第七話 侵蝕 1
その日、何時にも増してゲヴランツは不機嫌だった。
謎の大地震によって聖都属第005号砦――その管轄下にある第2鉱山山脈の一部が崩落し、鉱奴の人員に大変な不足が生じたのが一週間ほど前。それから今日に至るまでに、彼の管轄下にあった人造人が次々と原因不明の失踪を遂げている。
人手の不足は、既に到底看過できない域に到達していた。
(奴等――人造人は所詮、造り物だ。己の自由意志を持たず、独力で自らを整備する術すら持たない肉人形共。奴等が自発的に脱走を企てるとは思えん。であれば、この連続失踪には、何か外的な原因があると考える方が妥当だ)
ランプを掲げ、廊下の先を行く給仕係の人造人の三つ編みに結われた後頭部を睨みながら、ゲヴランツは黙考する。
ゲヴランツは騎士だ。
聖都を守護する最高指導者・教皇より、獣騎士の二つ名を賜った豪傑。
この〈太陽のない世界〉で最大の城塞都市であり人類の繁栄の証たる聖都から直々に第005号砦を預けられ、領主として砦だけでなく鉱山の運営をも任された重鎮だ。頭脳は明晰であり、武勇にも優れている。典型的な武官であった。
そしてゲヴランツの後ろに控える女騎士――マジパナは彼の副官であり、仕事の補佐を務めている。
今、彼等がいるのは、第005号砦内に設えられた街だった。
その中でも一等上質な館。街を納め労働力としての人造人を管理する役職を与えられた人間の住居で、今のところ、彼はこの屋敷以外の街の建物に入ったことは一度もない。
「こちらです」
「話が終わるまで待っていろ」
館の最奥――町長の執務室の扉を給仕が開くや否や、ゲヴランツは副官を伴い、無遠慮にずかずかと執務室に押し入る。
執務室は異様に暗かった。
窓はカーテンで遮られ、天井の照明の明かりは落ち、部屋の輪郭を薄暗闇に呑ませている。機能している光源は唯一つきりで、執務机に置かれた小さなランプ一個のみだった。
茫洋とした青白い光が、一人の人間の姿を闇の中に浮き上がらせている。
「……?」
表情にはおくびにも出さず、しかしゲヴランツは内心で眉を顰めた。
今目の前にいるのはこれまで何度となく顔を合わせてきた人間。
この街をまとめる長役の男だ。
その点に間違いはない。衣服にも別段変化はなく、やや線の細い体付きにもおかしな点は見受けられない。
しかし、なにかが違う。
生き物の気配がない。まるで動く死体を前にしているかのような気分だった。
「ドウカサレマシタカ?」
「……何でもない。それよりも、任せた仕事の進捗について報告し給え」
咳払いを一つ零し、領主としてゲヴランツは催促する。
村長は座ったまま机上の書類に手を伸ばし、束ねると、書面の該当する項目を選んで読み上げた。
「現在、鉱山ノ稼働率ハ、先月ノ五十ぱーせんとヲ下回ッテイマス。崩落箇所ノ復興モ、遅々トシテ進ンデオリマセン。人手ガ足リナイノデス。速ヤカナ人員ノ補充ヲ具申致シマス」
「言われなくともそんなことは分かっている。無茶は言わん、今動員できる人員で最速・最善・最高の成果を出せばそれでいい。―――そんなことより。優先すべき案件があった筈だが、そちらはどうした?」
「迷宮、ノ件デゴザイマスネ」
淡々と答え、村長は書類を捲った。
〈太陽のない世界〉に迷宮などというものは存在しない。
少なくともゲヴランツはこれまでの二十数年の生涯において、一度も見聞きしたことがなかった。
迷宮。
恐ろしい魑魅魍魎や魔物が巣食うという伏魔殿。そんな代物が一週間前にこの世界に出現したのだと、ゲヴランツは聖都から送られてきた報せを読んで知った。
文書によれば、落盤事故の原因である件の大地震は迷宮発生の前兆だという。
更に文には、この世界に生じた迷宮が何処にあるのか所在を突き止め、可能であるのなら早々に攻略することを命じる神託が綴られていた。
俄かには信じ難い話である。
ある日突然そんなものが発生する事態など、聞いたこともない。
しかし聖都からの命令である以上、無視するのは憚られた。よって手の空いている非戦闘型の人造人に探させているのだが、未だにそれらしい目撃情報はない。
そして、それは今日も同じだった。
「迷宮ハ発見出来ズ。マタ、探索ヲシテイタ人造人二名ガ未帰還デス」
「また失踪者か……原因は?」
「不明デス。恐ラク、食屍鬼ノ一団ニヨルモノデハナイカト」
ゲヴランツは村長の推測に首肯することはなかったが、しかし心中では同様の見解を抱いていた。
〈太陽のない世界〉には、人造人の他にも多くの亜人が生息している。
人間とは比較にならないほどこの世界の環境に適応した者達。
魔物に程近い人間の亜種。
闇の眷属と呼ばれる異種族群。
神の御使いによって〈太陽〉が創造される――よりも以前の時代にこの世界を統べていた、旧き支配者達だ。
その中でも食屍鬼という連中は厄介で、悍ましいことに人肉を主食とする。その食性から人間とは相容れず、〈太陽〉が創造されて以降も幾度となく大規模な衝突を繰り返してきた。
「先の掃討戦が堪えたのか、ここ暫くは大人しくしていたようですが……如何致しますか?」
ここにきて始めて、副官のマジパナが口を開いた。
丁寧な語調に反して、その言葉に篭った熱は彼女の好戦的な性質を如実に表している。根っからの武闘派であるゲヴランツの側近に相応しい気勢であり、当然ながらそんな彼女をゲヴランツは甚く気に入っていた。
「フンッ、所詮は畜生、学ぶ頭などありはしないということだ。いや、頭は潰したのだったか? 聖都の連中はそれで十分だと考えているようだが……やはり、害獣は徹底的に駆除せねばならんな」
そうひとりごちると、ゲヴランツは踵を返した。