼と同じ馬に跨ろうとした結果、不慣れなデルマはすぐに落馬し結果的に足の骨を折る大怪我を負った。
「見た目通りの莫迦な女だ」
それだけ吐き捨てるとリバーシュはすぐに背を向け、愛馬に脚扶助を施し颯爽と駆けていった。
「大人しく馬車をお使いください、デルマ•マリーウェルシュ様」
うずくまる彼女に声を掛けたのは、リバーシュの側近の一人であるコリンという男。彼はただ見下ろすだけで、心配する様子もなく淡々とそう口にした。
(そういえば、私のいた国は随分と恨まれているんだったわね)
屋敷の図書室にあった本や文献、時事録や年毎の新聞にいたるまですっかり読破していたデルマは、そう遠くない過去の因縁を思い返す。
我が国アンダール王国は、先の戦争で彼の国トルスタン帝国に敗れ、配下へと下ることとなった。形だけ友好を結び国の名を保ってはいるが、アンダールにほとんど有利な条件はない。
トルスタン側も甚大な被害を被った為に、表立って殖民地化すると余計な反発を買う恐れがあり、一度終結した争いの火種が再燃するのではと懸念した皇帝が、今の形を取ったのだ。
とはいえ、アンダールもトルスタンも互いに憎しみ合い、忌み嫌っているのは周知の事実。たとえ妾腹であろうとも、トルスタンの人間に喜んで嫁がせるのは厚顔で権力欲に塗れたアドルフくらいのものだった。
アンダールの国王に上手く恩を売り、リバーシュという戦の立役者を夫として選ぶことでトルスタン側にも上手く取り入った。デルマがプシュケと瓜二つに化けた奇跡も、神が自分に味方したのだと高笑いしていた。
とまぁ、その辺りの諸々をデルマは理解しているわけだが、特になにも感じない。地位が高くなればなるほど、人間は強欲になっていく。それはもう、自然の摂理に近いのだろうとしか思わなかった。
仮にも花嫁になろうとしている令嬢が足の骨を折っても、誰も心配しない。リバーシュもその側近も、身分の低い使用人たちでさえも。
(アレクサンダーだったら、片方だけは不恰好だからともう片方も折りそうだわ)
そう考えると、笑みすら浮かんでくる。デルマは誰の手も借りずに、まるで何事もなかったかのように自らの足ですたすたと歩いた。
「初対面からこんな醜態を晒してしまって、本当に申し訳ありません。これ以上リバーシュ様にご迷惑をおかけするわけにもまいりませんので、お言葉に甘えて馬車を使わせていただきますね」
天使のように可愛らしく会釈すると、彼女はしっかりと脚を上げながら馬車に乗り込む。そうして、くるりと振り返った。
「今後ともよろしくお願いいたしますね、コリン•ハウスバーグ様!」
名前を呼ばれたコリンは、世闇に薄く光る眼鏡の奥で目を見開き、予想外の反応に心中で狼狽した。
プシュケ•マリーウェルシュといえばその類稀なる愛らしさから『天使』と持て囃されていた美少女。病弱であまり表舞台には顔を出さなかったようだが、それでも彼女の噂はアンダールの貴族であれば周知の事実であった。
兄のアレクサンダーも同様に、優秀さと美貌を兼ね備えた俊傑として名を馳せている。一方で、デルマという娘の話はいくら探ろうと大した情報は得られなかった。
眼前の彼女は、姿絵で見たプシュケと瓜二つ。むしろ、本人が死んだというのは出鱈目で本当は生きていたと言われても驚かないだろう。
コリンはプシュケと直接対面したことはなかったが、目の前のデルマは正に『天使』の称号に相応しい見目をしている。これだけの美少女がもう一人存在しているにも関わらずまったく話題になっていないのは、やはり妾腹だからという理由か。
だとしたら、そもそもここまで容姿や特徴が似るものなのだろうか。
(まるで得体の知れない化け物でも相手でも相手にしているようだ)
酷い扱いを受けてなお微笑む『天使』を前に、なぜかコリンの脳裏にはそんな感情が湧き起こったのだった。




