父親にさえ化け物と呼ばれた少女
♢♢♢
「デルマ、そこにいるのか?」
「ええ、当たり前じゃない」
名前を呼ばれた女は、艶やかな赤胴色の髪をさらりと靡かせながら、横たわる男に向かって穏やかに微笑む。かつて誰よりも屈強であったその肢体は、まるで枯れ果てた砂漠のように正気を失っている。
「私はなにがあっても、あなたの側から離れないと誓ったのよ」
「愛する我が妻よ。こうなってなお、お前を手放してやれない哀れな俺を、どうか許してくれ」
「ふふっ、まったく莫迦な人ね」
冷たい額にそっと唇を寄せ、彼女は愛おしそうに美しいアルビノの瞳を揺らす。
「愛しているわ、これからもずっと一緒よ」
「……ああ、そうだな」
男は妻を抱き寄せようと腕を上げたが、それは虚しく空を掻きやがて力なく地に落ちた。
♢♢♢
月のない静かな子夜に、耐え難い悲鳴が響き渡る。
「痛い、痛い、いたぁい!もういや、こんなの耐えられない……!誰か、この子を殺して……っ!」
化け物に腹を食い破られると、彼女はそう感じた。体は華奢で骨盤は狭く、十五歳での初産。加えて今まさに産まれてこんとする赤子は、標準とされるそれよりも随分と大きい。
いくら愛する男の子どもといえど、身も心もまだ成長しきっていない女にとってこの出産は、酷く辛い拷問のようなものでしかなかった。
つわりも酷く、腹は膨れ醜くなる体型。愛妾の自分を案じてくれる存在はおらず、それどころか何度も子ごと殺されそうになった。
「こんな子いらない、たすけて、たすけて、たすけてぇ‼︎」
そんな断末魔を最後に女はこと切れ、代わりにそれはそれは元気な産声が、部屋中に響き渡る。
赤子を取り上げた助産婦は、本妻の息のかかった者であり、ただでさえ難産であった彼女に敢えて杜撰な処置しか施さなかった。
主人の手前赤子を殺すことはできなかったが、女が命を落としただけでも本妻には吉報だろうと、白布に覆われた口元を、にんまりと歪ませた。
その男――アドルフ・マリーウェルシュは産まれたばかりの子を抱くこともせず、愛する女の額にそっと口付けをする。彼女の出血量はおびただしいもので、無惨に裂けた股ぐらからはいまだどろどろとしたものが流れ出て止まらない。
「……なんと悲惨な光景だろうか。この子は本当に、化け物かもしれない」
ただそう言い残し、男は部屋を去る。母親にさえ死んでくれと懇願された赤子は、まるでこの世の生をすべて自分が引き受けているかのような、力強い声で泣き続けていた。
――そしてあれから、十四年。デルマは今日、誕生日を迎えた。
仄暗い地下牢にて。彼女が動くたびにシャラン、と鳴るのは綺麗な首飾りなどではなく、太く頑丈な鈍色の鎖。その先を辿ると、儚げな顔立ちの美青年が彼女を見下ろしていた。
「おい、豚。誰が勝手に動いていいと言ったんだ?」
「……ご、めんなさい」
「家畜は口を開くのも禁止だ」
たどたどしい口調で彼女が喋ると、その青年――アレクサンダーは形の良い眉を顰め薄い唇を噛む。そしてなんの躊躇いもなく、デルマの首に付けられた鎖を思いきり引いた。
とさっという軽い音と共に、彼女の体がアレクサンダーの足元に沈む。産まれたばかりの頃はあんなに立派だった体格も、今は真冬の枯れ木と変わらない見窄らしさとなっている。すらりとした華奢な手足は、小さな子どもでも簡単にへし折ることが出来そうだった。
腰まである手入れすら許されない錆色の髪は、たった一度撫でてやればすぐに艶やかな輝きを放つ。色のない灰がかったアルビノの瞳は複雑に光を反射し、頬はいつも可憐な薔薇色に染まっている。
血が透けるほどの白い肌には、新古に関わらず無数の傷がひしめき合っているにも関わらず、思わず触れたくなるほどきめ細かく滑らかだ。
デルマという一人の少女は、目も当てられぬ劣悪な環境に身を置きながら、ほんの少しでも気を抜けば磨き抜かれた宝石のように周囲を惹きつける魅力を備えている。
物心ついてからこれまで数え切れないほどデルマを玩具として扱ってきたアレクサンダーは、そんな彼女を心底気味が悪いと厭悪していた。
「お前は正真正銘の化け物だな、デルマ」
野犬に食われた無惨な死体を見るかのごとき視線を彼女に向けながらも、その鎖を離そうとはしなかった。